頂いたコメントと、いまの学生のこと(エコノミスト誌の報道)

1.前回のブログをアップしたのは「子どもの日」の日曜日でした。(本日は母の日です)。

翌5月6日は10連休の最終日で、羽田空港まで家人を送っていきましたが、国際空港にはまだ鯉のぼりが舞い、武者人形が飾ってありました。さすがにもう無いでしょう。

f:id:ksen:20190506094649j:plain家人は2週間、ロンドン郊外の次女の家に2人の孫の世話をしに行きました。

亭主も出張で留守、ナニーさんも休暇というので、狩り出されました。「空飛ぶ婆や」と友人にからかわれながら、これが3回目のお勤め。その間私は東京の家を守っています。「まだ安静に」と医者に言われているので、もっぱら家で読んだり・書いたり、ネットを覗いたりしています。 

2.(1)前回の新天皇即位についてのエコノミスト誌の記事の紹介は、フェイスブック経由2人の方に「シェア」して頂きました。

「シェア」というやり方を私自身はよく理解していないのですが、何れにせよ、このエコノミスト誌の記事は、我善坊さんのコメントにあるように「冷静」であり、的確であり日本に好意的でもあると思うので、多くの人の目にとまるのは嬉しいことです。

(2)また我善坊さんは、「日本の君主制は世界の潮流からは取り残されたもので(女性天皇を認めないのはその最たるもの)、これを改めない限り、他の君主国より先に消滅するでしょう」と書いておられます。

私も同じような懸念を持つものですが、他方で抵抗派の右翼も強硬のようですね。

この国は、少数意見はほとんど無視され、何事も多数決と称されて押し切られるのが普通ではないでしょうか。

ところが、この問題に関しては少数派の意見がまかり通っているようです。不思議ですね。

f:id:ksen:20190506100510j:plain(3)他方でフェイスブック上の岡村さんとMasuiさんのコメントも興味深かったです。

・お二人とも昭和の時代に海外で研究したり、あちこち旅して回った経験の持ち主です。

・そして、現地の人たちと、先の戦争や昭和天皇について話し合った経験をお持ちです。

・また、貧乏旅行をしてユースホステルやキャンプに泊まった、皆フランクに付き合ってくれた、親切だったなどの思い出を書いてくれました。「生のドイツ人との接触ができ素朴な人間性のドイツ人に多く出会いました」というコメントもありました。

・若い時の、そういう経験はとても貴重ではないでしょうか。いまの若者は、海外で現地の若者たちと、同じような機会を持つことがあるのでしょうか?

 3.いま、海外に留学する豊かな若者が、とくに中国から急増しているそうです。貧乏旅行をして、キャンプやYHでいろんな国から来た男女と裸の付き合いをするなんて、過去の話かもしれませんね。

海外からの豊かな留学生がやってきて、中には自国の国益を強く主張するという事例もあるようです。

f:id:ksen:20190427144016j:plainたまたま、4月13日号の英国エコノミスト誌が「私立学校教育(Private Education)」の特集記事を組んでいます。

インドや中国などの発展途上国で、私立学校教育がブームになり、教育費の支出が急増しているという内容です。

例えば、中国では教育費支出は家計の5%、インド4%、他方でアメリカは2.5%、欧州平均は1%だそうです。

これらの国での中間層の増大、少子化IT技術、知識社会化などを背景にしている。

f:id:ksen:20190427142536j:plain4.とくに中国では海外への留学生が増え、海外の有名校との連携も進んでいる。

として、後者の事例として英国の名門パブリック・スクールであるウェストミンスター校を紹介しています。

(1)イートンやハーローと並ぶ同校は、1560年、時のエリザベス1世の資金で、貧しいが優秀な40人の児童に教育機会を与えるために設立された。

いまでは、750人の生徒を有し、年間授業料は寮費を含めて59千ポンドもかかる超有名かつお金のかかる学校である。

(2)同校は、このたび中国のある私立学校と提携し、2020年に四川省成都に海外拠点を設立することを発表した。3歳から18歳まで2500名を受け入れる。

さらに、今後10年で5校を設立し、最終的にロンドンの本校の20倍の学生を受け入れる計画である。

(3)同校によれば、このプロジェクトから得られる収益の一部は、ロンドン本校での奨学金制度を拡充し、貧しい学生により門戸を開放することに使いたいとのこと。 

5.他方で、“Art Attack(芸術への攻撃)”と題する記事では、中国からの英国の大学への留学生について、ともに超有名校であるLSEロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)とオックスフォード大学の事例を紹介しています。

f:id:ksen:20190506120403j:plain(1)LSEの事例――キャンパス内に、大きな地球儀の彫刻を展示した。

これに、中国人の留学生が猛烈に抗議した。台湾が独立国のように、チベットのラサが首都のように描かれているという理由である。

LSEは抗議をうけて、学生に変更を約束した。

台湾はこれに憤激し、蔡英文総統が同校の卒業生(法学博士)であることもあって、外交問題に発展している。

(2)因みに、LSEは学生総数の実に68%が留学生で、総数の18%が中国からである。

海外からの学生は、豪州、アメリカ、カナダでも同じように増えているが、とくに英国は2016年のBREXIT国民投票以来、ポンド安が続き、海外からの学生に魅力ある留学先となっている。ここ10年で3倍に増え、いまやEUを抜いて中国からの大学生がトップになった。

f:id:ksen:20190506120426j:plain学生の一部は(1)のように、本国共産党(CCP)の方針や指示を受け入れて、言動に示す者も少なくない。

(注―先般紹介した、豪州における中国の影響力を取り上げた『Silent Invasion(静かなる侵略)』によると、教育についてのCCPの方針は以下だそうです、

・CCPの認めない5原則――台湾独立、チベット独立、ウイグルの分離、法輪功の存在、プロ民主主義の行動の5つで、学生は海外にあってもこれを理解し、その線に沿った言動を保つこと。

・また中国では2013年、教育にあたって大学に、立憲民主制、報道の自由、人権、大学の自治など、7つの禁止項目が党から指示された。

この「思想の管理」は海外の中国人にも及ぶ。その結果、例えば留学生はオーストラリアの大学でこれらの「禁止」された概念や、中国の暗い歴史(天安門事件など)を学ぶことはできない。) 

(3)時には、中国政府が直接介入することもある。

オックスフォード大学では、最近、総長の香港訪問をキャンセルするように中国大使館から要求された。

同大はこれを拒否した。「留学生を減らす」という脅しを受けて、同大は「大丈夫。代わりにインドからの学生が穴を埋めてくれるから」と回答したという。

(4)しかし、オックスフォードのように毅然とした態度を取る大学は、有名校でも多くはない。英国の大学はいま、中国からの留学生から得られる利益とその存在が与える負の側面とのジレンマに悩んでいる。 

―――というような内容です。中国の世界的な存在感・影響力の大きさをあらためて感じるさせる出来事だと感じました。

それにしても、日本の若者はいまどうしているのか?

