今年の2月は、人に会うための外出はたった2回

  1. 先週の東京は、三寒四温でした。ちっぽけな庭に沈丁花の花が香ります。妻の姪の小学生のお子さんが、親切に小鳥のエサ台を作ってくれました。お陰で、居心地がよいのか目白が次々にやってきます。

 2月中に、人に会うために外出したのはたった2回でした。昨年・一昨年は2日に1回以上でした。変われば変わるものです。

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2. 2回の外出のうち1回は、病院行きです。

 ここ5年程、さる大病院の「倫理委員会」の外部委員になっていて、年に数回会合があり、これに出席したものです。少し補足すると、

 

(1)病院では、医療行為に関して、様々な倫理的な課題が生じたり、生じる可能性が高い課題がありえます。そのため、これらを検討する諮問委員会が設けられます。

 

(2)委員会は、病院の臨床倫理の方針、ガイドライン等の作成・提言を行ったり、現場における倫理問題についての個別事例にどう対応するかも諮問され、話合います。遺伝子診断、胎児出生前診断、臓器移植、終末期医療、難病手術の妥当性などです。

 

(3)ことが倫理の問題なので、専門家に加えて、「外部の有識者で、医学を専門としない

者」を外部委員として1名以上入れることになっています。

 

(4)ということで、諮問を要する事態が起きると、適宜召集がかかり、20人ほどの医者や看護師にまじって参加し、合議で結論を出します。

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3.「委員」には守秘義務があり、個別の事例について話すことはできません。

以下、一般的な感想に限ります。

(1)病と死の話ですから辛い気持ちで聞きます。私自身、いつ何が起こってもおかしくない年齢ですから、余計です。しかし、たいへん勉強になります。

私はいつも、「素人で申し訳ありませんが」と前置きして、無知をさらけ出した質問をするのですが、担当のお医者さんは、嫌な顔をせずいつも親切に説明してくれます。

そしてその度に感じるのは、医者の仕事はたいへんだなあという当たり前の思いです。

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(2)例えば、ある難病患者に特殊な手術をするかどうかが諮問されました。

まだ日本では実施例がないが、海外では事例がある(委員会には、その事例報告の英語の論文まで資料として提出されました)。

 

例の少ない難病であるだけに、本病院の担当医は、手術すべきとの結論にいたるまでにいろいろ手を尽くします。

この事例では、4つの他の病院に属する専門医7人が相談にのりました。オンラインで5回、情報を共有し意見交換を行いました。

その度に議事碌を残します。それが委員会に提供されます。専門的なことは分かりませんが、皆が患者の命を何とか救いたいという思いに立って、自分の全ての知見を出して話しあう、そういう真摯な姿勢が伝わってきて、感動します。

 

誰もがこういうお医者さんばかりではないかもしれない。しかし私が見た限りでは彼らの熱意と努力が伝わってきます。忙しい最中にきちんと議事録を残して、それぞれがどういう発言やアドバイスをしているかもわかります。

政治家や官僚が記録をまともに残さないことが一時、モリカケ問題で話題になりました。1人の難病患者の命を扱うときは、他の医者のアドバイスも貰い、相談された医者も親身になって協力し、そして記録を残すことにも時間をかけるのだと頭が下がりました。

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5.最後にこれも一般論ですが、臓器移植についてです。

 

(1) 皆さんは、運転免許証の裏側に臓器移植に関する意思表示の注意書きがあることをご存知でしょうか?

 3つの選択肢があって、応諾する場合は、1に丸印を付けます。その意思がない場合は、3の「私は、臓器を提供しません」に丸をつけます。

私は、55年以上も運転していて、委員会で話題になるまで、この注意書きに全く気づかず、読んだことがありませんでした。妻に訊いたところ彼女も知りませんでした。

 

(2)病院側の説明によると私だけではなくて、印をつける人はごく少数のようです。

そしてそもそも、日本では臓器移植をする人が少ないと説明がありました。

病院としては何とか提供してくれる人の数を増やしたい。そのためには病院としてどういうことが出来るだろうか?というのがこの日の議題でした。

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(3) それまで私もまったく知識も関心もなかったのですが、たまたま1年ほど前の東京新聞に、ある学校の理事長が「不思議な日本の医療」と題するコラムを書いていました。そこから引用すると以下の通りです。

―-「・・・臓器提供者(ドナー)の数で欧米諸国では人口百万人当たりで年間20~35人なのに対して、日本では2018年のドナー数は百万人当たり0.76人にすぎない。

