台風19号、ラグビー、香港などを話し合う日々

f:id:ksen:20190930145109j:plain1.台風19号は、報道や映像で、甚大な被害を知って、その惨状に衝撃を受けた方も多

いでしょう。(茅野の山奥は避けてくれたようです・・・)。

 有力な政治家が「まずまずに収まった」と発言し、後に撤回したと報じられました。

この発言には、いろいろ考えさせられました。

 古典的なベンサム功利主義の思想、よく知られる「最大多数の最大幸福」という言葉への誤解が根っこにあるのではないかと考えました。

 この言葉から、「「最大多数の幸福」を目指すのが大事➜「ある程度の少数の不幸」は仕方がない」と考えてしまう人がいるのではないでしょうか。

 社会の成員ひとりひとりではなく、全体の中の数・量で考える、死者がこの程度なら「まずまず~」と無意識に感じてしまう・・・のではないか。

 そういう、災害でも戦争でも「この程度ならやむをえない」という発想は危険ではないのか。そう感じる自分自身は、「この程度」の中に入っていないのでしょう。

 そんな思いを抱きながら、友人や家族といろいろ話を交わしました。

f:id:ksen:20191002124043j:plain2.(1)ロンドンに長く住む次女からメールが来ました。

「 改めて自然の恐ろしさを感じるニュースでした。イギリスもここ一か月ほど雨続きで気分が暗くなる毎日ですが、少なくとも「普通の雨」なので、地形的に台風やハリケーンがないことには感謝すべきだと改めて感じています」―

 かくも自然は不公平。せめて人間は可能な限り公平と正義を目指したいものです。

(2)他方で理系の友人たちに「AIだの何だのこれだけ科学が進んでも台風のような自然

の猛威を制御することは不可能なのか?」と訊いたところ、悲観的な返事でした。

――「台風のエネルギーが大きすぎて、人間の力でどうこう出来るものではなさそう」

――「人類が1世紀以上にわたって排出し続けた温室効果ガスによる影響が、いよいよ牙をむきだしたと疑わざるを得ません。」

 もう一人、建築の設計専門家に、「電柱の地中化をもっと早く進めるべきではないか?河川の堤防が、あんなに簡単に決壊するものか?」と質問したところ、「まったくご指摘の通り」という返事でした。

「電柱の地中化について、先進国でこんなに電柱が多いのは日本ぐらいではないか」。

堤防決壊については「土木専門の友人に訊いてみたが「かなりの程度人災だと思う」という意見が多かった」と言っていました。

 何やら心配な話です。災害が起きると、これからも統治者は「まずまずで収まった」と感じるか、「想定外の事態だった」と釈明するかのどちらかで終わるのでしょうか。

3.暗い話とは裏腹にラグビー・ユニオンW杯は、明るい話題です。

(1)昔の職場同期の有志10名前後が毎月集まって勉強会をやっていますが、10月の例

会はスコットランド戦の翌々日でした。

f:id:ksen:20191019080941j:plain勉強会の今回の議題は「香港は生き残れるか」でした。講師の某君は香港勤務もあり、海外勤務の多い我々は勤務した地を好きになる傾向が強いので、彼もいまの現状を大いに心配しています。

――「予断は許さないが、第二の天安門事件はないのではないか。いまは30年前と違って世界が許さないだろう。しかし、香港人の要求を中国政府が受け入れるとは思えない。よって、対立は長期化し、暴力は使わないまでも、相当な締め付けで民主派の骨抜きを狙ってくるのではないか」――という、これも悲観的な見立てでした。

(2)終わって雑談になり、当然にラグビーの話題になり、皆が明るくなりました。

出席した同期生の中に銀行のラグビー部OBが2人いて、小規模な銀行だったにも拘わらず当時インターバンクで強かったという話を始めました。

「俺と先輩某さんの2人がロックをやったときは、スクラムでどこにも負けなかった」だの、「ラグビーは素晴らしいスポーツ。やっていて本当に楽しかった。それぞれの個性を持ったメンバーが集まり、上下関係がうるさくない。東銀の文化に似てる。だから強かったのかも」という自慢話まで出て、他の連中は「本当かな?」といった表情で聞いていました。

(3)たしかに、オリンピックやサッカーと違って、国籍に縛られずに一定の条件を満た

せばその国の代表になれるというのは「多様性」と言っていいでしょうね。

 東京新聞の10月14日社説は、「ラグビー8強、多様性が生んだ快挙」という見出しで、こう書いています。

―――代表チームには日本で生まれ育った選手の他に、多様な国々から集まったメンバーがいる。ジョセフHCは「ワンチーム」を掲げた。その言葉の下でチームは結束し,

出身国の違いを強みに変えたーーー

 こういう指摘、もちろんその通りでしょう。

(4)しかし、わざわざラグビーにだけ「多様性の快挙」と騒ぐのも、日本社会そのもの

が「多様化」していない裏返しなのかな、と少し滑稽な感じもしました。

 例えばオーストラリアであれば、25百万の人口の約3割が外国生まれ、国民の半分が自らが移民か親が移民かです。ラグビー代表の顔ぶれを見てあらためて「多様化してる」なんて思わないでしょう。

ラグビー選手の選考基準は特別、だからここだけは多様化している」という認識だけで終わるとしたら、社会そのものは一向に変わらないのではないか。

4.そもそもラグビーの場合は、歴史的な背景もあって、必ずしも国別対抗ではない。

(1)だからこそ、「英国(正式名はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国、United Kingdom)」からはイングランドスコットランドウェールズがそれぞれ独立のチームが出るし、逆に北アイルランドは「アイルランド」のチームに合流する。

 これは面白いですね。一部とはいえ、現在の「国民国家」を大前提とする国際秩序の例外になっている。

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(2)ただこの点で私は誤解していました。歴史的な事情で、英国とアイルランドに限っての例外だと思っていましたが、ラグビーW杯予選には「香港」のチームも参加しています。

 前々回のブログに岡村さんが「願わくば香港が出て、サモア、フィジーあたりと対戦すればなあと考えながら見てました」とコメント頂き、「いい夢物語ですね」と返事しました。

 ところが、沢崎さんが私の誤解を解いてくれました。――「香港は当然ながらラグビーの歴史が長く、選手はほぼ全員アマチュアだと思いますが国際大会にも「香港」で出場しています。今回のW杯も最後の一枠をカナダなどと争いました。デモの参加者の中にも、この大会を楽しみにしていた人々がいたかもしれない、と想像して何ともいえない気持ちになります」。

