茅野市平和記念式典と緑陰での野点(のだて)

  1. 先週は、コロナ禍でも屋外に出て人に会う機会がありました。

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(1) 1つは「茅野(ちの)市平和祈念式」です。例年、広島に原爆が投下された8月6日に実施され、今年が26回目でした。

 

昨年と同じくコロナ対策で、席の間隔を空け、式次第も短縮されました。市の中学生10人が広島・長崎両市長からのメッセージを読み上げ、原爆投下時間の朝8時15分に黙とうをし、そのあと千羽鶴の「献鶴」と献花をして終わりました。

 

参加者は茅野市長他60人ほど、若い人たちの姿も見え、継続していくことに意味があると思っています。

この時期、2014年までは京都の仕事(集中講義など)がありましたが、15年からは茅野に滞在し、ここ7年続けて妻と出席して黙とうと献花をしています。

 

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(2) 原爆忌や茅野の式典については、ブログでも毎年取り上げています。2019年のブログは、地元の中学でジョン・レノンの「イマジン」を生徒と歌う、式典で出会った若い先生の話。24回茅野市平和祈念式典とジョン・レノンの「イマジン」 - 川本卓史京都活動日記 (hatenablog.com)

 

(3)  今年は核禁止条約が発効された年です。現在、条約の批准国は55か国、署名は86か国。条約への署名・批准を求める意見書は、茅野市を含めて現在589自治体から出ており、全1718自治体の34%強に上りますが、日本政府は無視しています。

 

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2. もうひとつ、8月3日(火)に、ワクチン接種を終えた高齢者が集まり、庭で簡単なお茶会を開きました。

(1) お茶を点てて振る舞う亭主役は近くに住む年下の友人宮本さん、裏千家宗匠です。彼が居たから可能になりました。

 

(2) 宮本家には茶室もありますが、今回は「密」を避けて野点をやろうという趣向

でした。

 格式ばったことはやめて、作法もほぼ無視して、緑陰のなかでしばし浮世の憂さと騒ぎを忘れ、お茶を楽しむ趣向です。

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(3) 但し、宮本宗匠は準備も入念、「矢筈のすすき」を大きな花入れにいれて飾ったり、水指し(釣瓶)にいれた近くの名水(当地は八ヶ岳を源流とするおいしい水がある)を振る舞ったり、濃茶の茶碗は、大樋焼、赤楽、萩、唐津、志野と客によって使い分けるなど、心遣いいっぱいでした。

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(4)宮本夫人も尽力してくれました。主(おも)菓子もお干菓子も彼女の手作り、地元の食材を使い、干菓子は数日前に知人の竹林で切ってきた青竹を細工して器にしたという苦心の代物です。

 手作りのお菓子を含めて素朴な、まさに、沢庵和尚のいう「天地自然の和気あいあいをもてあそぶ」茶の精神を体現していると感じました。

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  1. 今回の催しの趣旨は、京都の従妹夫婦を信州の山奥に招くことでした。(1)二人は遠路はるばる、電車を2回乗り換えて2泊し、お茶や食事会や温泉やお喋り

を楽しんでくれました。昨年の1月末以来京都に出かけていないので、久しぶりに彼らに会いました。

 

(2)従妹夫婦もコロナ発生以来どこにも行っていない、親しい友人に会う機会も少な

い、そんな状況なので、気分転換になったと思います。

猛暑の京都に帰ってから、「ヤッパリ、楽しいことしなくてはねえ。これからもよろしくお願いいたします」というメールが届きました。

 

(3) お茶を頂いたあとは、同じ場所で妻の手料理のサンドイッチを皆でつまみました。

お喋りに花が咲きました。

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従妹の家は京都御所の北、今出川通をはさんだ反対側にありますが、御所の庭には