・・・命の危険を感じながら臓器移植を待つ患者さんにとって、日本はつらい国であることに違いありません」

 

(4)上記の某理事長の記述を読むと、病院側の何とかドナーが増えてほしいという気持ちがよく分かります。

そこで、「恥ずかしながら今迄、運転免許証の注意書きに気づきませんでした。早速、提供に賛同する丸を付けます」と発言したところ、「有難い申し出ですが、70歳以上の方の提供は役に立たないのです」と丁寧に説明して頂きました。

他者に役立つことが殆どなくなった年齢であることを痛感しました。

ささやかなユーモアと「言葉を取り戻せ!」

  1. 先週の東京は良い日和が多く、世田谷羽根木公園の梅林まで散歩しました。恒例の梅まつりは今年は中止ですが、距離を空けつつ梅を見る人が、それぞれ楽しんでいました。

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  1. 前回は台湾のデジタル大臣オードリー・タン氏を紹介しました。本人のみならず、同氏を登用した蔡英文総統の識見に対する評価を、下前・Masui両氏から頂きました。「日本ではあり得ない」というコメントが付いていました。

 2月12日付毎日新聞に、御厨(みくりや)東大名誉教授の「国会に「言葉」を取り戻せ」という長いインタビュー記事が載っていました。

「『異論を挟むヤツは自民党から出ていけ』という空気一色に染まった党内で政策論争ができるわけがない。野党もまた論争能力を磨けずに衰えていった。・・・国会に言葉を取り戻せなければ、この国に未来はない」。

 そして、「政治の担い手が文字通りに十年一日のようであることが大問題、と御厨さんは憤る」とありました。「異業種にいた優秀な人材や若い世代が政治の世界に参入すれば、それが新しい風を吹かせ、政界をガラリと変えていく可能性があると思います」と言っていますが、本当にそうなるでしょうか。私も下前さんと同じく、悲観的ですが・・・・。

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  1. 田中(美)さんからは、タン氏が「ユーモアの大切さ」を強調したことに納得した、とコメントを頂きました。

 ユーモアについては年12月20日のブログでも、「「サンタクロースは高齢ですから皆さんが心配するのはわかります。しかし新型コロナ・ウィルスの免疫を持っているから大丈夫、来てくれます」と真面目に答えたWHOのドクターの言葉について、漱石の「ユーモア論」とともに紹介しました。

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3.今回も、コロナとユーモアに関わる話です。

 台湾のコロナ対策については、タン氏だけでなく昨年6月放送されたNHKの特集番組でも、疫病対策の責任者だった陳建仁副総統がやはり同じく道傳さんとの対話で、「ユーモアの大切さ」を語っていました。

 彼が紹介したのは以下の事例です。

――女の子がピンクのマスクをしていて、いじめられた(日本の学校の「髪は黒であるべし」に似た「マスクは白であるべし」の校則でもあったのでしょうか)。

それを知った陳氏以下はある日のテレビでのコロナ対策の会見時に、全員ピンクのマスクを着けて現れた。―――

 

 これが「ユーモア」だという陳さんの心の中には、「優しさ」があったろうと思います。

 漱石は、そういう英国流のユーモアをよく理解していました。彼は、日本語でいえば「こっけい」にあたる、しかし、その上で「深い同情がなければならぬ」と付け加えます。

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4.ユーモアについての定義は山のようにあります。

以下は古い本ですが愛読書、河盛好蔵著『エスプリとユーモア』(岩波新書1969年)からの引用です。

 

・「もし、“わたしはでくの坊です”と言ったら、それがユーモアなんです。もし“あなたはでくの坊です”と言ったら、それがウィット(エスプリ、機知)なんです)」

・「ユーモアと機知の本質的な違いは、機知が常に意図的であるのに対して、ユーモアは常に非意図的なことである」

・「ユーモアは、他人を傷つけることを求めず、ただ自己を守るだけである。剣ではなく楯(たて)なのである。」

・「ユーモアは、我々の不安な生活における潤滑油であり、我々の生きている社会と我々の関係を調節し、我々が苦境に傷ついたとき、いつでも傷口に塗る膏薬を持ってきてくれる親しい、優しい友人なのである。

 

➜皆でピンクのマスクをつけてテレビに出ることによって、陳さん以下のコロナ対策メンバーは、いじめられている女の子を剣ではなく「楯」で守ったのです。

 

5.これに対して、「あなたはでくの坊です」と言うのがエスプリ(あるいはウィット)。これは言葉の技術であり、とくに返し言葉の形でめざましい働きをする、と河盛好蔵は言います。