(3)あの中国でさえ、ラグビー「香港ドラゴンズ」の存在に異を唱えられないとしたら、これは面白いですね。

 早速ググると、「最新の世界ランキング24位」とあります。大会に出ているカナダが22位ですから結構強いです。

f:id:ksen:20191019083635j:plain        国籍条項はないのだから、イングランドスコットランドから有力な選手が加入して、さらに強いチームになって、岡村さんが言われるように予選を突破して世界大会に出るようなことがあれば・・・・「それこそ多様性の快挙」として世界が香港を応援するのではないか。

しかし、その前に中国が介入して、英国も腰が引けて自国選手の加入にブレーキを掛けるかもしれない・・・・

なんてことをいろいろいろと考えた次第です。

 

 

台風が荒れる週末に、蓼科とニューヨークを思い出す。

1.昨夜の東京は台風19号の直撃を受けました。強烈な雨風。家人が率先して、自転車をしっかり縛り付けるなど事前の防備を固めました。

長野の田舎では、台風前に急いで農作物の収穫を終えてしまったでしょう。

つい1週間前、まだ台風の影も見えない穏やかな日々を蓼科で過ごしたことを思い出しました。その頃は、田も実り、畑仕事の人も見ましたが、これらがどうなっているか。被害が少ないとよいのですが。

以下はそんな1週間前の報告です。

2.到着の当日、家の周りを歩いて、早速出迎えてくれたのが鹿でした。

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f:id:ksen:20191002113138j:plainこの時期の眺めが好きなので、滞在中、家人と車で里山まで下りました。

刈り入れを終え、稲束をまとめ、脱穀作業をしている年配の夫婦がいました。

今は刈り入れも脱穀も機械でできるようになって、昔に比べてはるかに楽になった、しかし設備費用がかかり、自然相手で災害の心配もあり、「私は退職した年金生活者だからいいが、農業だけではほとんど赤字だろう」と言っていました。

3.田舎家のあたりは、山荘が散在していますが、定住している人は少なく、盛夏を除けば人も少ない、木々に囲まれた山奥です。

のんびり散歩もします。この時期、人に行き交うことはほとんどありませんが、たまに出会うこともあり、その際はお互いに挨拶するのが何となくマナーになっています。

顔見知りでなければ、挨拶だけで終わります。女性同士は男性より少し積極的で、家人は結構初めての人と立ち話になったりします。

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今回は私も珍しく、年配の女性と話をする機会がありました。坂道を杖を突いて歩いていると、女性が一人反対側から下ってきて、「こんにちは」と挨拶すると、珍しく声を掛けられました。

普通はそのまま通り過ぎるのですが、「知っている方とそっくりなので、思わずお声をかけてしまいました」と言われて、立ち止まって会話が始まりました。

「近くに住んでいてよくお会いしていたが、今年の夏前に急逝されました。京都大学の先生でとても良い方で、寂しく思っていたところだったので」と言われて、

「私はそんなインテリではありませんよ」と苦笑いをしました。

遠くから見て、痩せた背格好がたまたま似ていたのでしょう。

 71歳だそうですが、知らない女性と話をするのは珍しい経験でした。

このあたりもとうぜん高齢化が進んでいます。互いに当地だけの知り合いで、主に春から夏の短い間だけご近所づきあいをして、「また来年お会いしましょう」と言って別れて、翌年になったらもう姿を見せないという方もおられます。死去されたか、移動が無理になったか、事情は様々でしょうが、前触れなく突然会わなくなる場合が多く、この女性が「寂しく思っていた」と言う気持ちはよく分かります。

1年ぶりに今年もまたと思っていたら、もう会えない・・・そんな淡い・夏の間だけの交流で、立ち入って深く付き合った訳でもない、それでも去年が最後だったのだと、高原でともに過ごした思い出の幾つかが懐かしく蘇るものです。

4.この立ち話のことは家人にも報告しました。

(1)私たちもいつそんな状態になるか分からない、まずは運転がいつまでできるかだなと思いながら、今回も中央高速を交代で運転しました。

行きかえりともに好天で、渋滞もなく、車も比較的少なく、助かりました。

帰路ではまた富士山がよく見えました。そういう日和と時間帯をできるだけ選んで走るということもあります。雨の日や夜は可能な限り避けます。

追い越し車線には殆ど出ず、制限速度ちょっとで走ります。

(2)今回は、行きがけの下り路線で、珍しい経験をしました。

談合坂のレストエリアで休憩して、再び高速に乗って小渕沢のインターチェンジで下りて一般道に入るまでの約90キロを私が運転しましたが、この間、前と後ろに1台ずつ、ほぼ同じ速度で走る車があって、道中ずっと一緒でした。

前は中型のトラック、後ろは白いトヨタプリウスで、車間距離もそこそこ取って、私の車を挟んで3台が、1時間以上の間、ほぼ時速80キロでずっと走りました。仲間がいる気分がなかなかいいものす。

(3)大昔アメリカのハイウェイをよくこんな風に運転したことを思い出しました。

車線が4つも5つもあるからということもあるでしょう。

日本だったら、そもそも高速道路で制限速度で走る車が少ないし、高速でも普通2車線ですから走行車線を車間距離をあけて走っていると間に別の車が入ってきて、同じ3台が並んで走るという状況は難しい。

f:id:ksen:20091108060038j:plain(4)もう1つ、ニューヨークの近辺にある「パークウェイ」の存在です。

これも交差点のない・上下分離されたハイウェイですが、特徴的なのは、バスやトラックなどの商用車は走行できない、乗用車のみの道路です。

その代わり車線は2つか3つしかありませんが、眺めのよい郊外や川沿いや緑の中を走る場合が多い。

そういうパークウェイで、前と後ろに制限速度でずっと同じように走る車がいる、追い抜きもしない、そんなアメリカでのドライブ経験を懐かしく思い出しました。

 それと、当時から「オート・クルージング」と呼ばれる、速度を一定にセットしておける装置がついている車が多かったことも1つの理由かもしれません。

(5)もう何十年以上も昔の話ですから、いまは運転事情も変わっているでしょう。

道路も老朽化しているのではないか。昔のアメリカのハイウェイは素晴らしかったけど。

住まいのすぐ近くに小川が流れていて、川に沿った緑の中を高速道路「ブロンクス・リバー・パークウェイ」が走っていました。

あれから35年、ニューヨークに行くことももうないでしょう。

(6)先週、東京では5年ぶりにニューヨークから一時帰国したもと同じ職場の女性に会いました。

派遣の女子行員としてニューヨーク支店に勤務し、日本に帰ってから銀行をやめてコロンビア大学の大学院に留学し、そのままニューヨークに住み着いた68歳になる女性です。

f:id:ksen:20191008072127j:plain東北大震災の後日本国籍をとり、今年2月日本で死去したドナルド・キーンさんは、コロンビア大で長く日本の古典文学を教えました。