野良猫が住んでいる、そのうちの雄雌二匹が人も車も往来の多いこの通りを、横断歩道の青信号の時に渡ってでも来たのか、家まで辿り着き、縁の下に居ついてしまった。

追い出すわけにも行かず、仕方なく「光・ド・ニャン」「ニャン・紫」と名付けた、そうしたら子供まで生んでしまい貰い手に困った、というような埒もない話を笑いながら楽しく聞きました。

 御所生まれの野良猫に、光源氏と紫上という雅な名前を付けたものです。

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4.こういうひとときが、山崎正和のいう「社交の精神」ではないかと再認識した次第です。

不要不急の外出自粛と批判されるかもしれません。しかし、人の少ない山奥に、ワクチン接種を終えた高齢者がごく稀に集まるぐらいは、許してほしい。残された時間の少ない老人にとって、こういう「社交」の時間はとても大事なのです。

ワクチン接種が早く若い人にも行き渡ることを願います。

樋口恵子さん『老いの福袋』と「老兵は~ただ消え去るのみ」

1.前々回のブログで、終末期医療の病院と女性医師を紹介しました。医師は、南杏子筆名で『いのちの停車場』などベストセラー小説も書く人です。

 友人からコメントを頂きました。図書館で300人待ちと言われたので、購入して奥様と読み、感動した。「他人ごとではなくなりました」とあり、同感です。

「老い」の問題もまさに他人事ではありません。別の友人から勧められて、『老いの福袋、ころばぬ先の知恵88』(樋口恵子、中央公論新社)を読みました。

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2. 早速アマゾンで注文し、妻はすぐに読んでしまい、夕食時に感想を話してくれました。

著者は、NPO「高齢社会をよくする女性の会」理事長、89歳。「介護の社会化」を旗印にした介護保険制度が発足するにあたって尽力したそうです。

初版が5月に出て、購入した7月にすでに5版でした。

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3本書は、日本がいかに高齢社会であるかを再認識させてくれます。

(1)「高齢化率」(全人口に占める65歳以上の割合)

――2020年9月の日本は28.7%、うち女性は31.6%、世界でダントツのトップ。

(2位はイタリアの23.3%)。

(2)2025年には、国民の10人に3人が65歳以上5人に1人が75歳以上の老人になる。

➡「どこを見てもおじいさんおばあさんだらけになる」。

(3)女性と男性の割合を比べると

➡高齢者(65歳以上)で、女6:男4,85歳以上に絞ると女2:男1,100歳以上だと、なんと9:1。

日本は「ローバ(老婆)帝国」化している、独りになった女性の多くは男性より経済力がないので、貧困が大きな問題になる。

(4) 日本人の平均寿命は2020年で女性87.74歳,男性81.64歳、

1935年(私が生まれる4年前)だと、それぞれ約50歳と47歳だった。

➡「20歳からを大人の人生と仮定すれば、人生はゆうに「倍増」したことになる」と著者は言う。

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4.世界のトップを切って高齢化が進む日本は、未来社会をどう構築するかという難問を抱えています。

しかし本書はそこに焦点を当てるものではなく、誰もがいずれは迎える老いをどう過ごすか?「老いに対する免疫をつけるサプリメントのような本」だと言います。

以下順不同で、

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(1)著者自身も80歳ごろから、ヨタヨタ・ヘロヘロする「ヨタヘロ期」が始まった。それは、「老いるショック」としてやってくる。何をするにも時間がかかる、何もしなくても忙しい、トイレで失敗する、うつになりやすい・・・・など。

(2)高齢期に失なうものとして、「人」「健康」「お金」「家」の4つの覚悟をしておくこと。

大事なのは、「金持ち」より「人持ち」でハッピーになろう!