――フランス革命から復古王政期にかけて活躍した政治家タレーランは、ある日、友人と散歩をしていた。友人は得意になっていろいろ裏情報を教えてくれる。そのとき偶然そばを通った男が大きなあくびをした。それを見てタレーランは言った。

 「君、声が大きすぎるようだぜ」――

 こういう事例を幾つも紹介したあとで、河盛好蔵は、「私は日本人のような緊張度の強い国民性の持主のあいだでは、イギリス風のユーモアはなかなか育たないのではないかと思う者であるが、鋭いエスプリの持主は、たくさん出てくるのではないかと思う」と書いています。

 「深い同情」に包まれたユーモアが日本でも育つでしょうか?

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  1. 最後に、些細な話ですが、数日前、BS1の朝の国際ニュースを見ていたら、英国の田舎の村で、隣り同士の6家族のところで次々に赤ちゃんが誕生したというニュースを報道していました。

 幸せそうな6家族が次々に画面に登場して、赤ちゃんを見せながら語っていました。

これも、コロナ対策で必要な「ユーモア」ある報道ではないかなと思いながら、何となく明るい気持ちになって画面を眺めました。

国際文化会館の「次世代リーダー」ウェビナーで聞く、オードリー・タン大臣の話

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  1. ネットを通じて繋がる社会がどんどん広がっています。前回紹介した、20歳を迎えたウィキペディアはその良い面を代表しているでしょう。他方で、誹謗中傷やフェイクニュースや炎上の弊害も大きい。両者善悪のせめぎ合いが、これからも続けられるでしょう。

 とくに、このコロナ禍でのステイ・ホームがネット社会化を加速させています。

「ウェビナー」と言う新語が出来ました。ウェブとセミナーを組み合わせた造語で、ズームなどのツールを使って、インターネット上で行われるセミナーです。

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  1. (1)国際文化会館も最近、オンラインで盛んに発信しています。

以前は会員向けの講演会は六本木の会館内で開催されていたのが、最近はウェビナーが主体になりました。

 良い点は、わざわざバスや電車に乗って都心まで出かける必要がなく、従来なら物理的に日本に来た人でないと講演してもらえなかったが、世界中誰とでもネットで繋がることです。

 

(2) 今年1月からは、「インド太平洋次世代リーダーによるウェビナーシリーズ」が始まりました。

私がいままで視聴したのは以下の3回です。

・第1回(1月15日)は、「オードリー・タン氏(台湾デジタル担当政務委員)に訊く」。

・第2回(1月22日)は、「コロナ禍での教育実践や女子教育について」。マララ・ユスフザイ氏(2014年ノーベル平和賞受賞)など登場。

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・第5回(2月12日)は、ジャーナリストの伊藤詩織さんが「アジアにおける#MeToo―性暴力に共に立ち向かうには」と題して。

何れも「会場はオンライン」とあります。

 

(3) 当日は進行役のNHK道傳愛子さんがスピーカーと対話形式で進めるやり方で、当人たちはすべて英語ですが、日本語の同時通訳が付きます。

道傳さんは、質問も的確で、上手にスピーカーの話を引きだします。3回を通して彼女が何度も口にしたのは、「多様性(diversity)と包摂(inclusion)」という言葉で、セミナーを通して、次世代リーダーを象徴するキーワードにしたいという彼女の狙いを感じました。

 

  1. ここでは第1回のオードーリー・タン氏を取り上げます。

台湾はコロナ対策で世界から注目されています。ロックダウンも緊急事態宣言もなく、民主主義を守りつつ、コロナを抑え込んでいます。「台湾モデル」の成功は、デジタル化と市民参画にあると言われますが、タン氏はその社会改革の中心人物です。

1981年生まれ。小中学校で不登校を経験、高校に進学せず、IT業界を経て35歳の2016年、蔡英文総統が民間から閣僚に抜擢。トランスジェンダーを公表しています。IQ(知能指数)は測定限界を超えた「天才」だそうです。

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  1. 以下は印象に残ったことのみです。

(1)「噂よりユーモア(humor over rumor)」という言葉を2回使いました。噂よりユーモアのアプローチの方が価値があり、早く広まる。だから、コロナ対策にはユーモアが欠かせないと強調しました。

 

(2)母親の影響――台湾の人口は23百万人だが20以上の言語が使用されている。社会活動家だった母は、「それぞれの文化がユニークな価値を持っている」といつも語ってくれた。