彼女もかってゼミ生だったので、9月に同大学ドナルド・キーン日本文化センターで開かれた「偲ぶ会」に出たそうで、その話を聞きました。

キーン先生に学び、いまアメリカ各地の大学で教えている研究者が大勢集まり、それぞれが故人の思い出を語った由。日本文学を愛するアメリカ人研究者が彼の遺志を継いで活動しているという話を、嬉しく聞きました。

約200人が集まり、映像と好きだった音楽が流れ、それぞれが思い出を語り(涙を流している教え子もいた)、堅苦しい式次第もVIPの登場もなく、彼を本当に慕った人たちによる、いい会だったそうです。

「好きなオペラと言えば、マリア・カラス歌う「清らかな女神よCasta Diva」(『ノルマ』)も当然流れたでしょうね?」と訊いたら、「もちろん」という答えでした。

1952年ロンドンのコベント・ガーデンで実際にこの舞台を見ていて、その感激を熱っぽく語っています(2013年TBS放映の小沢征爾との対談で)。

英国最高裁の判決は「蜘蛛と一緒にやってきた」

1.先週は茅野の山奥で家人と二人で過ごしました。稲が黄金色に実り、刈り入れが終わったところもあり、この時期の里山はいちばん好きな風景です。

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2.前回は、英国ジョンソン首相の議会閉鎖と、これを「違法」とした最高裁判決を取り上げました。

ジョンソン首相は、敗訴も議会の議決も、エコノミスト誌の「議会に譲歩せざるを得ないだろうと」の予測や「2回目の国民投票をすべし」との主張も意に介せず、10月末の離脱に向けての決意は堅いようです。

今回のブログはそういった本論から逸れますが、同じくエコノミスト誌最新号(9月28日~10月4日)を紹介します。

(1)同誌は6本の「論説(Leaders)」を載せていますが、うち1つ(A)が前回紹介した

英国の「最高裁とジョンソンの敗訴」について、もう1つ(B)が米国の「トランプ弾劾の期待と危険」と題するものです。

(2)そして表紙はこの二人が同じ衣装を着て肩を組んで立っている絵姿で、題は「Twitterdum and Twaddledee」とあります。

よく分からないなと早速ウィキペディアで調べたところ、この言葉はサイトがありませんが、

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「Tweedledum and Tweedledee(トゥイードルダムとトゥイードルディー)」という言葉なら、以下のように出てきました。

――イギリスの童謡とルイス・キャロルの『鏡の中のアリス』にでてくる2人の登場人物の名前。以来この言葉は西欧の大衆文化で、お互いにそっくりで同じような行動をとる二人を、とくに軽蔑的(derogatory)な文脈で使われるようになった ――

(3)後者が正しい英語ですが、エコノミスト誌が前者のように言葉遊びをして、「Tweedle(キーキー音を出す)」というもとの単語を、「Twitterツイッターを多用する)トランプ」と「Twaddle(無駄口をたたく)ジョンソン」と変えて使っているのでしょう。

ごく真面目な雑誌ですが、よくこういう遊び心を発揮します。英国人なら、もとの言葉をいじったなとすぐに分かってにやっとするでしょう。

私はウィキのお陰でやっとわかって、少しにやっとしました。

f:id:ksen:20191006081514j:plain3.この「最高裁とジョンソン敗訴」問題について同誌は、論説(A)の他「英国(Britain)」欄にももう1つ記事を載せています。

(1)論説は判決が与えるBrexitへの影響について論じ、「Brexitヴィ―ルス」と呼んでこの伝染病が英国の全てを感染させていると嘆きます。

(2)そしてもう1つは、判決がジョンソン首相に与えた打撃とこれからの政局についての記事ですが、「Along came a spider((判決は)蜘蛛と一緒にやってきた)」という妙な副題がついていて、この意味が分からない。

(3)と思いながら本文を読んだところ、判決を読み上げたレディ・ヘイル最高裁長官の黒い洋服に大きな蜘蛛のブローチが飾りについていたという記事がありました。

f:id:ksen:20191003084756j:plainなるほど、それで妙な副題の意味が分かりました。

それにしてもなぜわざわざ「蜘蛛のブローチなのか?」という疑問を誰もが持ったでしょう。

(4)その点を9月24日判決当日の日刊紙ザ・ガーディアン紙が教えてくれました。

以下は、「ヘイル長官の蜘蛛のブローチは何のメッセ―ジか?」と題する同紙ファッション欄の記事(これも電子版から)です。

・ジョンソン首相の議会閉鎖を「違法」としたのはまことに大きな意味を持つ判決だったが、蜘蛛のブローチもそれに劣らずそれ自体大きな話題になった。

・誰もが、これは首相を蜘蛛の巣に絡めとるメッセージだと受け取った。

ある会社は、すぐにブローチと同じデザインの蜘蛛をあしらったTシャツを販売した。2時間も経たないうちに5千ポンド(75万円)の売上げがあり、会社はホームレスを支援する団体に寄付をした。

・レディ・ヘイルはもともと独創的なブローチが好きな女性で、蛙・カブト虫・トンボなどを持っている。最高裁のホームページの自己紹介には、何と毛虫のブローチをつけた写真が載っている。

・もっともブローチにメッセージを込めるのは彼女が初めてではない。

昨年トランプ大統領が英国を訪問し、エリザベス女王に謁見したとき、女王はオバマ前大統領に贈られたブローチを身に付けていた。もちろん女王は何も語らないが、トランプをあまり歓迎しないメッセージは明らかだと多くの国民が受けとめた。