なるべく予定を入れる、「トモ食い」を実践する。

(3) 「ピンピンコロリは幻想」、そのためにもある程度の経済力は大事で、「老人は財布を抱け」。

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(4)無理はしないこと、例えば、片づけは拒否していい、「この年齢で片付けなんて、体力も気力も消耗する」。

(5)自分でできないことが増える、他人に助けてもらわざるを得ない、そのためには、しんどいときは無理しないで、「介護され上手」になること、ユーモアも大切。

(6)「ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)」が大事と言われる。しかし著者は「ワーク・ライフ・ケア・バランス」の三位一体の人間社会を目指すべきだという。「ケア(子育て・介護・障がいを持つ人のサポート)」を別建てにとらえること。

(7)そして、「人は何歳になっても変わることができる、老年よ、大志を抱け!」

という元気のよい言葉で本書は終わります。

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5.老いを過ごすための「ころばぬ先の88の知恵」を教えてくれるので、一種のハウツー本と言えるでしょう。我々夫婦は普段はこういう本は読まないので、なるほどと読みました。老いを自覚しつつ生きていくにはノウハウも大事だということが分かりました。

1点だけ嫌味を言わせていただくと、「老年も大志を抱け」「私にはまだまだ夢があります」と言われても、少し引いてしまいます。

高齢者や介護者の暮らしの向上のために貢献された努力と実績は高く評価しますが、89歳でまだNPOの理事長を続けているのはどうか、次世代にバトンを渡すことも社会の活性化のためには大事ではないかなと皮肉を言いたくなります。

 

「西瓜を食べてた夏休み、ひまわり夕立せみの声」(吉田拓郎)

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  1. 先週は、だいたいは山暮らしを続けました。異例ずくめの東京オリンピックが始

まりましたが、ここにいると縁遠いです。田舎家には古い・小さいTVしかなく、五輪は見ません。

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 23日(金)の毎日新聞「論点」に京大前総長・ゴリラ研究の山極先生が、「本来スポ―ツとは個人やチームの力を競うもので、国の威信をかけるものではない。・・・「国のために」というのは時代錯誤だろうと思う」と書いておられ、共感しました。

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  1. 昔ほど長い距離は歩けませんが、周りを散歩はします。

 ここでは、知らない人同士でも出会えば挨拶をすることが多いです。釣り人に声を掛けられることもあります。「カブトムシを見つけたよ」と見せてくれた人もいました。

ただ、この時期の山の天気は変わりやすいです。

良く晴れた青空を眺めながらのんびり歩いていると、雷鳴が遠くから聞こえ、突然、空が暗くなり、雨がはげしく降ってきます。そして短時間でやんで、また晴れます。自然は気まぐれです。

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3.いま当地の最大の魅力は、取り立てのおいしい野菜です。JAのスーパーに行くと、生産者直売品がたくさん並んでいます。この時期、我が家の夕食は野菜中心になります。

畑仕事は、最近はもっぱら年下の友人と娘夫婦が主役ですが、これからの収穫が楽しみです。昨年は梅雨が長くて日照時間が足りず不出来でしたが、今年は大丈夫そうです。

いうまでもなく農作物は自然条件に左右される、人力ではどうにもならない面があります。

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4.庭では今年も蝉の脱皮と羽化を眺めました。

(1) 以下、「羽化」についてのウィキペディアの紹介です。

・晴れた日の夕方、終齢を迎えた幼虫は、羽化をおこなうべく、地上に出てきて周囲の樹などに登ってゆく。

・羽化のときは無防備で、この時にハチやアリなどに襲われる個体もいるため、周囲が明るいうちは羽化を始めない。

夕方地上に現れて日没後に羽化を始めるのは、夜の間に羽を伸ばし、敵の現れる朝までに飛翔できる状態にするためである。

・木の幹や葉の上に爪を立てたあと、背が割れて白い成虫が顔を出す。

成虫はまず上体が殻から出て、足を全部抜き出し、多くは腹で逆さ吊り状態にまでなる。その後、足が固まると、体を起こして腹部を抜き出し、足でぶら下がって翅を伸ばす。

・翌朝には外骨格が固まり、体色がついた成虫となるが、羽化後の成虫の性成熟には雄雌ともに日数を必要とする。

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(2)我が家のセミの「羽化」は、庭に天敵が少ないので安心なのか、日中でも見かけます。この日も午前中の出来事でした。時間のかかる、努力と根気の要る新たな命を生み出す営為です。