 

(3)行政だけではダメ。市民の参加と信頼が必要。そのためには「18歳以上じゃないと資格がない」などと言ってはダメ。15歳でも16歳でも良い意見を出す人がいる。台湾では、若い人と、70歳から80歳代の人がいちばん活発である。

既存の価値や考えは尊重すべきだが、他方で若者が提案し、意見を言う、それを受け入れる「多様性と包摂」がとても大切。そしてそこでも、ユーモアが大事。

 

(4)私が、コロナ対策にも未来にも楽観的なのは、デジタル技術を通したコラボレーション(協働)の可能性を信じているからである。デジタルとは、「1と2、男と女」ではなく、「複数(plural)」ということ。複数の「包摂(inclusion)」が鍵になる。

 

(5)「すべての岩にはひびがある、ひびがあるから光りがあたる」という言葉を大事にしている。完璧であることは諦めろという意味だ。私自身かっては完璧主義者だった。しかしこの言葉を知って変わった。

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(6)民主主義は、やり方は1つではないという考えに立っている。多様性を大事にし、賛成も反対もいろんな意見を出し、知識とアイディアを共有し、大枠のコンセンサスをつくることが大切と思う。

 

(7) 「コロナは人類に対する警鐘ではないか?」という問いに対して、「皆が共同の問題に直面し、結束して力を出し合う重要性に気づいたのではないか。そうなれば、例えば気候変動だって対処できるのではないか」。

そして、

(8)「こんなたいへんな時期に、どうしてそんなに楽観的で、落ち着いていられるのですか?」という質問には、「たしかに忙しいです。しかし、毎日8時間は寝ることです。それだけです。PCやスマホは家に持ち込まないし、タッチ・スクリーンにとらわれている人間ではありません。早く寝て、朝起きたときに考えがすっきりまとまっていることを実感します」と答えていました。

天才と言われるオードリー・タン氏は、年中PCやスマホに向かっているネット・オタクではないかと思っていたので、面白く聞きました。

「20歳になったウィキペディア」と「カニンガムの法則」

1. 2月に入り、カレンダーを1枚めくりました。

今年の東京の梅は少し遅く、朝散歩する駒場の日本民芸館もちらほらです。

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2.前回のブログで京都のボランティア団体「ミンナソラノシタ」の新しいプロジェクトを紹介しました。Masuiさんから、「藤野さんの文章を読み、ホームページを見て感動した」というコメントとともに、寄付をして下さいました。心から感謝致します。

このコロナ禍で、あしなが育英会など困っている団体は多い。「貧者の一灯」を寄付する人や1人あたりの件数は増えているでしょう。限られた予算の中で、どこを応援しようか悩む年金生活者も多い筈です。そのような中で、Masuiさんのお気持ちは嬉しいです。

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3.日本でも「寄付の文化」が根付いているのだと思い、今回はウィキペディアについて報告させて頂きます。

「専門家でなくても誰でも書きこめ、無料で利用できる、万人の万人のためのオンライン百科事典」です。会費も広告も取らず、運営費は寄付に頼る。執筆や編集に報酬はなく、それぞれが自発的に参加する。

 寄付については、ご存知の方も多いでしょうが、利用しているとサイトにときどき「依頼」の文言が入ります。

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  1. 最初は個人的プロジェクトとして2001年に開始され、その後非営利団体であるウィキペディア財団(本部はサンフランシスコ)の運営にうつり、今年の1月15日に20周年を迎えました。

 英エコノミスト誌1月9日号は、「科学技術の「別の」巨人、20歳を迎えたウィキペディア(以下「ウィキ」)は今や高い評価を受けている」と題する記事を「国際欄」に載せました。

 以下に簡単に記事を紹介します。

(1) 20年経って、月に世界で200億件以上の閲覧を誇る、最大の、もっとも参照される標準の参考書となった。

(2)300近い言語で、55百万件以上の項目を提供しており、すべてボランティアの仕事である。英語版だけで620万項目、これは、印刷すると2800冊にも相当する分量である(因みに日本語は約120万)。

(3) スタート当初は、「アマチュアの作成する辞典」と見下され、「専門家が執筆する、権威あるブリタニカ百科事典(1768年創刊)」に比べて、評価はきわめて低かった。

しかし、2005年に高名な化学雑誌「ネイチャー」は、「英語版のウィキはブリタニカと比較して、間違いの数で変わらない」という調査結果を発表した。

 