――――というような話です。

(5)これもまた、エコノミスト誌は遊び心の副題を付けたのでしょうね。

英国人のユーモア感覚でしょうか。

それにしても、女性がこんなことを考えてブローチを選んでるとは知りませんでした。

ブローチをつけた女性に会う機会があればいいなと思いました。

夕食時に家人にこの話題を持ち出しました。「幾つも持ってはいないけど、ブローチの選択はけっこう難しい」そうです。「好き嫌いがあるみたいで、TVで見るエリザベス女王はよくつけてるが美智子上皇妃はつけてない」とも。

f:id:ksen:20191006082017j:plain4.以上は雑感ですが、最後に少しは真面目な話ということで、ツイッターダムさんこと(Twitterdum)トランプ大統領ウクライナ・スキャンダルについての、「弾劾の期待と危険」と題する同誌の「論説B」を簡単に紹介します。

(1)いわゆる「ウクライナ・スキャンダル」に関して、米国下院民主党ペロシ議長の指示のもと,トランプ大統領弾劾の動議を出すかどうかの調査を開始した。

(2)仮に、疑惑が事実とすれば、大統領の行動は大いに問題であり、過去のニクソンクリントンに比較して、米国の国益を損なった点で罪はより重いといえる。

(3)しかし弾劾に踏み切るリスクも大きい。

まず第一に、この国の分断をさらに一層深めることになる。

第二に、複雑な手続きが国民に十分理解されるか、民主党の党利党略とみなされないか。

そして第三に、仮に弾劾の動議に踏み切って下院で可決されても、共和党が多数の上院で可決される可能性はほぼないし、そうなれば一連の流れはむしろ逆にトランプ再選に有利に働くのではないか

(4)もちろん弾劾に踏み切らないリスクもある。

こんなことが許されるとすれば、将来の民主党大統領も含めて悪しき先例を残すことになり、外国政府の今後の行動にも影響するということを考えるべきである。

(5)従って、現実論より原理原則論に立って(弾劾に向けて)行動する方が望ましいと本誌は考えるが・・・・上にあげた種々のリスクがあり、「サイコロを振るか否か?」は非常に危険な選択である。

――――とエコノミスト誌は論じています。

いささか歯切れの悪い論旨ですが、それだけ難しい問題だということでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英国憲法とジョンソン首相の議会閉鎖をめぐる最高裁判決

1.まずは、昨日のラグビー・ワールドカップ、日本の対アイルランド戦、素晴ら

しい勝利でしたね。

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山口(雪)さん、コメント有難うございます。私も全く同じ「現代社会に不安を感

じている後期高齢者」です。どんなに甘いと言われても、米中が「対話と共存」を目指して欲しいし、日本は憲法前文が掲げる「平和主義の精神」を訴え続けてほしいと思います。

2.さて、気候のせいもあるのでしょうか、刺されると命にもかかわるというスズメバチが今年は大量に発生しているそうです。我が家も気が付いたら竹の木に大きな巣を作っていました。早速業者に頼んで駆除してもらいました。女王バチに働きバチ200匹はいただろう、とは業者の話です。

それでも秋祭りの季節でもあり、我が家の前を北沢八幡宮のおみこしが通るのを見て、飛び出して写真を撮りました。

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3.話を世界に広げると、前回は米中新冷戦と香港・台湾の今後が気になると書きました。

他に気になる動きは、

・中東、とくにイランとサウジの緊張,

・国連の気候行動サミットと世界に拡がる若者の抗議の声、

・トランプの「ウクライナ・スキャンダル」、

・ そして、英国最高裁でジョンソンの議会閉鎖を差し止める判決が出たこと、

などでしょうか。

その中で、今回は英国についてです。

(1).Brexitをめぐる混乱でメイ首相が辞任表明したのが5月24日(後任のジョンソン

が7月24日就任)。

辞任直後のエコノミスト誌6月1日号は、「次に来る打撃(Next to blow)―英国の憲法」と題して、議会がダイナマイトを抱えている絵を表紙に載せました。

政治の混迷の背後には英国の憲法問題があり、何れこれが問われるという危機の表明ですが、今回、まさにその通りになりました。

f:id:ksen:20190925132135j:plain(2).同誌の主張は、

――英国は、成文の「憲法」(正確には、議会の制定法を拘束できる、より上位の「法典化された憲法」)はなく、長い歴史で形成された種々の法や判例や慣行で国のシステムを作ってきた。その結果、300年以上、妥協と話し合いによる弾力的な国造りを成し遂げたことを誇りにしてきた。

(3).しかし、今回の混迷は、このやり方のリスクを露わにした。

例えば、議会と政府が意見が分かれた場合、どちらがより強い権限をもつか、成文の規定がない(注:日本であれば憲法41条に「国会は国権の最高機関」とある)。

そもそも、多数の法や規則・慣行には整合性がなく、憲法はその寄せ集めで、そのあいまいさが問題を生じている。

――というものです。

4.従って、このような憲法問題を解決するためには、司法の判断を仰ぐしかない。

だからこそ、ジョンソン首相による前例のない5週間という議会閉鎖の措置(女王が形式的に署名して有効となる)が許されるかの訴訟が野党議員などから起こされました。

被告の政府側は「前例がある」と反論したが、9月24日最高裁は全員一致で、「違法」としました。ジョンソン首相の敗訴です。

最高裁の判決は、それ自体が法になり、これを無視することは「司法の独立」を犯し、民主主義の否定につながる。

しかしジョンソンは、「本件は最高裁の出る幕ではない」と猛烈に反論しています。

5.私は、以下の通り今回の判決は大きな意義があると考えます。

(1).3日間の集中審議で素早く結論を示した(日本の裁判の遅さとは対照的)。

(2).たとえ政府の行為であっても、その合法性について裁判所は判断できるという実例

を示した。

すなわち、今回の訴訟では、まずスコットランドイングランドの下級裁が審議し、前者は「原告勝訴」とし、後者は「本件は政治行為であり、裁判所の判断事項ではない」との結論をくだし、原告は上訴した。

最高裁は、後者を退け、前者を支持し、後者のような「逃げる」ことをせず自ら責任をもって判断をくだした。

(注:日本の憲法は81条で最高裁の「違憲審査権」を認めている。しかし政治的に難しい判断を迫られる場合、イングランドの裁判所のように、「高度の政治行為であり、司法判断になじまない」として判断を回避する傾向が強い)。