 こうして成虫になった蝉が地上で生きるのはせいぜい1か月程度。この間に交尾をして、雌は卵を産み、卵が孵化すると幼虫になって地中にもぐりこみ、3~17年の長い地中生活を送る。

 地上での1か月は、種を残すためでしょう。雄は鳴き声で雌に知らせます。交尾が終わると地上での短い一生は終わる。蝉には人間のような「老い」の時間はないでしょう。

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  1. 3年前の夏には、英国に住む娘が夏休みを取って孫を2人連れて一時帰国をし、田舎家で10日ほど過ごしました。

その時も庭で蝉の羽化があり、6歳だった孫がびっくりして見ていました。英国には蝉はあまりいないのでしょう。抜け殻をたくさん見つけて、並べて遊んでいました。

 そのことをブログに書きました。

京都の柳居子さんから、「空蝉は夏の季語ですね。句会に出て課題が空蝉でした」というコメントを頂きました。同じく京都の岡村さんからは、「蝉の空を並べている写真を見て男の子って同じことをするんだ。お孫さんはきっとこの日の事を思い出す日が来るんだろうなぁと思った」というコメントを頂きました。

「西瓜を食べてた夏休み、水まきしたっけ夏休み、ひまわり夕立せみの声」で終わる、吉田拓郎の「夏休み」という歌も教えて頂きました。

子供たちにとって今年の夏休みの思い出は、マスクをつけ、感染を避けてテレビ観戦

をしたオリンピックでしょうか? 

 

映画『いのちの停車場』公開記念オンライン講演会

  1. オンライン講演会が、コロナ禍の中で盛んになりました。

会場に足を運ばなくても、自宅のパソコンから視聴できるのが便利です。

このブログでも「ゴリラからの警告」など報告しました。

今回は青梅慶友病院のオンライン・イベントです。

 

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  1. 「映画『いのちの停車場』公開記念の講演会をやる」という案内が病院から届き、6月27日、田舎家で妻と2人パソコンに向かいました。

 吉永小百合主演で評判になっているぐらいの知識しかなく、なぜ慶友病院で「公開記念講演会」を実施するのか不思議でした。

 始まってすぐ、理由が分かりました。

(1)映画は、南杏子氏の同名の原作(2020年)をもとにしたもの。

(2)南氏の本名は渡辺由貴子といい、本職は医者(内科医),

(3)しかも青梅慶友病院に勤務している。

これなら同病院が彼女の講演会を企画して、理事長と対談するのは当然です。

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  1. ということで、まずは南杏子氏について。

(1)もともとは文系で、日本女子大卒業後、出版社などに勤務した。

(2)終末期医療への関心の原点は大学生のときの祖父の介護だった。夫の留学で暮らした英国で、40歳でも50歳でも大学に入り直す人がいることに目覚め、帰国後33歳で医者を志し、東海大学医学部に学士入学し、首席で卒業する。

(3)夫の仕事でスイスにも滞在、帰国後青梅慶友病院に勤務して15年目になる。

(4)かたわら、医療小説『サイレント・ブレス』で2016年55歳で小説家デビュー、すでに5作を刊行している。

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  1. 次に、青梅慶友病院について。

(1) 先代の理事長が「自分の親を安心して預けられる場所をつくる」ことを目指して1980年に開院した。「医療&終の棲家」のコンセプトで、終末期医療専門の施設である。

(2) 現在600人強の患者が入院しているが、平均年齢は90歳弱、ほとんどがここで人生の最期を迎える。いままでに8000人以上、最近は年200人強をここで見送る。病院での平均滞在期間は約4年。

(3) 毎日が楽しいと感じながら過ごしてもらい、「お陰様でいい最期でした」と遺族に言ってもらえるような病院を目指している。そのため、いろいろ企画を考える、たばこも酒もOKなど、かなりの自由を患者に許容する。