(4) いまや、アマゾンやグーグルなどが公式に利用し、WHO(世界保健機構)はウィキと協力してインフォデミック退治に取り組んでいる(注―インフォデミックとはWHOの造語で、コロナについての不正確あるいは誤った情報が急速に拡散し、社会に影響を及ぼすこと)。

 彼らがウィキを頼りにする一つの理由に、その「中立性」がある。一方でフェイクニュースが世に溢れ、他方で情報の検閲が拡がっているいまだからこそ、評価が高まっている。 例えば、中国の「天安門事件」について、中国国内のネット辞典には情報はないが、ウィキは中国語版も英語版も長大な記事を掲載している。

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5.とした上で、同じITを活用した組織だが、「GAFA(グーグル・アマゾン・フェイスブック・アップル)」との違いは、収益志向でないボランティア団体である、そこからウィキの特徴である「中立性」が生まれるとして以下補足します。即ち、

  • 株主がいない 
  • 億万長者を生み出さない
  • 広告を一切しない
  • 20世紀末のインターネット文化を特徴づける、技術への楽観主義
  • その上で、「知識が世界を良くすると信じている」執筆者と編集者の無償の情熱から成り立っている。

 エコノミスト誌が「「別の」科学技術の巨人(The other tech giant)」と呼ぶ所以です。

 

6.そして同誌は、ウィキを支えているのは、利用者と応援団であり、「その成功の多くは、利用者が作り出した文化である」。

「いちばん重要なのは、記載に間違いがあれば、誰かがそれを指摘し、訂正する」、このことが質向上の鍵としてきわめて重要であり、まさに「カニンガムの法則」である」。

初めて聞いた言葉だったので早速、ウィキを参照しました。

――「インターネット上で正しい答えを得る最良の方法は質問することではなく、間違った答えを書くことである」という法則である。

スティーブン・マクギーディが提唱し、法則の名前はウィキの発明者であるウォード・カニンガムから取った。スティーブンによると、ウィキペディアはこの法則の一番有名な例である。―――

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7. 以上、エコノミスト誌にしては辛口や皮肉なトーンがなく、素直に評価している文章です。

 同誌の、「ウィキは風変りな存在(oddity)であり、シリコンバレー特有の成功の処方箋を逸脱している」という評価は、ウィキの文化は、資本主義を変える力を持っているのではないかということかもしれないと思いました。

 そして、友人の廣田尚久さんが昨年8月河出書房新社から出した『ポスト・コロナ』を思い出しました。

 同書はブログで紹介しましたが、副題でもある「資本主義から共存主義へという未来」を提言しています。

 https://ksen.hatenablog.com/entry/2020/10/04/074713

 

京都のボランティア団体「ミンナソラノシタ」まだ頑張ってます

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1. 年に2回発行する「あとらす」という素人雑誌の編集の手伝いをしています。

執筆者は全員アマチュアですが、大学の名誉教授など何人もいて、皆さん楽しく自由に寄稿してくれます。

最新の43号(ということは20年以上続いています)が届き、私は「パンデミック2020―ステイホームの中間報告」と題して、自粛生活での「雑感」を文章にしました。

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  1. 1年前のちょうど今頃、京都に行ったことから書き始めました。

 中国での新型コロナウィルス発生がすでに報道されていましたが、まだあまり気にせず、多くの人に会いました。「京都の朝はイノダのコーヒから」も、割烹「松長」の夜も、楽しみました。

上洛の主目的である、毎年恒例の従妹の家でのカルタ会と二次会は、20人近い老若男女の親族が「密」そのもので騒ぎました。懐かしいです。

雑誌を、カルタ会主宰の従妹に送ったところ、「卓史さんでも、加茂川と比叡山を見て、ホッコリされるのですねえ。京都の人でないのに、そんな気分になられるのは、驚きです」という感想が来ました。私が本稿の冒頭に、「バスに乗って窓からみえる比叡山や鴨川を眺めるだけでほっとします」と書いたことへの感想です。メールには「加茂川」と書いてあって、どっちが正しいのかな?とどうでもいいことを考えています。

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3,以来、上洛することができず、寂しく思っているところです。ただ、京都の友人の中には、365日ブログを書いたり、フェイスブックで近況報告をしたり、コメントを頂く方も居られるので、いつも身近に感じます。

今回は、その中から一般財団法人藤野家住宅保存会(https://fujinoke.kyoto/ )

理事長の藤野さんから、

・京都のボランティア団体「ミンナソラノシタ」(以下「ミナソラ」 https://minasora.org/ )