世界の若者は、いまも昔の岡村さん・Masuiさんのように貧乏旅行を続けているのか?

それとも、豊かな留学生が世界を席巻しつつあるのでしょうか?

 

 

天皇を始め代替わりですね。エコノミスト誌は「How monarchies survive modernity(君主制はいかに生き残るか)」。

  1. 長い連休と言っても働いている人は多

く、東大駒場キャンパスも授業も通常通りで,学生もいるし図書館も開いています。

今年は残念ながらこの連休は蓼科行きは諦めて、老夫婦東京で静養しています。

この時期は、畑の忙しい時期、鹿除けのポールとネット、畝づくり、そしてじゃがいもなどの植え付けをやるのですが、今年は年下の友人夫妻と長女夫婦に全てやってもらいました。

f:id:ksen:20190430082023j:plain週前半は雨模様で寒かったが後半は好天で仕事も捗ったようです。我々は寂しくもありますが、無理はできず、やはりどこでも代替わりですね。お陰で助かりました。

f:id:ksen:20190430142538j:plain2.代替わりと言えば、もちろんこの国は新天皇の即位ですが、テレビのお祭り騒ぎ的な番組には距離を置いてまったく見ませんでした。

代わりに、海外の一部メディア(英米豪)を見たり読んだりしましたので、今回はその報告です。

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もちろん、日本の報道とさほど異なりません。ただ、日本以上に強調していると感じたところを、以下に取り上げます。 

(1)戦後生まれの新しい天皇が、「皇室と日本社会を一層“近代化(modernize)”することを期待する」という論調。

――例えば、皇太子時代の天皇が留学時代の英国で、より自由で開かれた王室に強い印象を受けたエピソードを紹介するなど。

(2)オックスフォードで学んだ天皇アメリカの高校・ハーバード大を卒業しオックス

フォードでも学んだ皇后とが一層「国際的な志向」を強めることへの期待。

―――特に英米のメディアはこの学歴を大いに評価しており、[Oxford educated Emperor & Harvard graduated Empress]と形容詞を付けて、強調しています。

英国のGuardian紙に至っては「Japan’s anglophile(英国びいきの)new emperor~~」という見出しで、いささか我田引水という感じもします。

(3)新上皇も新天皇もともに、地味な学問分野についての研究者である。上皇はハゼ

(goby fish)の、天皇は水運や環境問題の研究であり国連で2度基調講演を行った。

――こういった報道は欧米の読者に好印象を与えるのではないか。英国のエリザベス女王チャールズ皇太子が何かの研究を地道に続けているなんて聞いたことがないですね。

(4)そして何と言っても、「女性天皇」「女系天皇」が認められないという、日本の伝統かどうか知りませんが、ともかく法律の存在です。

この点が、上記(1)の「近代化への期待」にもつながるかもしれませんが、どのメディアもこの点は必ず取り上げていて、記事からは批判するというよりむしろ、「信じられない」といった驚きのニュアンスを感じます。

そしてそれが、”extinction(断絶)”や”shrinking(縮まる)”という言葉を使って、「天皇制の衰退」につながりかねないことをどこまで日本自身が認識しているのだろうかという問題提起にもつなげています。

―――ということで、日本のお祝い報道とは少し視点が違うかもしれないと感じた点を紹介しました。

f:id:ksen:20190503105340j:plain3.私がいちばん面白く読んだのは、英国Economist誌最新号(4月27~5月2日号)の、「如何にして君主制は近代を生き延びるか(How monarchies survive modernity)と題する比較的長い記事で、君主制一般を取り上げたものです。最後にこの内容を紹介して終わりにします。

なお、日本の象徴天皇制が他国の「君主制( monarchy)」と同じかどうかは意見の分かれるところですが,ここではエコミスト誌の認識に沿って進めます。

 (1)君主制は、統治の正統性を理性や合理性にではなく、古くからの・子供じみた物語

に依っている。それは時に、性差別、階級、人種差別の象徴ともなり、多様性や平等、自由とは相いれない制度である。

(2)だからこそ20世紀には、革命や世界大戦を通して徐々に衰退に向かうと思われた。

ところがその予想は外れた。21世紀に入って君主制が消えたのはネパールとサモアの小国2つだけ。豪州やリヒテンシュタインのような名目だけの国や小国も含むが、他方で英国、オランダ、日本、デンマーク、スペイン、中東、タイを含み44か国で健在である。

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(3)何故か?

・殆どの君主が政治的な実権を持たない存在であることが理由の1つ。

しかも、弱く・貧しい君主制はすでに淘汰され、いまは中東やタイのように巨大な資産を有する君主が多く、それを制度の維持に有効に使っている。かつ共和制に比べて意外に弾力的・柔軟である(「アラブの春」の時のモロッコやヨルダンが好例)。

・民主主義への逆風が吹いていることも理由として指摘できる。ポピュリズムや分断化が進み、反民主的な指導者(プーチン習近平など・・・)も力を増している。

・英国のような民主国であっても、政治の分断化が進む中で、むしろ非政治的な元首の存在が再認識されている。例えば、英国の共和制支持者であっても、いまエリザベス女王に代えてトランプに元首になってほしいと思う人はまずいないだろう。

(4)しかし、このように君主制に有利な状況もないではないが、現代の君主制が依然と

して脆弱な基盤に立っていることも間違いない。

共和制であればシステムそのものに合理性があり、国民主権による「交代」が制度化されている以上、個々人の倫理性・人格・資質は君主制ほど重要ではない。

君主制の場合、統治の正統性に合理性がなく、かつ君主自身が容易には「交代」しないこともあって、その存続は、はるかに大きく個々の君主の資質に依存する。

(5)従って、君主制の場合は、継承の時点が重要であり、新しい君主への支持が同じように続くかどうかがきわめて重要である。この点でタイ、サウジ・アラビア、スペインの君主の資質については懸念がないではない(タイでは5月4日に69年ぶりに新王が即位した。軍寄りの姿勢、4度の結婚、派手な暮らしなどとかく話題性が多い)。 