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5.以下は、渡辺医師(南杏子さん)の話と2代目理事長との対談から。

(1)処女作の題名「サイレント・ブレス」とは「静かさに満ちた日常の中で穏やかな終末期を迎えることをイメージする」言葉であり、それがこの病院の理念である。

(2)慶友病院に来て、患者への対応が他の病院と異なり、カルチャー・ショックを受けた。

・患者を病人というより、不自由ながら“人生の最後を過ごす人”として扱う。

・患者に対して全職員が“リスペクト(敬意)”を持つ、そのシステム作りが出来ている。

・家族との関係づくりを大事にする、

の3点である。

医療についても、来た当初は、つい、やり過ぎて失敗したが、ちょうどいい治療があるのだと教わった。検査しすぎない、薬漬けにしない、リハビリも適当に・・・など。

医師としてはもう戻れないということが分かる、ありのままを受け入れることが大事。

(3)これに対して、理事長は、ここは超高齢者が最晩年を過ごす場所であり、そのための終末期医療は、通常の「治す・良くする」医療とは異なることを強調していた。

良くなったかどうかをゴールにするのが普通だが、終末期医療は違う。残された家族に「いい旅立ちだった」という満足と良い思い出が残るのが病院としてのゴールだと思う。

――というような話で、たいへん勉強になりました。

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6.実は15年前、妻の母もここで最期を見送りました。

ぎりぎりまで我が家で妻が見ていたのですが、車椅子の暮らしの仕様にはなっておらず、入院してもらい、1年弱お世話になりました。96歳で亡くなりました。

 たびたび見舞いにいきましたが、気持ちよく過ごせる場所だという印象でした。東京の都心から少し遠いのが難点ですが、その代わり、緑の豊かなところにあります。

 周りに家族がいない場所でやはり寂しかったろうと思いますが、本人もそれなりに満足していたようで、病院には大変感謝しています。

ぎりぎりまで家で過ごし、滞在は比較的短期間でもありました。

そんなご縁があって、病院のOB会のメンバーにもなり、今回のイベントのお知らせを頂いたものです。

「風薫るワクチン接種の帰り道」と「句集KURIKO」

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1.掲題の俳句は、このブログに的確なコメントを頂く畏友Masuiさんの作です。勝手に載せてしまい、お許しください。

コロナ禍の中で、中高の同期生10人強がネット句会を始めました。毎月幹事が季題を出し、メンバーは自作を提出し、他のメンバーが評を書くそうで、すべてネット経由。幹事が最後に皆さんの句と評を参加者以外にもメールしてくれます。

6月の季題は「風薫る」で、この句には、「ほっとした気持ちを上手く季題に託している」という評が載りました。

私は句作どころか、俳句の知識も鑑賞眼もありません。しかし確かに、安心感が句から漂ってくるような気がします。

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2.ということで、素人が柄にもなく俳句の話です。

(1)下北沢にある隠れ家的な雰囲気のカフェに、時々ひとりで珈琲を飲みに訪れます。

ピアノと本が置いてあり、本は画集や写真集が多いですが、「KURIKO」と題した句集もありました。

作者は寺澤繰子といい、「くりこ」と読むのでしょう、自分の名前を本の題名に採用したようです。星野高士という俳人の主宰する句会に所属して、20年経って句集を出すまでになった。

(2)その星野氏の序文から、「俳句には“写生句”と“人事句“の別がある」ということを知りました。

 高濱虚子の曽孫である同氏の評は、「寺澤さんの句は人事句の典型で、面白い」「人事句といっても基本には写生が大切で、彼女にはそれがある」。

そして「虚子は、俳句は「花鳥諷詠」と言ったが、彼自身人事句も作っている。祖母星野立子(虚子の娘)は「情七写三」と言った」と解説したうえで、

「極めつけは、

―目標は月並みにしてかき氷―

このかき氷の句の季題はまったく動かない」と言います。

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3.寺澤さん自身が目指すのも、「上手下手より面白さ」。

句作を始めたのは、「バーが男の勉強机とすれば、句会は大人のメリーゴーラウンド」と言いつつ楽しさを教えてくれた兄のおかげである。

(1) 人事句とはどんなものか、彼女の作を紹介しましょう。

―「生きること母を追ふこと薺(なずな)粥」(この句は前のブログで紹介しました)