の最近の活動の拡散依頼メールを頂きましたので、取り急ぎ紹介いたします。

  藤野さんは、発足当初から顧問で、上述した雑誌「あとらす」の37号にも「ミンナソラノシタの2000日―福島の子どもたちを応援する京都のお母さんの奮闘記」という紹介文を書いて下さいました。

 頂いたメールには、

「スマイルボタン3.11プロジェクトという壮大な企画がスタートしました。

福島近郊に「ミナソラの家」を作ろうと、林リエさん(注:創始者で、代表。三児の母親で仕事も頑張っている女性)たちは張り切っています。

この頑張りはどこから来るのかと驚いています。プロジェクト紹介用のビデオも良くできているのでご覧ください」とあります。以下のサイトです。

https://minasora.org/smilebutton311

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4.いままでの活動について簡単に触れると以下の通りです。

(1) ミナソラについては、過去のブログで何度も取り上げていますが、福島の幼稚園に通う子供たちを支援する、京都の若い母親たちの活動です。今年で10年になる3.11の原発事故の直後から始めています。有給や専任のスタッフはおらず、全て20人ほどの主婦の手仕事です。

 

(2) 最初は、京都で避難生活を続ける母親たちや、現地の幼稚園での支援などから始まりました。その後、「幼稚園留学」と銘打って、子ども達を3週間京都に招いて京都の幼稚園で自由に外で遊んでもらうという活動(福島では残存放射能の問題があり、なかなか難しい)も加わりました。

短期間でも京都に来て交流し、外で遊べることがどれだけ楽しい思い出か、「感謝している」と涙ながらに語る,映像に参加したお母さんもおられました。

(3)「ミナソラ」の活動が特徴的なのは、同年令の子ども達を持つ母親の間で、自然発生的に始まったボランティア活動であること、苦労はいまも多い、「暇な余裕のある人のやることではないか」という批判もないではない。しかしめげずに明るく、仕事や子育ての忙しい日々を縫って、自分たちが出来ることを地道に継続していること、などでしょうか。「継続は力なり」です。

(4) 5年以上前、私も藤野さんに誘われて、林リエさんと一緒に福島の幼稚園を訪れたことがあります。外で遊べない子供たちのために室内用の砂場の砂を寄贈するという目的でした。こういう状況での子育てに悩む母親たちの悩みを聞く機会もありました。

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5.上にあげた藤野さんの文章は、このあたりのことをとても上手に書いています。

林さんについて、「その情熱は凄まじいものがあり、深い思いに溢れている」と紹介します。その上で、経営的にはたいへん苦しいが、マスコミ戦略や企業へのアプローチが巧い。従って心意気に共感したメディアにしばしば取り上げられるし、応援してくれる企業も出てきている、と報告しています。

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6.林さん自身は、こう言っています。

(1) 原発のことも、福島のことも何も知らなかった私たち「ママ友」がこの活動を始めるにあたっては、何よりも子供たちの未来を全力で守る社会であって欲しいという願いが根底にある。

(2) 皆さんへの願いは、いまの福島を知ってほしいということ、まだまだ応援が必要だということ。

 

7.こんな地道な活動を10年も続けて、さらなる一歩を進んで、福島郊外に「こどもの家」を作ろうとしている、経営が苦しいというのに、さらに大きなプロジェクトに挑戦しようとしている。藤野さんではないが、「この頑張りはどこから来るのかと驚いています」、と同時に頭が下がります。

日本の未来は、こういう女性と若者に期待できるのではないでしょうか。

大統領就任演説とフォークソング「This land is your land ♪」

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  1. 先週はもっぱらステイホームで、小さな庭に鳥が来るのを見るのが楽しいです。

妻が、みかんをかりんの木の枝においておくと、目白が来ます。大きなひよどりもきます。妻は、「たくさん食べてしまう」と言って、追い払うときもあります。それでも、先に目白が来て食べることもあり、そんなときはひよどりも、目白が居なくなるのを待ってから飛んできます。

 他方で、別の枝に脂身を置いておくと、今度はシジュウカラがやってきます。この鳥は肉食らしく、みかんには触れません。そんな訳で、同じかりんの木に、目白とシジュウカラが一緒にとまって別の食べ物をつついている光景もみます。

 お互いが先を争う光景は見たことがありません。平和共存して、食べています。

 

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2. そんな小鳥たちの世界を眺めながら、バイデン米大統領の就任式の模様をネットで見ました。現地時間の20日、首都ワシントンの連邦議会議事堂前で無事に行われました。