(6)個々の君主の資質については、英国王室は、バッキンガム宮殿の国民への開放、税

金の支払い、ヘンリー王子(黒人の血を引くアメリカ人の・離婚歴のある女性との結婚を認める)、国民との身近さ(67年の在世の間に、英国人のほぼ3分の1、65歳以上のほぼ半分が実際に女王と接したことがあるという世論調査がある)など、「近代化」への努力を進めている。国民の支持も高い。 

(7)しかし、日本の天皇Akihitoは、エリザベス女王以上に「革命的な」天皇であった。

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彼は、

・宮殿の中で国民のために祈るのではなく、自ら外に出て、国民に近く接した、時に跪き、彼らと語り合った。

・特に、障害のある人、高齢者、被災者たちに寄り添った。

・この国の「保守的な」政治家と異なり、「戦争中の日本の行為」に深い悔いを表明した。

・1992年には天皇として初めて中国を訪れ、WW2の戦場を何度も訪れた。

・そして彼は、靖国には参拝しなかった。

・「保守的な」政治家はこのような天皇に憤慨していただろうが、表立って批判することは困難だった。

・こういった言動を通して、天皇皇后の二人は、「倫理性(morality)」「気品(decorum)」そして「思慮深さ(discretion)」の模範となり、同時に宮中の伝統や儀式もきちんと守っている。国民の支持もきわめて高く、彼らのやり方はたいへんうまく行っているようにみえる・・・・・

➜いかにも「リベラル」を標榜するエコノミスト誌らしい論調で日本の前の天皇を高く評価し、同じ路線が続くことを期待している記事内容が印象に残りました。

頂いたコメントと、最近の病院治療のこと

  1. 前回は昔の職場の同期会のことを書きました。夫婦同伴というのは珍しい、とコメントを頂きました。製造業の大企業に勤めたMasuiさんが、「人数こそ沢山いますが、男性ばかりで、最後は元気よく社歌を歌ってお別れです。」とあり、「社歌」のある会社もあって、それを歌うんだと初めて教えてもらいました。私の職場には社歌というのは無く、無いことが当たり前で、今まで考えたことがありませんでした。会社によって文化は様々なのでしょう。

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2.他方で、岡村さんからは、同期会とは無関係ですが、夫婦同伴の集まりから連想し

た思い出話の披露がありました。

――高校の卒業旅行に京都から3人で伊豆に行き、泊まったユースホテルで東京から来た3人の女子高校生と知り合った。6人で親しくなって連絡先を交換した。

その後、とくに交流はなかったところ、何と50年たって連絡が復活し、「東おばさんと京じいさんが連休明けに東京の神保町で会う事になったのです。50年の歳月を彼女達はどの様な喜びと悲しみの人生を送って来たのか、話が聞けるでしょうか?―――

こんなことってあるんですね。

一人一人の話から、何か小説でも書けそうな気もします。

実は、このうちの男女1組はその後結婚していて、残りの5人はまったく知らなかった、なんていうことが神保町の再会で分かったりして・・・・。

そういえば、私も60年近い昔、大学に入ったばかりの中高同級生4人で北海道に旅したことがあります。

やはり、ユースホテル泊まりの、しかも急行を使わない安上がりの旅で、網走だったかで、関西からの女子大生4人と一緒になりました。

名前と連絡先ぐらい交換したような記憶がありますが、結局その後、お互いに音信不通。

「東男と京女」という理想的な組み合わせだと思ったのに・・・

もっとも1人は珍しい名前なので今も覚えていますが、辰馬さん、灘の酒屋のお嬢さんとかで、つまり「京女」ではなかったのです。

酒好きな1人が「酒屋の娘と結婚したら一生ただ酒が飲めるかな」と、みみっちいことを言ったような記憶がありますが、定かではありません。

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3.岡村さんの話で面白いと思ったのは、何十年も昔に聞いた電話番号で連絡が取れたという点です。

これはやはり、京都だからではないか、と考えました。

祇園で生まれ、育ち、その後海外放浪はしたようだが落ち着いて、祇園で暮らし、今に至る、住所も電話番号も変わらない・・・・

京都だけではないとしても、日本では少なくなっているのではないか。東京なら、そもそも1か所に定住する人が少ないだろうし、住所表記などの変化もあるだろう。地方都市だって過疎化が進み、人の移動、変化は激しいのではないか。

 京都の、とくに洛中あたりであれば、「今出川通烏丸(からすま)東入る」(従妹の住まい)だの、「柳馬場(やなぎのばんば)六角下がる」(私が10年以上住んでいたアパート)なんていう住所がおそらく戦前からいまも、(郵便番号に無関係に)存在しており、しかも地理を頭に入れるにはまことに便利です。

 だから、岡村さんは当たり前と思っているかもしれないけど私には面白く、「50年ぶりに神田神保町(これも東京にしては珍しく、江戸時代から残る地名です)で皆で会わない?」なんていう電話が何の不自然さもなく、届くわけです。

 「変わらない」ということには、どことなくほっとするところがあります。

4.もっとも、「変わる」ことの方が圧倒的に多いのは当然ですが、良い方への「変化」だといいですね。

(1)前回書いたように、たまたま16日の同期会の前あたりから引いていた風邪をこじらせました。

近くのホームドクターで薬を貰ったのですが、一向に治らないので再度診てもらい、レントゲンを撮ってもらったら、「肺炎らしい、入院になるかも」と脅かされて、紹介状を貰って、家人と2人、その足で目黒区大橋の東邦大学病院に行ったところ、「立派な急性肺炎、但し入院は不要、抗生物質を飲んで安静に」と言われました。幸いに家人はただの風邪でした。

f:id:ksen:20190427145730j:plain(2)これが22日の月曜日、その後の1週間は全ての予定をキャンセルして医者の指示通り安静にして、昨日27日の土曜日に再診に行ったところ、無事に釈放されました。