―「精神論ばかり言ふ父浅き春」(「浅き春」というから卒業近いか。私は6歳で父を失ったので、精神論でもいいから父の言うことを聞きたかった・・・・)

―「旧姓に戻りし人や秋袷(あわせ)」(和服の似合う芯の強い女性。離婚したと聞いた)

―「どこにでもありそうな顔煮大根」(私の老人顔も若い女性からみたら・・・・)

―「煮凝(にこごり)や正論といふ食へぬもの」「菊膾(きくなます)好きか嫌いかだけのこと」(煮凝も菊膾も、私は食べたことがない)

―「過日とはささやかな永遠(とわ)花水木」(この句は鎌倉の虚子立子記念館の句碑にあるらしい。過ぎ去った懐かしい日、それはささやかな永遠の時でもある)

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(2)ところで、「目標は月並みにしてかき氷、は作者の極め付きの句で、「かき氷」の季語は変えられない」と言われても、素人の私にはよくわかりません。

 しかし、「(他人からみれば月並みかもしれないが、自分には大切な・生きる)目標」に「かき氷」が唐突に提示されて結びつく、その組み合わせの意外性と面白味は感じます。

そういえばフェイスブックで、京都在住のOhteさんが、「暑い夏はこれに限る」と下鴨神社で食べた、立派なかき氷の写真(上)を載せていました。

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4.「組み合わせの妙」と言えば、俳句とは無関係ですが、犬と猫の二匹が仲良くしている写真を載せます。

 犬の「アニー」(人気ブロードウェイ・ミュージカルの主人公の女の子の名前です。大昔ニューヨークで観ました)は、散歩の途中いつも我が家の前を通ります。

猫の「たま」はすぐお近くの飼い猫です。

この二人、なぜか気が合うらしく、「たま」はいつもアニーが飼い主に連れられてやってくるのを待っています。そして二人で暫く顔を寄せて一緒に過ごします。ご近所の人気者です。

 「ワクチン接種と薫風」「目標とかき氷」「母と薺粥」「精神論の父と早春」「煮凝りと正論」「過日と花みずき」そして「アニーとたま」・・・・いずれも日本人の感性に訴える「組み合わせの魅力」があると思います、

 それに対して、「緊急事態(state of emergency)」と「オリンピック」の「組み合わせ」。これはあまりにも不条理・右往左往で、星野・寺澤両氏も「絶句」するだけではないでしょうか。

梅雨時の蓼科と職人さんのこと。

  1. 長野県茅野市の田舎家で過ごしています。雨がよく降り、山奥は静かです。りすがやってきます。里まで下りると、田の稲が少しずつ育っています。

 

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  1. 古い家なので、修理がいろいろ出てきます。

   (1) 先週はとうとう雨漏りがしました。あわてて,妻が地元の工事屋さんに電話しました。

 水回り工事が専門の小さな会社ですが、40年以上の付き合いで,家に関するすべてのトラブル処理の窓口になってくれます。

 

(2)責任者伊東さんは75歳ですがいつも元気で、今回も若い屋根屋さんに連絡して、2台の「軽」で飛んできてくれました。

 若者は器用に屋根に上がってチェックしてくれ、ストーブの煙突の周りに漏れが出来たところを塞いでくれました。純朴な若者で、信州人らしい律儀さを感じます。

 

(3) 修理中は幸い雨が上がっていましたが、夕方からまた降り出し、夜もずっと降り続

きました。すぐに対応してくれたので本当に助かりました。

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(4) 伊東さんは、「自分は屋根なんか危なくてとても登れない」と言いながら、最後まで彼の仕事を見守ってくれます。その間、いろいろ話もしてくれました。