(3). 最高裁は、今回の裁判はBrexitとは無関係であり、「ひとえに首相の措置の合法性

を問うものである」ことを強調している。

しかしこの判決が今後のBrexitの行方に大きく影響するのは避けられないでしょう。

f:id:ksen:20190925132343j:plain6.補足したいのは、英国の最高裁がまだできて10年の歴史しかないという事実です。

この点は、1990年代後半から21世紀初頭にかけての英国の政治改革がからみますが、以下、『議院内閣制―変貌する英国モデル』(高安健将、中公新書)からブレア首相の司法改革についての記述を紹介します。(本書については、昨年7月にブログで読後の感想を載せました。https://ksen.hatenablog.com/entry/20180708/1531004489 )

(1). 長い歴史の中で、英国はつねに議会主権であり、20世紀後半まで司法の独立には

積極的でなかった。

具体的には、「司法のトップである大法官(注:Lord Chancellorという、ディケンズの小説にも出てくる、首相より古い存在)は、閣僚と貴族院議長を兼ねる役職で、日本であれば、現職の法務大臣最高裁長官を兼ねるに等しかった」。

(2). そして、司法の代わりに、政府の暴走を止めるのは議会であり、他方で議会には自

己抑制が求められた。

それが「イングランドは、すべての国の議会の母親である」と言われるように、英国人の誇りでもあった。

しかし、政府の権力が強まり、議会の自己抑制も効かなくなり、かかる「良識と伝統」への疑問と批判が徐々に高まり・・・

(3). ついにメスを入れたのが労働党ブレア政権であり、「2005年国家構造改革法を成

立させて、貴族院から独立した最高裁判所を設置し、独自の裁判官任命制度とスタッフ、予算をもつことになった」。

「2009年には独立した最高裁が実際に動き始め、議院内閣制を外部から拘束する司法の存在がはっきりとかたちをなしたことの象徴となった」。

(4). しかし、2017年11月刊行の本書で著者はこうも続けます。

「(このブレア改革は)司法の役割を高め、その独立に向けた大きな前進ではあるが、英国の最高裁は、米国やドイツとは異なり、まだ違憲審査権はない。司法自体も、議会や政府の政策決定権を制約することには慎重な姿勢を崩していない」。

(5). そういう流れを振り返ると、今回の判決は、10歳になる英国最高裁が「慎重な姿

勢」から踏み出して、「違憲審査」の実例を作った、勇気ある行動と評価できると思います。

f:id:ksen:20190928213806j:plain7. しかし、これを受けた政治の世界は混乱を深めています。

判決を受けて再開した議会では、ジョンソン首相は強行姿勢を崩さず、離脱期限の延長をEUと交渉すべしと主張する議員たちとの対立は激化。

あまりに激しく醜い言葉のやり取りに、バーコウ下院議長は「お互いに敵ではなく、意見が対立する相手として扱うように(to treat each other as opponents and not as enemies)」と異例の注意をしたほどです。

最新のエコノミスト誌9月28日号は論説で、今回の判決の首相に与えた打撃は大きく、早晩EUと交渉する方向で議会に譲歩せざるを得ないのではないかと予測しています。

その上で、「いまはまさに2回目の国民投票に踏み切るべき時である」と主張しています。

 

 

 

東京暮らしに戻り、「米中新冷戦」を考える

1.ここ2回、アラスカで暮らした星野道夫のことを書いていますが、フェイスブックでMasuiさんから、「『旅をする木』を読み始めた。読めば読むほどに素敵な経験が書かれている」とコメントを頂きました。紹介した本を読んでくださる方がいるのはまことに嬉しいです。

山口(雪)さんからのコメントでは、今回の台風15号で、千葉県鋸南町にある別宅が吹っ飛んだとのこと。深くお見舞い申し上げます。それでも気丈に、「ケガがなくてほっとした。自分たちは家を取り壊して終わりだが、この破壊状態では、地元の方の再建は困難を極めると憂慮する」とあります。 

2.職場で同期の友人からは、先週「岩手を一周してきた。(2011年東北大震災時の)津波の大きな傷跡に驚き、その後の復興状況を目の当たりにして、感傷的な旅だった」というメールを貰いました。私は京都のNPO仲間に連れられて(彼はボランティア活動にも参加しました)、2度震災地を訪れましたが、ここ数年行っていません。

従って、いまの状況を見ていないのですが、昨年訪れた別の友人は、海に面した宮城県女川町の復興がいちばん進んでいるようだったと報告してくれました。ここには原発もありますが、幸い高台なので津波の直撃は避けられました。

f:id:ksen:20190906105241j:plain私どもは、そういった真面目な旅をすることもなく、台風の直前に帰京しましたが、茅野の山奥は、今回は被害は少なかったようです。直前に見た黄金色に実る田の光景を懐かしく思い出しています。被害がなければよかったなと思っています。

東京に戻って、渋谷の本屋まで時々歩きますが、東急百貨店に近い住宅街の一角にある鍋島松濤公園でも台風による倒木があり、こんなところでも、と驚きました。

災害日本では、いつどこで、誰の身に災難が降りかかるか分かりません。

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3.東京ではまたもとの暮らしに戻り、山も田畑も遠くなり、夏の間さぼっていた、いろんな集まりへの出席が復活し、再び世の中が身近に感じられてきました。

昔の職場の仲間に会うことが多いですが、海外が主な仕事場だったせいか、世界の出来事への関心の高い人たちが多く、勉強になります。その中で今回は、5月18日号英国エコノミスト誌の米中「新冷戦」についての特集記事を紹介したいと思います。

(1)米中の輸入関税引き上げをめぐる動きは、少し歩みよりも見られるようですが、エコノミスト誌は「貿易摩擦は問題の一部に過ぎず、現状を「新冷戦(A new kind of cold war)」と認識し、長期化を懸念している。

(2)即ち、両国はあらゆる局面で競っており、覇権争いの様相を呈している。かっては両国は「ウィン・ウィン」の関係を目指していた。今日では、両国は、おそらくはどちらも勝者にはなりえない勝負の決着を求めているようにみえる。