多少の数値を別にすれば、ほぼ平常に戻り、熱も平熱で、菌も出ていないとのこと。

親切なお医者さんでいろいろ話がありましたが、「いまが江戸時代なら、死んでますよ」と言われて、あらためてなるほどなと思いました。

言うまでもなく、抗生物質のお陰です。

(3)ただ面白いと思ったのは、私自身、普段あまり病院に行かないので、今回も久しぶりでしたが、この間(だいぶ前からからかもしれませんが)治療のやり方が違ったなと感じました。

病院に詳しい方にとっては珍しい話でも何でもなく、とっくの昔にご存知でしょうが、

・ホーム・ドクターから大きな大学病院へ送り込むやり方のシステム化。

抗生物質を安易には出さないという処方のし方。

前者は,私の昔の海外暮らしの経験で、英米は当時からこのシステム(病院相互の連携と患者情報の共有)が当たり前でいいなと思っていましたが、日本も今や立派なものです。

後者は、私が知らなかっただけで今や常識らしいですが、昔はただの風邪でも少し熱があれば、抗生物質を飲ませてくれたような気がします。

最近はそういうことはしなくなった。

ホーム・ドクターからも専門医からも言われましたが、「ただの風邪では抗生物質は出しません。それには最近の知見による理由がある」とのこと。

ついでに、「熱はもちろん苦しいが、ただ薬を飲んで下げればいいというものではない。熱が出るということは、悪玉の菌と戦っているのだから、耐えられるなら38度5分以下であれば熱さましは飲まない方がよい」―――こんなことを言われたのも初めてです。

以上、普通の方にとっては常識かもしれませんが、もともと数値など医療の知識は殆どない私には、「医療も変わったなあ」と感じたので報告しておきます。 

5, 何れにせよ、「江戸時代なら生死にかかわる大病から回復したばかりだと理解して、治ったからといって暫くは安静に過ごすように」と最後にまたアドバイスを受けました。

そんなわけで10連休は、東京で静かに過ごすつもりです。畑の整地、畝づくり、野菜の種付けなどは全て若者に任せて、老人は老人らしくです。蓼科の満開の桜を今年は見られないのは少し残念ですが。  

最後に補足ですが、昨日、帰院してから、10日ぶりにほんの少し歩いたので、その折りのいつもの散歩道でのスナップ写真(駒場民芸館と花みづき、東大駒場キャンパスと図書館、新緑が美しい銀杏並木)をお目汚しに載せさせて頂きます。

 

横浜での同期会で京都曲水の宴の話を聞く

1.前回は「碌でもない話」にお付き合い、有難うございました。

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麻雀で某氏夫人が、出来ている四暗刻の1枚を落として頭にして、両面待ちにして上がった話を書きました。

藤野さんの「僕なら五索か六策のどちらかを捨てます。四暗刻単騎の魅力には勝てません。それにしてもご夫人の勝負勘は素晴らしい。役満というロマンを捨てて、実利を獲った」とありました。

下前さんは「日本麻雀連盟認定の五段」だそうで免状を稲山連盟会長(もと新日鉄の偉い人)から頂戴したそうです。「いろいろな楽しみがある」、例えば母上が介護施設で麻雀の仲間に入ったが、すぐにやめてしまった。「いくら勝っても一銭にならないし、面白くない」という理由だそうです。

いやはや、京都の方は「雅」専門と思っていたら、麻雀のような遊びにも強いですね。 

2他方で麻雀をやらない沢崎さんからは、例の忘れられないラグビーの試合でも、重要な選択肢があったというコメントを貰いました。

(1)「すぐに連想したのが、2015年ラグビー、ワールド・カップでの日本対南ア戦。

ヘッドコーチ(日本語では(エディ・ジョーンズ)監督)はペナルティゴールを狙うよう指示したのに(残り時間からして引き分けに持ち込める公算が高い)、選手たちは従わず、敗けるリスク込みでスクラムを選択し、トライを取りに行った。

NZ出身の関西人のトンプソン選手は「歴史を変えるのは俺たちだろ!」と鼓舞したそうです。」

➜結果、最後の数秒でトライに成功し、逆転勝利、優勝候補の1つ南アを倒した。

(2)この時、実は沢崎夫婦は現場にいましたが、私も英国の娘の家でテレビ実況を見ていました。大変な騒ぎでした。翌日、お堅い「タイムズ」も一面に写真入りで取り上げて、「信じられない」「ラグビー史上最高の試合」といった見出しが並びました。

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(3)私はラグビーは詳しくないのですが、監督の指示を選手の自主判断で変えられるというルールが素晴らしいですね。

もちろん失敗したら選手全員が責任をとる、これが「遊びは勝ち負けよりも大事なことがあるのだろう」というコメントに繋がるのでしょうね。

麻雀での選択で四暗刻を選択して、結果振り込んでも,ラグビーと違って歴史が変わるわけではない、本人の麻雀歴に名誉の記録が残るだけ。しかし、大事なのは、2つの選択肢のどちかを選ぶかを自分で決める、このことだと思います。

後ろから見ていた私は、「四暗刻を残したら」とアドバイスしたくなったかもしれませんが堪えました。決断するのは最後は自分です。

また「AIだったらどうだろう?リスクを避けて索子2枚を残したのではないか?」というコメントも面白いですね。何でもAIになってしまう未来は、リスクを避けることが最優先するような社会でしょうか?

f:id:ksen:20190416110333j:plain3.ところで我々老夫婦は先週は風邪でダウンし、熱も出て水曜~土曜(昨日)までの予定をすべてキャンセルしてもっぱら寝ていました。

その前の16日(火)にどうしても外せない用事があって、ここで無理したのもこじらせたかもしれません。

「不測の事態で疲労が重なれば、風邪を引くのは正解かもしれません。この際は頑張らないで敗北宣言。しっかり寝込んで英気を養う。これが東洋医学の教えるところ」というアドバイスに従っていますが、現役の働き盛りはこれが出来ず、申し訳ないことです。

16日(火)は、毎年恒例の元の職場の同期会でした。

男性だけは毎月集まって、国際情勢(BREXITや、そろそろ米の中間選挙も話題になる)の話などをします。

4月は総会でミセスにも声を掛けます。逝去した同期のミセスも有資格で今回も物故者10人のうちの2人を入れて13人の女性が参加、18人の男性と合わせて31人でした。

この幹事をやらされ、おまけにいつも議事進行の担当なので、風邪ぐらいでは休めません。この日も、横浜のホテルのレストランを借り切って、ウェルカム・ドリンク、昼食会、そのあとの二次会と続き、帰宅したのは午後5時過ぎで、声がすっかりつぶれてしまいました。家人と二人で即ダウン。以来、ただいままで近所の医者に行くほかは外に出ていません。本日も予定を一つキャンセルし、世田谷区の選挙(区長&区会議員)の投票にだけは行くつもりです。