 

・いまどき彼のような若者は珍しい。こういう仕事を継ぐ人間が、だんだん居なくなっている。会社勤めの方が楽だし、安定しているし、結婚相手も見つかりやすい。

・そもそも、「腕の良い職人」に対する需要が減って、後を継ごうにも仕事がない。将来はもっと不安。

・伊東さんの会社は、設備関係の工事・リフォームが専門なので、何とか仕事はあるが、大工や屋根屋や、まして畳屋や庭師などの需要はほとんどない。

・いま家は、大企業の規格品の建築が主体で、平均25年もてばよい、そこで建て替えるという発想が主流になって、家は「建てるのではなく、買うもの」と思う人が増えた。

――というような話でした。

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(5)先週はたまたま洗面所の修理の仕事もあって、大工さんが来て一日仕事でやってく

れました。

この大工さんも伊東さん経由でお願いしていますが76歳の高齢、やはり一人仕事で、後を継ぐ人はいないそうです。

 我が家のように50年近く住み続けている木造家屋は、とうぜんあちこち痛んできて修理の必要が出てきます。

妻が、戦前から母親が使っていた頑丈なシンガー・ミシンをいまも使っているという話を前に紹介しました。「頑丈に作り、時々修理しながら長持ちさせる」という思想がなくなっていけば、「腕のいい職人さん」も不必要になるでしょう。一つの文化が消えていくという思いがして、寂しく,心細く感じます。

  

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  1. デスクワークの経験しか知らないせいもあって、手に職を持って独りで仕事を続ける人には、これが「独立自尊」の精神だと長年敬意を抱いています。

 地元の寿司屋「なが田」にも行きましたが、ここの大将からも「独立自尊」の職人気質を感じます。

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(1)店は自宅と同じ場所で従業員は家族だけのせいもあって、安価で提供してくれて、腕がいい。そして客に媚びない。他の客の話題をしない。その代わり、修業時代の躾や料理のコツや、社会の変化などについて含蓄のある話をしてくれます。もっとも親方からは、「仕事中にぺらぺら喋るな」と厳しく言われたそうです。

 

(2)客といえば、ここ蓼科は観光地ですから、夏には、名も顔もそこそこ知られた芸能

人が入ってくることもある。大将はそういう有名人にも、特別待遇をしない。他の客と同じに淡々と接する。

 「そういう扱いと、周りの客も知らん顔をしている雰囲気を気に入ってくれる人も中にはいますが、だいたいはちやほやされる方が気分いいんでしょうか。その後あまり来て頂けません」と言って、それを気にする風もありません。 

(3)23年前に独立して店を持ち、このコロナで苦労しているでしょう。五輪を含めて国

の対策に不満は大いにありそうですが、愚痴はこぼしません。

 もともと無理して儲けようという商売っ気を感じさせない。「真面目にコツコツ」と言っています。

 

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(4)コロナもあって、昨年以来のカウンターでの差し向かいです。

金曜日で、いつもなら賑やかに混んでいるのですが、この日は雨のせいもあるか、他に客はおらず、私たち二人だけの貸し切り状態でした。

 お陰で2時間強、注文もあまりせずもっぱら喋るだけでしたが、大将は嫌な顔ひとつせず、老人のお喋りに付き合ってくれました。久しぶりに愉快な時間を過ごしました。

山極先生の「ゴリラからの警告」を視聴する。

 1. 山極壽一前京都大学総長による、5月25日に行われた「ゴリラからの警告―人間と科学の本質を読み解く」と題する講演を、YouTubeで視聴する機会がありました。

 友人某君の紹介です。なかなか面白い内容で友人に感謝しています。以下は90分の講演のほんのさわり、かつ勝手な要約です。

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2.山極先生は、ゴリラを研究対象として人類の起源を探る著名な人類学者ですが、今回も類人猿(とくにゴリラ)と人間とはどこが同じでどこが違うかを理解しながら、私たちの未来を考えていきます。