(3)背景にあるのは、

・言うまでもなく、中国の経済的伸張と世界戦略の強化。

・と同時に、世界的に民主主義や資本主義への信頼が低下し、中国が自らの思想・体制に自信をもち、アメリカからみれば中国の民主化への期待が薄れた。

(4)そこでアメリカは、中国が,・違法に技術を盗み、・不法に南シナ海を制圧し、・カナダやオーストラリアなどの民主主義を脅かし、・世界の平和に脅威を与えている、と非難し、中国はもちろん強硬に反論する。

(4)「新種」の冷戦とよぶの理由は、かっての米ソ対立と違って、

・軍事かつイデオロギーの対決のみならず、

・経済力のライバルでもあり、

・お互いに巨大な貿易相手国である、の3つの側面があるから(例えば、1987年ソ連アメリカの総貿易の0.25%、いま中国は13%を占める)。

f:id:ksen:20190920192620j:plain(5)Economist誌はかかる事態を懸念して、両国の対話と共存を呼びかけている(もちろん、容易ではなく、かつ時間もかかることを認めた上で)。

アメリカは自己の力を過少評価しないこと。とくに、アメリカの持つソフトパワー(自由と民主主義の理念、移民受け入れ、同盟国との連携、戦後作られた制度や規範の重視など)を大事にすること。現トランプ政権はこの点を軽視し、むしろアメリカの損失となっている。

・防衛力の強化。ハード・パワーも大事だが、知的財産権を保護しつつ、孤立主義に陥らない、開かれた体制を維持するという、両者のバランスが重要。

・共存に向けて信頼を築く努力。例えば、軍縮北朝鮮、宇宙開発、サイバー攻撃、気候変動などについてのルール作り。

(➜こんな提言は甘い、理想主義だと思う向きも多いかもしれませんが)。

4.この記事の背景を補足すると、昨年10月にアメリカのペンス副大統領の40分の演説が重要です。

f:id:ksen:20190920193508j:plain(1)スピーチは魯迅の言葉も引用して、アメリカは中国との未来は、対等で永続的な友好関係にあると信じ、手を差し伸べている。しかしそのためには、中国が「公正・互恵・主権の尊重(fairness, reciprocity, and respect for our sovereignty)」を守ることが前提であり、この点でのアメリカの決意は堅い、というもの。

この3原則は決して譲れないという強い危機感と決意を表明している。

また演説の中で、中国の民主化への期待にも触れて「 アメリカは貴国の“ 一つの中国政策”を尊重している。しかし同時に、 民主的な台湾が全ての中国国民にとって最善の途であると信じる」とも述べる。

2)以上が結論ですが、そこに至るまでに、ペンスが言うことは、

・先ずは、長くアメリカが中国を支援してきたという歴史的事実(かっての門戸開放政策やWW2から現在に至るまで)。中国がGDP第2位の大国になったのもアメリカの支援が大きく寄与しているのではないか。

・しかし、最近の中国の行動は目に余るとして経済、国際政治のみならず、中国が違法な手段でアメリカの国内での影響力を強めている事例を(「全て事実に基づいて」)具体的に糾弾する。メディア戦略、IT企業を始めとするビジネスへの介入、大学や研究機関への自治の侵害、世論操作など多岐にわたる。

 

(3)なお、アメリカだけではなく、豪州でもNZでもカナダでも中国への警戒心が高まっている。とくにこの3か国は「多文化主義」を国是にして、移民受け入れに積極的にあることから、狙われやすいと言える(昨年は豪州で”Silent Invasion, China's Influence in Australia”という本が出て、ベストセラーになったことは以前のブログでも報告した)。

5.いまこの点でいちばん懸念されるのは、一向に収束しない香港の抗議行動と来年1月に控えた台湾の総統選挙です。

10月1日の建国70周年を終えた後、中国がどう出るか?30年前の天安門事件のような強硬手段を取らないことを願いますが、もしそうなったら、アメリカはどう動くか?・・・・と気になる昨今です。

 

 

 

 

奥飛騨旅行と高齢者の運転

1.二回続けて星野道夫の『旅をする木』を紹介しました。彼には遺稿集として出された『長い旅の途上』という本もあります。生涯を「旅」に過ごし、その途上に彼方の世界に逝ってしまいました。

f:id:ksen:20190915072739j:plainコメントを頂いた山口(雪)さん、フェイスブックの岡村さん、有難うございます。

山口さんはご長男の影響で星野道夫をよく読んだ由。

岡村さんは、私の知らない「冒険家」の名前をあげ、中には冒険の途次若くして死んだ有名・無名の多くの人々がいるとコメントしてくださいました。

例えば、上温湯隆。22歳の若さで2度目のアフリカでサハラ砂漠を横断する途中に死亡。「旅は無謀であるほど意義がある」という言葉を残したそうです。

例えば、いま英国の国会議員として活躍中のロリー・スチュワート。イートンからオックスフォードを出た彼の名前は知っていましたが、著書『戦禍のアフガニスタンを犬と歩く』 (邦訳は2010年白水社)は岡村さんに教えてもらいました。

大臣も経験し、EU残留派の1人で今回ジョンソン首相の強引なやり方に抗議して保守党を除名された21人の1人です。「何故この様な人までもが危険をおかして旅に出るのでしょう?」と岡村さんは問うています。

その答えは私には分かりませんが、英国人の場合はたぶんに国民性と伝統が影響しているような気もします。2つの世界大戦でイートンやオックスブリッジ出身者の死傷者が多かったという「ノブリス・オブリージ」の精神も一部にはまだ残っているかもしれません。

f:id:ksen:20190903163433j:plain2.他方で星野さんより40年近くも長く生きて徒に馬齢を重ねている私は、今月上旬、大学時代の友人2人と、気楽な観光旅行に行ってきました。

昨年は、長野の奥・渋温泉の「金具屋」という映画『千と千尋の~』の舞台になったといわれる面白い宿に泊まり、長野市松代町大本営跡を見に行きました。

松代は、戦争末期の日本の悲劇の一端を知る上で勉強になりました。

――「第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画をたて、1944年7月中旬、東條英機内閣最後の閣議で建設を決定した。」

「地下壕は、1944年11月11日から45年8月15日の終戦の日まで、およそ9カ月の間に建設されたもので、突貫工事をもって,全工程の8割が完成した。

この建設には当時の金額で1億円から2億円もの巨費が投じられ、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたといわれている。」

