3年ぶりの京都と「田澤さん偲ぶ会」

  1. 3年振りに、新幹線に乗り、京都に2泊しました。

12月中旬でしたが、13年も住んだ街、懐かしかったです。

旅の目的は、観光でも仕事でもなく、友人や知人と会ってお喋りをする、時々街を歩くといった時間で、楽しかったです。

 

2. 出掛けたきっかけは、今年9月69歳で逝去した田澤耕さん(日本のカタルーニャ研究の第一人者、法政大学名誉教授)の「偲ぶ会」に出席したことです。

(1)田澤さんについては、

・研究者になる前の8年間、旧東京銀行に勤務し、上司だった岡田多喜男さんとはその後の辞書作成などでも熱い交友が続いた

・生前最後の作品『僕たちのバルセロナ』を、西田書店から発刊した

・他方、岡田さんと私は20代半ばからの親しい東銀仲間で、今はともに西田書店が出す雑誌「あとらす」の寄稿者である。

・という具合に三人の輪が繋がります。

(2)その「輪」に、京都の岡村さん(祇園町会長)が加わりました。

同氏から、バルセロナ文化センターで「田澤さんを偲ぶ会」があり、岡田さんに出席してほしいとの希望が伝えられました。

 

(3)岡田さんは健康上の理由で出席できません。

そこで、代わりに出て欲しいという依頼があり、代役として引き受けました。

3.バルセロナ文化センターは北大路駅賀茂川の間の北大路商店街にあります。

 数多くの図書が揃い、ミニ図書館のような場所です。

カタルーニャ文化圏の紹介を目的として」「スペイン語カタルーニャ語の学習機会を提供しに、言語と文化に関する様々なイベントを企画しています」。

 せンター長のロザリアさんは文学博士で、30年以上京都に住み、日本語も堪能です。

4.当日は、20人弱が集まり、小さいが、気持ちの良い会でした。

(1)まずロザリアさんが、田澤さんの業績や両国への貢献について、当センターに沢山の図書を寄贈したことの感謝とともに語りました。主な業績は、

・3冊の辞書、2冊の文法書など。中でも「カタルーニャ語辞典」は1000頁、4万円。日本で初めての、唯一の本格的辞書です。

カタルーニャの紹介―中公新書カタルーニャの歴史』など。

カタルーニャの有名な文学の翻訳―岩波文庫の『ダイヤモンド広場』『ティラン・ロ・ブラン』など。

漱石三島由紀夫など日本文学のカタルーニャ語への翻訳

 

(2)私は、岡田さんから預かったメッセージを代読し、彼と田澤さんとの長い・親しい関係を報告しました。

「本来は皆さんのように、ドクターあるいは先生と呼ばないといけないのだが、東銀の文化は誰でも「さん」付けなので「田澤さん」と呼ばせてもらう」とも補足しました。

 

(3)その後、出席者同士、歓談をしました。言葉を学ぶ日本人や留学など様々な理由で京都に住むスペイン人などとの立ち話は、面白かったです。

5.会には田澤夫人も参加されました。

彼女もともにバスセロナ大学で学び、やはり博士号を取得しました。同志を失った気持ちでおられるのかもしれません。

 

6.田澤さんは入行後、語学研修生としてスペインに派遣されました。彼の希望は英語かフランス語で、スペイン語は考えてもいませんでした。

図らずも全く知らない言葉を学ぶ機会を与えられて人生が変わりました。もちろん、彼の優れた業績はご自身の努力と情熱の賜物です。

しかし、きっかけは東京銀行がつくったわけで、彼自身、人生って面白いなと感じていたのではないでしょうか。

 