4.いつも、たまに参加した男性や女性(月例会の資格はないので)に「挨拶」をお願いしていますが、今回は新しい趣向として、皆で合唱(斉唱ですが)をしました。

大学のコーラスOB男子が3人いるので、彼らに音頭をとってもらい、以下の2曲。

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滝廉太郎の「花」(春のうららのすみだ川♪)

ヴェルディのオペラ『ナブッコ』から「Va,pensiero」(行け、我が想いよ、金色の翼に乗って)

決して強制ではないことは強調したつもりですが、さすがに女性の皆さんはそこそこ歌ってくれました。

前もってYoutubeのサイトや歌詞やイタリア語のカタカナを事前に流したこともあり、コピーを取って持参してくれた方もありました。

サイトはロンドンのコベントガーデンでのもの。

https://www.youtube.com/watch?v=P_Y-yJBa8FA

ロンドン勤務者も多いので、このサイトを見て、ご夫人も興味を深めてくれたかも。

まあ余興です。 

5.何人かに「挨拶」をお願いしました。その中の1人、某さんが京都から前日帰ってきたばかりという報告でこれが貴重な体験なので、最後に報告します。

f:id:ksen:20190419075044j:plain(1)14日(日)に京都の上賀茂神社で毎年恒例の「曲水の宴」が開かれて、これに参加した。

今年のお題は「山吹」で、応募したところ、何と「天」という最優秀作品に選ばれた。選者は歌人永田和弘氏(元京都大学、細胞生物学)である。

(2)曲水の宴とは、流れに添って歌人が座り、歌を一首よんで、お酒一献を頂くという平安貴族が遊んだ優雅な行事で、これをいまも伝える人たちがいる。

13日に練習をして、当日はプロの歌人と一緒に袍(ほう)という公式の装束に身をつつみ、それそれが題詠に沿った歌を詠んで小川に流す。

本来はそのときに即興で詠むのだが、いまはそれは「建前」で、皆予め作っておいたものをこの場で披露する。もっとも彼によれば「もう一首」と言われ、これは事前に聞いていなかったので驚いたが何とか作った由。

(3)最優秀作に選ばれた彼の歌は以下の通り。

―――児を抱きて撮りし写真の背景に

    今なほ眩し山吹の黄はーーーー

実は当日この「写真」も持参してくれましたが、まだ20代の彼が幼いお嬢さんを抱いて山吹を背に立っています。場所はニューヨーク、ちょうどこの頃私も彼といっしょにニューヨークに居て家族ぐるみ付き合ったので、とても懐かしく拝見しました。

 

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(4)という「挨拶」に、皆びっくりして聞きました。

いや大した偉業で、我が同期にかかる文化人がいるとは誇らしいです。

彼はそのことは「光栄で嬉しいが、同時にこういう古い文化を継承する試みが、いかにボランティアや寄付をやり繰りしながら守られているか、痛感した」と語りました。

「観光気分で、綺麗だとか、奥ゆかしいとか、表面的にしか見ていなかったことが、大変な苦労で支えられていたことに、恥ずかしながら、自分が参加して初めて気が付きました」とも言っていました。

ということで、彼の呼びかけで、その場で、まことにささやかながら、「曲水の宴保存会」に有志の寄付が実施されました。 

なかなかいい話でした。

当日の模様は1分30秒の京都のニュース番組で見ることができます。以下のサイトのいちばん最初が今年度の報道です。

https://search.yahoo.co.jp/video/search;_ylt=A2Rivc__eLZcHBkApx.HrPN7?p=+%E3%80%8C%E4%B8%8A%E8%B3%80%E8%8C%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE+%E6%9B%B2%E6%B0%B4%E3%81%AE%E5%AE%B4+2019&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

彼の歌が「披講」される(冷泉家時雨亭文庫ノメンバーによる)のも一部収録されています。

今年初めての蓼科と赤ん坊のお守り

  1. (1)先週は気温の低い日が多かったですが、その前の週末は暖かく、家人と二人、今年初めて、2泊3日で蓼科へ行ってきました。過ごし易かったですが、八ヶ岳はまだ雪が残っていました。

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中央高速を走り、釈迦堂のレスト・エリアにある花桃の林がほぼ満開で,しばらく花見を楽しみました。千円で苗木を買って、東京の狭い庭に植えました。

(2)蓼科では、今年も農作物を多少は作る予定で、休耕地を持っている知り合いの農家から借りる予定の土地を見てきました。

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家からすぐ近くで、日当たりもよさそうです。昨年借りた土地が太陽光発電の会社からオファーがあって20年の賃貸借契約を結んだそうで、畑としては使えなくなってしまい、代替地を提供してくれたのです。

高齢夫婦が、これからもどこまで農作に取り組めるか分かりませんが、幸いに年下の友人夫婦と2区画に分けて使い、かつ我々農地は長女の夫婦が一緒にやってくれる予定で、最小限のことはやれるかなと思っています。とにかく、この地で夏に、採れたての野菜を食べることほどおいしいものはありません。

ということで天気にも恵まれ、事もはかどった滞在でした。

(3)この地は年間の日照時間の長いことでは有数の場所だそうで、このところ太陽発電の場所がやたらに増えました。それだけ休耕地が多いということもあるでしょう。農地の景観がすっかり変わりました。エネルギー源として頼れる存在になっていくのであれば、原発は要らなくなるのではないかと期待しています。

f:id:ksen:20190405150140j:plain2.(1)そのあと、東京に帰宅した先週は、次女が出張で、おまけに1歳2か月の孫娘を連れてロンドンからやって来ました。

こういうスタイルで一時帰国するのは今回が2回目ですが、ホテルに泊まる訳にはいかず、出張にも拘わらず、狭い我が家に滞在しました。赤ん坊は時差を自分で調整することなどできませんから、昼に寝て夜は起きてる。