――と案内書にある地下壕は、象山・舞鶴山など3つの山の中に造られた。

舞鶴山には大本営天皇御座所、宮内省が入る予定で、御座所の一部は外から覗くことができます。

f:id:ksen:20190904085333j:plain現在一部が公開されている象山が政府機関の予定地で、戦後長く忘れられていたが、1985年にある私立高校の郷土研究班の生徒たちが、平和のための史跡として保存・公開することを長野市長に提案し、実現したそうです。

3.今年は、新穂高温泉から白川郷五箇山をみて、高山に泊まるという、やはり2泊3日の行程ですが、もっぱら「観光」でした。

宿は、3人が一部屋に泊まりますから、年金生活者には手頃な値段です。

新穂高の温泉宿はなかなかよい湯でした。

天気はいまいちでしたが、それでも朝食の食堂から、雲の晴れ間から槍ヶ岳の頂きが遠くに見えて、「ラッキーですね」とおかみさんに言われました。

お湯は、貸し切りの露天風呂が3つもあり、それぞれに渓流に面していながら趣向が異なり、幸いお客さんも少なかったので、いちばん小さな風呂に二度も入りました。

湯舟に大きなブランコがあり、子供が喜んで入ることでしょう。

翌日は世界遺産白川郷五箇山を見に行きました。

f:id:ksen:20190904125530j:plain私は初めてでしたが、冬の豪雪地帯で住めるように、江戸時代末期から明治にかけて作られた茅葺の合掌造りの家屋がいまも何十軒も残っていて、住民も暮らしています。保存していくのは苦労も多いでしょう。そのためには、静かに暮らしつつも観光地化せざるを得ないのでしょう。昔の日本の農村の姿を思い起こすよすがになりました。

この日の泊りは高山でした。

4.松本までは電車で行き、レンタカーをして、これらの地を回って、3日目の午後また松本に戻ってくるという約200キロの道程です。

道程のかなりが、道幅が狭く、カーブの多い、暗いトンネルの多い山道で、運転は友人の1人が終始担当しましたが、さすがに慎重でした。幸いに車がさほど多くなく、その点は助かりましたが、彼は後ろからついてくる車があると、道幅が広いところで停まって後続を先に行かせます。高齢者らしい運転です。

彼は日ごろ「運転が好き」と言っているのでもっぱら任せました。他の1人はすでに免許を返上し、私はいまだに続けていますが、手を挙げて「やろう」というほど好きでもなく、いざというときの待機要員にすぎません。

老人3人が、車中ずっと一緒に過ごし、夜も同じ部屋で寝るまで過ごす訳ですからその間いろんなことを喋り、これもまたなかなか楽しいものです。いまの国際情勢、日本の過去の戦争や戦後、病気の話、孫の話など多岐にわたりますが、どうしても車と運転にも及びます。高齢者の運転への懸念が大きく報道される昨今、いつまで続けるかといった話です。

f:id:ksen:20190904113948j:plain周りの友人の中にも、老いを自覚したり、子供に言われたり、昨今の世相を懸念したりして、車を手放した・免許も返上したという話をよく聞くようになりました。

我が家にとっても悩ましい問題ですが、以下のような状況です。

(1)年のうち3か月は長野の山奥の古い家で過ごす。都会の喧騒から逃れたくて、いっそ定住したいと思うくらいだが、公共交通機関がなく、車がないとどこにも行けない地である。地元の老人も90歳を過ぎても軽自動車を運転している。

(2)ということで車は手放せないので、出来ればもう暫くは続けたい。

(3)気をつけていることは、

・車に高齢者マークをつける。

・都内では、とくに人混みでは殆ど運転しない。

・夜、雨の日の運転も出来るだけ避ける。

・高速を走るときは、追い越し車線にはほとんど入らず(つまり追い越しをせず)、走行車線を時速80から90キロぐらいで走る、休憩をなるべく多く取る。

・何かあったらたいへんなので、孫や他人はなるべく乗せない。

・情報収集が大事―例えば「眠眠打破」というカフェイン入りの飲み物がコンビニでも売っているが、眠気を追い払うには効き目がある。20年も昔からあるそうだが、我が家は情報にうとく、昨年松代の旅で友人に教えてもらった。

・他方で、車の安全装備の設置や利用の仕方も変化し、進歩しているようで、こういう情報も口コミなどで出来るだけ入手するようにしている。

・そうかと言って、今さら新車を買い替えるほどの気力も経済力もなく、古い大衆車を何とか乗り続ける・・・・

といったところでしょうか。

f:id:ksen:20190907094140j:plain5.ということで、友人との観光旅行を終えた翌々日も、家人と通いなれた道を茅野から東京まで交代で運転しました。9週間続けて滞在したので、本や書類・衣類・食料品など山のような荷物を積んで、中央高速を走りました。

天気の良い日で、途中富士山もよく見え、渋滞もなく、何とか無事に帰り着きました。

次回は10月初めに予定しています。

我が家の場合、上記の上温湯さんの言う「旅」ではなく、必要に迫られての「移動」なので、「無謀」は絶対に避けて安全に移動したいと思っています。

 

 

 

星野道夫と『旅をする木』再び

1.茅野の山奥には木々だけは豊富にあります。家人がエサ台を作って、ひまわり

の種子を置いておくと小鳥が止まってついばんでいきます。

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2.「木」といえば今回も、『旅をする木』から知った星野道夫さんのことです。

アラスカに暮らし続けて15年も経って書いたこのエッセイ集から、彼の軌跡を辿ると、

(1)初めての海外行きは1969年16歳の高校生の夏、父親に資金をカンパしてもらっ

て、約40日間バスやヒッチハイクアメリカ、メキシコ、カナダを一人旅する。

(2)慶応大学生の1973年、アラスカの極北の村でエスキモーの家族と3カ月生活をともにし、クジラ漁を手伝う。

(3)1978年、アラスカ大学受験のため再び日本を離れ、以後フェアバンクスを拠点に、海鳥の調査に参加したり、カヤックで旅したり、氷河でオーロラを撮影したり、カリブー(トナカイ)の季節移動を追いかけたりする。

(4)この間、自分たちの先祖はワタリガラスなどの動物の化身なのだと信じる先住民の神話やトーテムポールの存在に関心を深めて、調査と取材を続け、彼らが遠い昔にやってきたベーリング海峡の向こう側のロシアまで調査を伸ばし、熊に襲われて命を落とす。