(1)新大統領の宣誓と就任演説がハイライトですが、その他に、人気歌手により歌が歌われ、22歳の黒人女性が自作の詩を朗読し、牧師の説教がありました。

 歌われたのは、国歌のほか、「我が祖国」「アメイジング・グレイス」などです。

「我が祖国」の原題は「This land is your land」です。

「この国は、あなたたちの場所、そして私の場所~~この国は、あなたたちと私のために創られた」、アメリカでもっとも好まれるフォークソングです。

 

(2) 2009年1月、オバマ大統領就任を記念する、「私たちはひとつ(We are one)」と題した大野外コンサートが首都ワシントンの広場で開かれました。そのときにも歌われました。

 リンカーン記念堂を背に、壇上で歌手と一緒に大勢の多様な人種の若者が楽しそうに歌う、群衆も一緒に歌う、オバマも聴衆に混じっている場面など、いい画像です。

https://www.youtube.com/watch?v=HE4H0k8TDgw&feature=endscreen&NR=1

(3) この頃は、初の黒人大統領を迎えるこの国は、まだそういうムードだったのでしょう。

トランプの登場によって変わりました。

そして再び、新大統領が、就任演説で、「団結」を呼びかけました。

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3.4年前、2017年1月のトランプ大統領就任演説のスピーチは16分。「民主主義」という言葉は一度も出ませんでした。

(1) 代わりに出たのは、「国家への忠誠」や「愛国心」「愛国者」という言葉でした。

(2) そして、「我々」と「彼ら」とを区別し、「彼ら」――外国政府や企業、現在の指導者たち、エリート一般――への、アメリカの現状(荒廃した都市、空っぽになった工場、犯罪や麻薬)への「怒り」を語りました。

(3)その上で、「我々の国の忘れられた男女は、もう忘れられることはない」と約束し、「もういちどアメリカを偉大にする」と誓いました。

 

4.他方でバイデンは、21分の就任演説で、「民主主義」「憲法」「団結(unity)」を、そして最後には「物語(story)」という言葉を、それぞれ10回も使って国民に呼びかけました。これらが今回のメッセージのキーワードだったと思います。

 

(1)中でも私は、「物語」という言葉がもっとも印象に残りました。

「~私たちはともに、怖れではなく、希望の物語を書こう~~(And together we will write an American story of hope, not fear.~~~)」。

(2)大事なのは、この語りの中で「together 」と呼びかけていることです。

 私たちみんなが一緒に、この国の「希望、団結、灯り、品格、尊厳、愛、そして癒し、偉大さそして善良の物語」の書き手になろうではないか、と語りかけていることです。

(3)バイデンはその上で、「新型コロナウィルスで亡くなった仲間たちに敬意を表し、黙とうをしよう。」と呼びかけました。

(4)また、「団結という言葉は、一部の人々には愚かな空想だと響くだろう」と認めます。 

 しかし、それでも、「私たちは互いを敵ではなく、隣人として理解することができる」と語り、「少しで良いから、相手の立場に立って(to stand in their shoes)」と私の母がいつも言っていたように、と語ります。

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5.難しいのは、このような呼びかけが、果たしてトランプ支持者の耳に届いたかどうかです。

  厄介なのは、トランプ支持者は、議事堂に乱入するような極右の連中はむしろ一部で、多数は「穏やかな人たち」だと言われることです。

  新政権の難しい前途を予想させます。いままでの民主党に見捨てられたと感じている人たちにどうやって聞いてもらえるか、言葉から行動と実践が求められます。バイデン自身が言っています。「言葉以上のものが必要です。民主主義の中でもっとも得がたいもの、団結が必要です」。

 

6.それでも、まずは言葉が大事で、やはり国民の心を打つでしょう。

  日本のトップ・リーダーも、「言葉」に出すこと、呼びかけることの大切さを信じてほしいです。

  まずは、どれだけ多くの人がコロナの病に倒れ、命を奪われ、日々苦しんでいるかに思いを致していることを言葉で示してほしい。その上で、「ポスト・コロナの新しい日本の物語(Japan’s story)」を語ってほしいものです。

タイム誌「2020年パーソン・オブ・ザ・イヤー」は「アメリカの物語」を変えるか?