娘はこれに付き合っていたら昼の仕事はできません。仕方がないから、夜はもっぱら家人が、寝ない孫娘の面倒をみることになります。

(2)ということで、家人はいささかグロッキー気味で、昨日の土曜日に出発したあとはさすがにお役を果たしてほっとしたようです。

 私は少しお守りをした程度で、土曜日は一緒に羽田空港まで見送りに行きました。見送って、空港で少しゆっくりして、帰りは空港から渋谷までのバスの中で寝ていました。

良い天気でした。

(3)それにしても、次女の場合、二人の子供を育て、自分もロンドンの金融街で働いているのですから、たいへんです。亭主がだいぶ手伝ってくれるようですが、それにしても子育ての重点は母親にかかってくるでしょう。昨年の10月も同じでしたが赤ん坊にはまだ、離乳食と授乳の両方をやっていて、それもあって今回も「子連れ出張」となりました。

f:id:ksen:20190413103041j:plain今回の出張は若い部下も一緒だったそうで、彼も上司の女性の赤ん坊連れには驚いたかもしれません。もっとも英国ではさほど珍しい光景ではないかもしれません。

(4)この時期、ここまでして来ざるを得ない理由は当然あるのでしょう。仕事の話はほとんどしませんが、最終日の12日(金)は朝の7時に出て、夜の9時近くに帰宅、外部との面談を3つ、内部でのミーティングを3つこなしたそうで、さすがにくたびれた様子。頂き物の、割といける豪州の赤ワインPenfolds Bin389 を開けて慰労しました。

まあ、若いということは元気なものです。

我々老夫婦は、普段は遠く離れていて面倒見られないので、たまに孫娘のお守りをやって多少の役に立つのであれば、まあ生きている意味もほんの少しあるのかな、と家人と話したばかりです。

それにしても上野千鶴子東大名誉教授の入学式での祝辞が話題になっていますが、日本はまだこんな当たり前のメッセージが話題になるぐらいの社会なのか、とも感じます。 

3.(1)ということで今回は身辺の出来事中心になってしまい、私事ばかりで恐縮です。

お守り疲れで、堅い話は取りあげる気分ではなく、最後に前回に続いて家庭麻雀の話を報告します。

前回、始めたばかりの家人が「大三元」をつもって驚いた、と書きました。

京都人の下前さんからコメントを頂き、「麻雀習いかけの祇園の芸妓と卓を囲んで、『同じ牌が4枚揃いました。如何しましょ。』と言われ・・・・後ろから一枚取りなさいと言うと 『また4枚揃いました』。もう一枚お取りと言うと『全部揃って捨てる牌が無いという。「開けてご覧」と言うと四暗刻 自積って和了あがってました』とありました。

祇園の芸妓さんと卓を囲むとは何とも華やかで、さすが京都ですね。

f:id:ksen:20190405101141j:plain(2)そこで思い出したのですが、四暗刻(スーアンコ)については私も経験があります。

大三元を家人が上がった時の数か月前、同じメンバーによる麻雀会。3組6人で、習いかけの女性3人に男性が1人入り、残りの2人はワイングラス片手に後ろから見ています。たしか横浜青葉台のお宅での出来事。

某氏夫人の後ろで私が見ていたら、何と、暗刻(アンコ)がどんどんできてきます。

と思っていたら、右隣(つまり下家(しもちゃ))の某氏(これが男性1人加わったご亭主です)が立直(リーチ)を掛けました。

(3)何巡か回ったところで、某氏夫人は、とうとう暗刻を4組もってきました。役満四暗刻が出来上がり、テンパッたのです。余ったパイは、五索(イーソウ)と六索(リューソウ)の2枚で、そのどちらかを切って残り1枚で待って、聴牌(テンパイ)です。その1枚が場に出るか、つもれば、それで頭が出来て、出来上がり四暗刻の上りです。

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(4)ところが、五索(イーソウ)と六索(リューソウ)も場に1枚も出ておらず、立直を掛けている右隣がそのどちらかで待っているかもしれず、まことに出しにくい、いわゆる「危険牌」です。

さあ、私だったらどうするか?

もちろん本人が最終的に決断するのですが、私は思わず興奮して、「さて、ここで名誉を守るか(つまり四暗刻を残して、危ないと思う(もちろん当らない可能性もない訳ではない)五か六を切るか?それとも、リスクを避けて、四暗刻を諦めて、より上がる可能性の高い手にするか?の選択ですね」と囁きました。

(5)暫く考えた某氏夫人は、どうしたと思いますか?

四暗刻の1つ、いちばん安全な牌の1枚を切って、それを「頭」にして、三暗刻の手に変えました。

結果、五索(イーソウ)と六索(リューソウ)が並びますから、四か七が出れば上がりです。

そうしたら、何と右隣のご亭主がすぐに七索(チーソウ)を出して、某夫人の上りです。

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しかも、さらに驚いたことに、ご亭主の待ちは五索(イーソウ)と六索(リューソウ)。つまり四暗刻を残して、このどちらかを捨てていれば、どちらでも振り込んでしまった訳です。 

(6)偶然と言えばそれまでですが、こんなに偶然が重なった状況は、私の長い麻雀生活でも初めてです。

実は、この話を長男と、出張でロンドンからきている次女に話して聞かせました。

すると2人とも即座に「それは、出来ている四暗刻を捨てるなんてことはあり得ない」というコメントでした。

「しかし、そうしたら振り込んでたんだよ」と説明しても「それはあくまで結果論」と反論されました。

私はいまでも某氏夫人の判断は(たしかに結果論ではありますが)正しかったと思っているのですが、こと麻雀に関する限りは私より腕前に自信のある2人の子供は別の意見なので、ちょっと面白いなと思った次第です。

碌でもない話でまことに恐縮ですが、皆さんならどう思われるでしょうか?

 

続「国連幸福度報告2019」と麻雀で遊んで幸福?