 

(1) 人間は、700万年前に直立二足歩行の動物になり、熱帯雨林から草原へ移動した。

その結果、食物が豊富に手に入るようになり、「共食」(必要以上の食べ物を持ち帰り、仲間に分配して一緒に食べる)の習性が生まれた。

 

(2)また、人間の子供は成長に時間がかかるため、育てるのに母親だけでは無理で、

共同保育」が必要になった。

「共食」と「共同保育(人間の子供だけが泣き・笑う)」➡そこから生まれるのが「共感能力」と「信頼」である。

 この2つの習慣が、ゴリラと違って、集団の規模を大きくさせるように進化し、「社会脳」を育てた。「家族」と両立する「共同体」の発生と進展である。

f:id:ksen:20210617142620j:plain(3) 共同体には言語以前の「対面によるコミュニケーション」が重要である。

ゴリラにも「対面」の習性はある(チンパンジーにはない)。しかしゴリラは「対面接触」だけだが、人間は「距離」をとり「時間」をかけたコミュニケーションが可能で、その結果、ゴリラやチンパンジーには見られない、共同体をつくる特性を備えた。

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3.ところが、この状況が、通信革命・情報革命などの文明の発展によって変わってきた。

即ち、「知識➡知能」と「意識➡直観」のバランスが崩れ、前者が肥大化し、

本来人間の特性である「共感能力と信頼(情緒的社会性)」が薄れつつある。

 個人はコミュニティから切り離されて、制度や国家や自治体に頼らざるを得なくなり、身体のつながりではなく、脳のつながり(情報交換)に時間を使っている・・・・

 

4.そこに、今回の新型コロナのような「感染症」がさらに追い打ちをかける。

即ち、本来社会的動物である人間に必要な「密」の状態が制約される。

(補足すれば、人間+家畜の数は世界の哺乳類の9割以上を占める。野生動物の数は桁が4つ少ない。このアンバランスが、ウィルスの繁殖に恰好な舞台を提供する)

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5.以上が現状認識である。

しからば、ポスト・コロナを展望して、人間の本性から必要な未来社会とは?

(1)人間はゴリラと違って、本来社会的動物である。集団を自由に移動する存在である。

(2)情緒的社会性を養うためには、「文化」と「社交」とが大切である。

(3) そして最後に、西洋哲学の古典的パラダイムだけではなく、西洋の知と東洋の知と

の融合を目指す必要があるのではないか。

 

6. 5に述べた点を少し補足します。

(1) 「文化」とは「体験と共感によって体に埋め込まれるもの」であり、人が「移動し・集まり・対話する」自由を通してグローバルに共有されてきた。

(2)その再構築にきわめて大切なのは、山崎正和がかねて唱えた「新たな社交の精神」である。

(3)「東洋の知」について補足すれば、西洋が重きをおくのが「排中律(AかBか)」の論理とすれば、東洋は「容中律(あれもこれも、或いは「中間」」を大事にする。

 

例えば、「里山」「縁側」「間や「と」の思想」は、日本の特性である。縁側は「あちら」でも「こちら」でもなく、その中間にあって両者をつなげる場所である。

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(4) これらを大切にしたうえで、これから目指すべきは、「共有」と「共感」に基礎をおいた、「移動」し、「シェアとコモンズ」をもとにした社会ではないだろうか。

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7.というような話でした。

端折り過ぎて、分かりにくいとは思いますが、お許しください。

 しかし自らの専門である、ゴリラとの比較で人間の特性を考えていくというところにユニークな面白さがあります。

 そうは言っても、世界には戦争も飢餓も貧困も感染症もなくならない。

しかし「共感」と「共有」が「ヒト」の本性だと再認識し、そこから未来社会を考えていこうという発想は、少しは未来への希望を与えてくれるのではないか。。

そんな風に感じながら、話を聞きました。