  1. 新大統領の就任を3日後に控えて、アメリカはどうなってしまったのかと感じている人が多いのではないでしょうか。

 6日連邦議会の議事堂にトランプ落選を認めない過激な右派の暴徒が押し入り、トランプが扇動したとして、下院は弾劾の手続きに入り、13日可決されました。共和党の議員が10人賛成に回りました。上院で3分の2の賛成で弾劾が成立しますが、多数の造反者が共和党から出ないかぎり、その可能性は低い。しかし、20日の就任式には、さらなる暴力的な動きも懸念されるという、異常事態です。

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  1. これらの動きが気になりますが、まずその前に、タイム誌の昨年12月28日号「2020年今年の人」のバイデン&ハリス選出の理由を振り返ります。

 新大統領が選出されるのは、米大統領選挙の年は恒例ですが、副大統領も一緒は今回初めてです。女性で初、少数民族(黒人とインド系)の出身で初という、アメリカの「多様性」を象徴する出来事として大きな話題です。

 

  1. 思えば、2016年の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」は、同年の選挙で事前の予想をくつがえして民主党候補のヒラリー・クリントンを破って当選したドラルド・トランプでした。

 タイム誌は毎回、選んだ人を一言で示す言葉で紹介をします。

 例えば、2019年はいままでの最年少、当時16歳のグレタ・トゥンべリさんを「若者の力(The Power of Youth)」と題して選びました。

 4年前のトランプ氏選出にあたっては、「President of the Divided States of America」 という副題を付けました。“United(統一された)”の代わりに“Divided(分裂した)”アメリカの大統領、というわけです。

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  1. 2020年の「今年の人」バイデンとハリスには、タイム誌は「アメリカの物語を変える(Changing America’s Story)二人」と題しました。

(1)アメリカは、いま大きな危機と課題を抱えている。世界最大のコロナの被害、経済格差の広がり、人種差別、気候変動の悪影響、分断と怒り・憎しみの拡がり・・・・

(2)仮にトランプ政権が、混乱と分断の4年間だったとすれば、新政権がとるべき途は、国民の結束、多様性のある人材の活用、そして他の国々との協調であろう。

(3) このような未来を目指して、二人は、自国民とともに世界に対しても、「共感(empathy)と癒し(healing)の力を共有しよう」と呼びかけている。

(4)この新しい「アメリカの物語」に期待するがゆえに、タイム誌は彼らを「2020年のパーソン・オブ・ザ・イヤー」に選んだ。

f:id:ksen:20210114090148j:plain5. ところが、その後の一連の動きはご承知の通りで、ついには、議事堂への暴徒乱入、民主党によるトランプ弾劾の動きにまで進展しました。タイム誌が期待する「アメリカの物語」は果たして可能だろうか、と考えざるをえません。

 英国エコノミスト誌論説は、暴徒が議事堂に乱入する様は、「まさにトランプ氏が反アメリカ的な大統領であることを印象づける映像」であり、「モスコーや北京は喜んで放映し、ベルリンやパリは悲しんだ」と伝えました。

 BBCは、上院での弾劾手続きが長びくことは新バイデン政権の政策運営に支障をきたすのではないかと懸念します。

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6.しかしまた、この二つの英国メディアは、大統領選挙後の一連の出来事は結果として新政権にとって自らのヴィジョンや政策を実現する好機になったと、楽観的な見方も示しています。

(1)要は、トランプが自ら墓穴を掘ったといってよい。

(2)彼が素直に大統領選挙の敗北を認めていたら、ジョージア州上院議員選挙で2人のうち少なくとも1人は共和党が獲得できただろう。そうすれば、上院は共和党の多数となり、トランプの影響力も残り、2026年に再選される可能性だってあっただろう。

(3)その後、暴動から弾劾への動きが続き、共和党内部からも批判と離反が出始め、世論も厳しく、おそらくはトランプの政治生命も終わるし、「トランピズム」の勢いも削がれるのではないか。

(4)「トランピズム」とは、自国第一のディール(取引)優先、既存の国際合意や気候変動の危機などを否定し、文化や人種の多様性に対する非寛容な態度などトランプに典型的にみられる政治的姿勢と考え方のことです。反リベラルな民主主義であり、世界に拡がっています。

 

(5)「トランプの人気は、彼がホワイトハウスを去ったあとも残るだろうし、トランピズムも簡単には消えないだろう」とする悲観的な見方がむしろ多い中で、楽観的であることの大切さを感じます。

悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」と言ったフランスの哲学者も思い出します。

 もちろんこの場合の「楽観主義」とは、単なる楽観論ではなく、厳しい現実を見据えた上で、それでも「人間の意志とヴィジョンと行動によって未来を良い方向に変えていける」という覚悟に立った考え方でしょう。