1.新年度が始まりました。東大駒場キャンパスも新入生を迎えました。部活勧誘のタテカンも並んでいます。

f:id:ksen:20190331132933j:plain目指す大学に合格した「幸福度」は何点ぐらいでしょう?失敗した人には辛い春だろうが、この次は「幸福」が来て欲しいと願います。

 2.前回ご紹介した、国連が毎年発表する「幸福度報告」についていろいろコメン

トを頂きました。

(1)その前に、前回、この報告を「大手メディアがあまり取り上げない」と書いたのですが、東京新聞が3月31日の社説で触れました。

ところがちょっとおかしな理解です。同紙社説によれば、

―――国連「幸福度ランキング」。「日本は156か国中58位でした。評価に使われた6つの指標には疑問のあるものもあり、額面通り受け取る必要はないのですが、正直、「え、そんなに下位?」と思われた方もあるでしょう」――

(2)前回も説明したのですが、この「幸福度」は、「6つの指標」を「評価に使った」のではありません。「あなたの幸福度を、10点から0点の間で点をつけてください」という質問の答えを基にしたものです。

「6つの指標」は、数値の説明変数に過ぎません。

f:id:ksen:20190315144039j:plain3. 報告書を読めば東京新聞のような間違いはしなかった筈です。

現に、私のブログにコメントされた方は全員が、「これは主観的な幸福感の数値である」と理解した上で書いて頂きました。

(1) Masuiさんからは、

――「多くの日本人は欧州諸国とそれほど多くの差があるとは思っていないのではないか?教育についても、大学の順位で100番以内にようやく東大が入る程度だったり・・・・多くの日本人が思っていることが世界の基準からずれています。政府はこのギャップがどのようにして出来たか、それを修正するには何に力を入れてゆくかを示すべきです」―――

これは正論だと感じました。 

(2)他方で、下前さんからは

―――「幸福度等 幾ら数字を並べ立てても物事比較の材料には為らないし増してランク付け等 無意味通り越して滑稽 若しくは弊害すらあるのではと考えます。」―――

というコメントがあり、なるほどと思いました。

このように、何に「幸福」を感じるかなんて所詮個人的な問題ではないか、国連が真面目に取り上げて比較するようなことかと感じる人も多いでしょう。

それでも、ご承知の通り、1776年7月4日トーマス・ジェファーソン起草のアメリカ独立宣言は、冒頭で、「すべての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって生命、自由、幸福の追求(pursuit of happiness)を含む不可侵の権利を与えられている」と述べました。

f:id:ksen:20190325124706j:plain国連はこういう思想に立って、世界の人たちの「幸福の追求」に取り組むのは自分たちの責務だと考えているのでしょう。

ですから毎年、「幸福度」の各国数値を真面目に分析をして、報告します。

1位のフィンランドが7.769(もちろん10点満点ですから、まだまだゴールは遠いと言えるのかもしれませんが)。

対して、最下位の南スーダンは2.853。なぜ、フィンランドに比べて、かくも低いのか?どうすれば少しでも高くなるのか?

南スーダン(だけでなく、イエメン、アフガニスタンルワンダタンザニア・・・などなど)のように、「幸福度」が極端に低いのはなぜか?少しでも高くなることを願い、そのためにはこの国は何をすべきか?

国連の担当者は、南スーダンの2.853を1点でも2点でも上げることを、祈り、願い、そのために分析し、ランキングを付け、報告し、そして世界に訴えているのではないでしょうか。 

4.また岡村さんは、コスタリカに旅行したことがあり、「何故か緊張から解放されて1ヶ月ほどぶらぶらしていた」そうです。

国連「幸福度ランキング」の上位20か国に入る国の中で、唯一、OECDのメンバーでもない貧しい中南米の小国、「軍隊のない丸腰国家」として知られます。

そんな国が、欧米やカナダ・オセアニアに混じって12位と頑張っています。「まるでのどかな地方都市に居るようで、12位と言うのならそうかなあと思います」とあり、

また、「15年前に日本を離れ現地の女性と結婚してレストランを経営して」いる日本人がいて、一緒に市場に買い出しに行ったり、家に招待して貰って食事をよばれ「仕事を探してあげるから此処に住んでみないか」と言われた。一瞬暮らしてもいいかなぁと思った」そうです。

なぜ、コスタリカの「幸福度」は、7.167と高いのか?興味があります。

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5.ということで、最後に、そうは言っても、「何に「幸福」を感じるかなんて所詮個人的な問題ではないか」という下前さんの批判も十分に説得力があるという例証みたいな出来事を紹介いたします。 

たまたま、夕食時に家人に、この国連の報告書の話をしました。

その上で、「あなたの「幸福度」を数値化したら、10点満点でどのくらいか?」と質問したところ、数秒考えて「フィンランドぐらいかな、つまり7と8の間ぐらい」という答えでした。 

ずいぶん高いなと驚いて、そういえば、その前日、素人麻雀をしたことを思い出しました。

ここ6年程、最低月に1回、夫婦3組6人で麻雀をしています。

家人は当初まったくの素人で、一から始めました。

それぞれの自宅で回り持ちでやり、女性3人に男性が交代で1人入ります。残った2人は後ろからアドバイスをします。

もっとも、この間、飲んだり食べたり喋ったりの時間が長く、議論に及ぶこともあり、私たちは「うんちく麻雀会」と呼んでいます。

終わってごく庶民的なお店で夕食を楽しむ。ここでも、自由な意見交換で賑やかです。 

長く続けているので、さすがに女性軍もそこそこ腕を上げてきました。

たまたま直近は桜咲く4月3日に調布の某氏宅にて開催。

そこで、何と家人が「大三元」をつもったのです。

「中」と「白」を鳴いて場にさらし、「発」とチイソー(7索)のどちらかが出れば上がりと待っていたところ、驚いたことに終盤になって3枚目の「発」を自分で持ってきました。

f:id:ksen:20190403142328j:plain本人はとくに狙っていた訳でもなく、ほとんど意識せず、後ろで見ていた私の方がよほど興奮しました。

しかし、まあ、こんなことがあった翌日ですから、「幸福度」がぐんと上がるのも当然だなと思いました。

老い先短くなると、望みはごく小さくなって、今日一日無事でさえあれば平均点、おまけにこんな風に友人たちと楽しく遊んだり、散歩の途次に咲き乱れる花景色を眺めただけでも、けっこう「度数」が上がり、幸せな気分になります。

ところで、東大駒場の研究所の庭に一杯に咲く野の花の写真も上に載せましたが、おそらく春の七草ほとけのざ」ではないかなと思っています。

 

 

 

国連「世界幸福度報告2019」に「さまざまなこと思ひだす桜かな」

  1. 朝の散歩が気持ち良い季節です。家人と二人で、駒場の住宅街から東大キャンパスへと歩きます。どなたかのお宅の花桃もキャンパスの桜も満開です。

春の到来は、何がなし幸せな気分にさせてくれます。

「さまざまなこと思いだす桜かな」(芭蕉

f:id:ksen:20190328080530j:plain2.3月20日は. 「国際幸福の日(The International Day of Happiness)」で,この日に合わせて今年も国連「世界幸福度報告2019」が発表されました。

2017年報告についてブログに書いたことがあります。今回も取り上げます。

f:id:ksen:20190327081510j:plain(1)二百頁近い膨大な報告書ですが、インターネットに掲載されて誰でも読むことができます。その年ごとに様々なテーマを取り上げてそれが「幸福度」とどのように結びつくかを調査し、報告し、提言します。

今年であれば、「良い政府の存在」と「平和と紛争」がどの程度「幸福感」に影響するか?