消えていく渋谷の本屋

  1. 今年も残り少なく、暇な老人もそれなりに慌ただしく過ごしています。

(1) 六本木の国際文化会館で,昔の職場の仲間3人が集まり。

喋るのが目的で、軽食と珈琲4杯で3時間以上。ここは何杯でもお代わりが出来るので助かります。話題は,昔と今の戦争の話。

「コロナ、戦争と続いて、来年は何が起きるか?」、もちろん誰にも分かりませんが天変地異が来ないことを祈ります。

ロビーにはクリスマス・ツリーが飾られ、庭では新郎新婦が写真を撮っていました。

(2) 六本木と言えば、妻と二人で国立新美術館に行き、友人の奥様のキルト展を拝見しました。入口近くに「ヘビ出没注意」の看板があり、「冬にヘビ!」と驚きました。

(3) 英国の娘一家とフェイスタイムもしました。ここもツリーを飾っています。

 

  1. ひとりで渋谷も何度か往復しました。

困ったことに渋谷の「丸善ジュンク堂」が、来年1月末で閉店になります。ショックです。

(1) この本屋は、東急本店の7階全部を占めており、本の種類は豊富で、ゆっくり回るとすぐ1時間ぐらい経ってしまい、楽しい散歩場所です。洋書も,TimeやThe Economistもあります。以前は腰掛もあって、買ったばかりの本を座って眺めることもできました。喫茶コーナーもありました.

 (2) きっかけは、東急本店そのものの再開発です。来年1月末で営業を終了し、同年春に解体し、2027年の完成をめどに、隣接するBunkamuraと一体で、地上36階のビルを完成させるそうです。

ここには外資系の高級ホテルも入り、「日本を代表するワールドクラス・クオリティ(何で英語なんだ!)の複合施設」を目指すそうです。

(3) これに伴い、百貨店も本屋も店仕舞いです。両方とも、「ワールドクラス・クオリティ」の店とは見なされないようです。百貨店は今年55歳だそうで、目下「昭和青春グラフティ」と題する展示をやっています。

 

  1. 渋谷の再開発と言えば、駅近くにあった「東急プラザ」は、5年近くかけて旧ビルを解体し、2019年12月に新しいビルが出来ました。

古いビルの時代は、庶民的な「市場」があって新鮮な魚や野菜などを売っていましたが、消えてしまい、洒落た店ばかりになりました。

 本屋の三省堂もあって、ここも専門書を含めて品ぞろいが豊富でしたが、新しいビルには入っていません。

4.36階の新しいビルには、私には何の興味もありません。そもそも完成が2027年では寿命が間に合いません。

しかし、馴染みの本屋が無くなるのは、とにかく寂しいです。

たまたま、長女夫婦と近くのイタリアンで夕食を共にしたとき、彼らが住む最寄り駅の井の頭線浜田山駅前に、評判の小さい書店「サンブックス浜田山」があると聞きました。

 数は多くないが品揃えが良く、店主の本への愛着が感じられて、本好きの彼らは愛用しているそうです。置いてない本を買うときもできるだけアマゾンは避けて、ここで注文するとのこと。

 地場に密着し、愛される、街の本屋が生き残っているのは嬉しいし、応援したい気持ちはよく分かります。

ただ私の場合、はるばる電車やバスに乗って本屋に出掛けるのは、本屋で散歩、つまり「立ち読みの楽しみ」があるからで、ここはそれにはちょっと小さい。

 行きつけの散歩コースが一つ無くなるのは、寂しいものです。

『ポスト資本主義としての共存主義』(廣田尚久著)

  1. 今回も頂いた本の紹介です。

中学・高校・大学で一緒だった廣田尚久氏の新著『ポスト資本主義としての共存主義』(信山社)です。

(1) 氏は本職は弁護士ですが、著作に励み、ここ4年間で今回が5冊目の刊行です。私もブログで紹介してきました。

(2) 昨年には『共存主義論、ポスト資本主義の見取図』を出版しました。450頁の大著ですが、今回はその縮刷版、かつプーチンの戦いを受けて急きょ提言を整理し直したものです。

良い社会に向けての理想に賭ける、氏の情熱に敬服します。

 