3.星野さんの文章と写真から感じるのは、彼の行動力、実行力、大自然・動物・先住民と彼らの神話に対する深い愛情、そして誰とでも仲良くなる人柄の魅力です。

以下、その実例を幾つか紹介します。

まず初めての一人旅について書いた「16歳のこと」という文章から引用します。

――「カナダでヒッチハイクをしながら拾ってもらったある家族とは、10日間も一緒に旅をし、25年も経った今も家族のようなつながりが続いている。昨年久しぶりに夫婦が住むエドモントンを訪れ、25年前の旅の話に花を咲かせた」。

当時7歳だったビリンダはカナダの個性的な女優になり・・・・「あの日、国道でヒッチハイクをしていたミチオの前を通り過ぎた後、ビリンダが、どうしても“もう一度戻って乗せてあげて”と言い張ったの」と年老いた母親が懐かしそうに話してくれた。

4.「ある家族の旅」はアラスカ大学の同級生ケビンとその家族について。

(1)父が飛行機事故で他界、娘シェリーを亡くすなど不幸に遭い、母親パットは残った4人の子供を連れてマサチューセッツから移住したばかりだった。

コロンビア大で学ぶシェリーは、アメリカ大統領の中国語通訳の候補に上がっていたほどの優秀な学生だったが、ある殺人事件の犠牲者となる。(略)母親がアラスカに旅立ったのはそれから2か月後のことだった。以来十数年をこの地で暮らすことになる。

(2)他方、ケビンはコーネル大学の博士課程を終え、父の後を継いで化学者となる。知り合って15年後、星野がアメリカ東部の町ピッツバーグで初めての写真展を開いた時、オープニングのパーテイに結婚したばかりの奥さんを連れてはるばるニューヨークから駆けつけてくれた。

(3)そして星野は、「アラスカの自然は、母親のパットだけではなく、この家族にそれぞれの力を与えたような気がした」と書き、なぜ自分もアラスカに根をおろそうとしたかについて語る。――21歳の時、中学からの親友Tが信州の山で遭難死した、「遭難現場でTの母親に会った。子どものころから世話になっているぼくにとって、彼女は自分の母親のようでもあった。変わり果てたTを見つめ、涙さえ見せなかった。“あの子のぶんまで生きてほしい”と微笑みながら言った」。

f:id:ksen:20190901170255j:plain(4)1年がたち、星野は悲しみの中からある答えを見つける。それは「Tの母親の言葉に帰り、好きなことをやっていこう、とにかくもう一度アラスカに戻らなければならない」という強い思いだった・・・・。

5.そもそも、初めてアラスカの地を踏むことができた経緯はというと、

(1)10代のある日、神田の古本屋街の洋書専門店で、アラスカの写真集を見つけて夢中になる。その中に「どうしても気になる1枚の写真があった。北極圏のあるエスキモーの村を空から撮った写真」で、「キャプションに村の名前が書かれていた・・・」。

(2)「この村に手紙を出してみよう、でも誰に?住所は?辞書を開くと、村長にあたる英語が見つかった。住所は、村の名前にアラスカとアメリカを付け加えて出すしかない。

“あなたの村の写真を本で見ました。たずねてみたいと思っています。何でもしますので、誰かぼくを世話してくれる人はいないでしょうか・・・”」。

(3)「初めて書いた英語の手紙がいかにつたなかったか」と星野は書く。「当然、返事は来なかった」。

➜ところが半年もあったある日、1通の外国郵便が届いた。村のある家族からで“・・・夏はトナカイ狩りの季節です。人出も必要です。・・・いつでも来なさい・・・”。

(4)「約半年の準備をへて、アラスカに向かった」彼は、3か月の強烈な体験をする。

「初めてのクマ、アザラシ猟、トナカイ狩り、太陽が沈まぬ白夜、さまざまな村人との出会い・・・」。

f:id:ksen:20190901110112j:plain(5)「この旅を通し、人の暮らしの多様性に惹かれていった」と書く彼はまた、「生命体の本質とは、他者を殺して食べることにある」という当たり前の真実に目覚める。

そして、「私たちには、時間という壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が必要だ」という、ある神話学者の言葉に納得し、上に書いたように親友の死にも遭って、この地に戻って定住する決意を固めるのです。

(6)「アラスカとの出会い」と題するこの短いエッセイは、20年以上も経ってフェアバンクスに居る彼に親友のブッシュ・パイロットのドンから電話が入るところから始まります。「いま、ナショナル・ジオグラフィック・マガジンからカメラマンが来ている。北極圏にカリブーの季節移動を撮りに行くらしい。おまえに情報を聞きたがっているんだ」。

名前にかすかな記憶があって、古い写真集を持参して、彼に会いにホテルに出向くと・・・・何と星野が魅せられた写真を撮影した当人だった・・・・。

「そうか、私の写真が君の人生を変えてしまったんだね」と言う初老の写真家の目の奥が、優しく笑っていた、とは星野道夫の言葉です。

f:id:ksen:20190831130850j:plain(7) 以上(1)から(6)まで、長い小説が書けそうだなと私なら思うのですが、星野はたった6頁の短い文章で済ませます。まるで、この程度の出来事は自分の人生の中のほんの一齣だとでも感じているかのように。

6.『旅をする木』は、こんな逸話に溢れた書物で、2回読んで,私のような老人でも心を満たされました。

最後に、生前星野と親しく、彼の早すぎる死をおそらく限りなく悲しんだ一人であるだろう池澤夏樹が書いた本書の解説から引用して終わりにします。

(1)「星野道夫はアラスカが好きで、~~厳しくて、公正で、恩恵に満ちた自然と、自然に依って正しく暮らす人々を見た。そして、自分がそれを見られたこと、その人々の出会えたことの幸福を何度もくりかえし書いた」

(2)「書物にできることはいろいろある。~~しかし、結局のところ、書物というものの最高の機能は、幸福感を伝えることだ」

「『旅をする木』で星野が書いたのは、ゆく先々で一つの風景の中に立って、あるいは誰かに会って、いかによい時間、満ち足りた時間を過ごしたかという報告である。実際のはなし、この本にはそれ以外のことは書いてない」

(3)「~~言ってみればぼくたちは、(略)彼の体験と幸福感を燃やして暖を取るエスキモーである。それがこの本の意味だろう」

――ということで、良い本と良い日本人の存在を教えてくれた、私より60歳近く若い大学生の女性に感謝しています。