「社会の寛容度」の指標として「ボランティア」と「寄付」も取り上げました。

例えば、1500人以上の日本の大学生に対して、「夏休みに他人のためにお金を使ったか?」の追跡調査をして、「使った」学生の方がそうでない学生より「幸福感」が高いと結果づけています。 

(2)昨年であれば、移民や移動(例えば、中国での農村から都市への)した人たちの「幸福度」を追跡調査しました。 

(3)2017年であれば,「幸福度」には経済的な豊かさや健康だけでなく「その国の社会的基盤(social foundation)」が重要だという国連の立場を強調しました。

その上で、「トップ10か国は西欧の比較的小さな、産業化された国が多い。1人あたりGDPも極端に大きい国ではない。彼らの「高い幸福度」の主因は、1人1人を支える強固な社会基盤と平等感にある」というメッセージを披露しました。

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3.というように毎年、中身の濃い調査報告ですが、どうしても最大の関心は国別ランキングになるので、以下はこの点の報告です。

(1) 「幸福度」の国別ランキング調査に当たって国連は、「主観的」な(自分が幸せだと思っているかどうかの)物差しが重要だという考え方を採用しています。

(2) 具体的には、各国で聞き取り調査を実施して、自分の幸福度を0から10までのスケールのどこかに位置付けてもらいます。

このポイントで各国を比較して順位付けします。

さらに、説明変数も使って、このポイントが客観的にも納得いく説明になるか検証します。説明変数は、(1)1人当たりGDP (2) 社会の助け合い状況 (3) 健康寿命予測 (4)社会の自由度 (5)寛容さ (6)腐敗度の6項目について、統計データと聞き取り調査を使います。

 

(3) そして、各国の「幸福度の順位付け」が毎年公表されます。

今年3月20日発表された「報告2019」 では、156か国の中で、フィンランドが昨年に続いて1位、日本は58位でした。ポイントは10点を満点として、フィンランドが7.719、日本は5.886で1.833の差でした。

 

(4)「幸福度ベスト10」は、1位フィンランド、2位デンマーク(7.60)、以下3ノルウェイ、4アイスランド、5オランダ、6スイス、7スエーデン、8ニュージーランド、9カナダ、10オーストリア(7.246)。

f:id:ksen:20190331072450j:plain順位はともかく、この10か国の顔ぶれは毎年変化がありませんでしたが、今年の報告では、オーストラリアが11位に後退し、オーストリアが入りました。

(5)「幸福度」の下位グループに来るのは、シリア、イエーメン、アフガニスタンなどの紛争地域で、最下位の南スーダンのポイントは2.853と、上位諸国とは4点から5点近い差があります。

(6)因みに、英国15位(6.99),ドイツ17、アメリカ19、フランス24、台湾25、シンガポール34、イタリー36、ロシア68・・・など。

(7)中国は93位で、一昨年79位、昨年86位と3年続けて順位が下がりました。日本も51位から54位、今年は58位に下がりました。G7の中では最下位です。

(8)日本はOECD経済協力開発機構)に加盟している36か国の中でも最下位グループです。

因みに、上位20位の19か国がOECD加盟国です。非加盟国は1国だけ、12位に入っているコスタリカです。コスタリカは中米にある人口5百万ほどの小国で、軍隊を持たない「丸腰の平和国家」として知られています。

 

4.以上が国別ランキングのあらましです。

(1)もちろん、順位に一喜一憂しても仕方ないでしょうし、所詮「君は幸せか?」という主観的なサンプリング調査で、気にすることなんかないという意見も多いかもしれません。

この「報告」、日本であまり話題になりませんが、そういう理由もあるかもしれません。

(2)たしかに、国連も、「主観的な」幸福感と「6つの指標」の数値に若干の乖離があることを認めています。 例えば、ラテン・アメリカでは前者が「説明変数」より高くなり、東アジア(日本を含む)では逆に低くなり、ラテンの人たちは一般に楽観的だというような国民性の違いのせいもあるだろうと言います。しかし、乖離はさほど大きくはなく、上述した6つの指標で、「主観的な幸福度」の4分の3以上が説明できるとしています。

f:id:ksen:20190328075346j:plain5.無視するのもおかしいのではないか、と私は思うのですが・・・・。

(1) 少なくとも、国連が主導している、世界に公表されている国際調査で、日本のランクは決して高くない(今回は韓国より低い),しかも毎年下がっている、この事実は認めるべきではないか。

(2)なぜこんなに低いのか?どうやったら国連調査手法による「幸福度」を上げられるか ?

(序でに言えば、中国はさらに低く、しかも経済は発展し豊かになっているのに順位は下がっている、なぜなのか?)

(3)そのためには、毎年の「調査報告」の内容を理解して、社会に何が不足しているか?どうしたらよいか?を考えるべきではないか、と思うのです。

f:id:ksen:20190331072653j:plain(4)例えば、「2017年の白書によると、人口10万当たりの自殺者数を示す数値で、日本は世界で6番目に高かった。若年層の自殺と事故の死亡率を先進7か国で比較すると、自殺が事故を上回ったのは日本だけ」という報道があります。

「日本の「相対的貧困率」は高い。OECD加盟国で、アメリカに次いで2番目。2015年で全世帯の16.1%が「貧困層」」という統計もあります。

(5)ところが東京の街を歩いていると、皆あまり世の中を憂いているようには見えないし、内閣支持率も高いし、パリの「黄色いベスト」運動のような激しいデモもない。

外国人観光客は増え続けて「日本は素晴らしい」と言ってるとテレビは伝えている。 

――その辺りが、私には不思議で、よく分かりません。「58位とはけしからん。国連統計なんか無視しよう」ではなく、皆で考えてみたいものです。