  1. 共存主義とは彼が名づけた、資本主義に代わる新しい社会の仕組みです

「経済、政治、法等のあらゆる社会システムを、「よりよく共存する」という価値観のもとで構築する、資本主義終焉後のパラダイム

と定義されます。

 

3. パラダイムとは、「ある時代を根本的に規定している認識の枠組み」で、いまの時

代では資本主義」であろう。

そして、コロナ禍とロシアのウクライナ軍事侵攻が、世界経済や社会全体に大きな亀裂を入れ、資本主義のパラダイムを決定的に破壊してしまう可能性が出てきた

――というのが著者の認識です。

 その前提として、資本主義には本質的な矛盾があって、これがもはや持続できないまでに至っているという理解があり、

だからこそ新しいシステムとして「共存」という「価値」を提唱します。

  

  1. 「共存主義」を支える考え方として著者は

(1) 私的所有に代わる「共存的所有」――「コモン」に類似した概念

(2) 契約に代わる「公正な合意」

(3) 法的主体性に代わる「個人の主体性」

を提唱し、それらを踏まえた新しい「仕組み」として、

(a)  ベーシック・インカム

(b) 株式会社ではなく法人格を有する結社

(c)「投機(価値の先取り)」の弊害をなくすため、「銀行の信用創造」の制限

(d) 多数決に代わる「全員の合意」という意思決定

(e)そして、紛争解決の方法としての「和解」

を具体的に提案します。

5.これらの主張の中で、

私がいちばん興味を持った「和解」について、簡単に紹介します。

 

(1) 著者は弁護士として長年民事訴訟に携わってきました。

その過程で、「訴訟」でなく、「調停」や「仲裁」による解決を模索し、事件の幾つかをこの方法で解決しました。

(2)「訴訟」は、裁判による物理的強制力をともなう「勝ち負けを決める」システムです。

対して「和解」は、裁判によらずに、当事者の自由意思を尊重し、「私的自治」の理念に基づいて紛争を解決する仕組みです。

 つまり、当事者双方は最終提案を考えて話し合う過程を通して、「争い」を「争いでないもの」にしてしまう。

 「共存主義は、勝者も敗者もなく人々が共存して生きることを目指しているのであるから、和解のシステムこそ共存主義にふさわしい」というのが著者の信念です。

 

(3)彼自身、この方法で民事訴訟を実際に解決してきて、その成果に立って「和解学」という新しい研究分野に取り組んできました。

それだけに説得力のある議論ではないかと思います。

(写真6-01775メタセコイア

  1. しかし、民事訴訟ならともかく、国同士の武力による争いにおいても果たして「和解」がありうるのか?

人間は争う、そこで勝ち負けを決める、そういう習性を持った動物ではないのか。

今回のサッカー・ワールド杯で熱狂する観衆を見て、「これはスポーツの世界の約束事で、戦争で「争う」のとはまるで違う」と誰もが信じているのでしょうが・・・・。

 

歌集『生命萌えたつ』(関根キヌ子)を読む

  1. 今年も残り少なく、何やら慌ただしくなりました。

そんな中で、これも頂いた本ですが、歌集『生命萌えたつ』(関根キヌ子)を読みました。

出版した西田書店は雑誌「あとらす」のご縁で、編集担当の関根則子さんにはいつもお世話になっていますが、本書の著者は彼女の母上です。

 

2.関根キヌ子さんは、昭和18年1月生まれ。

福島県東白川郡鮫川村で、「水稲の栽培、それに和牛の飼育を行う農家で、いつも忙しさに追われる様な生活をしていました。

ある時過労から倒れて休んでいる時、(略)こんな暮らし方ではいけないとつくづく思いました」。

幸いに村には「文芸クラブ」があり、入会して平成10年から作歌を始め、以来20 年以上詠み続けた約650 首をこの度一冊にまとめました。

 

 歌作の場となった村の「文芸クラブ」は、実に昭和19 年から続いているそうで、そのことにまず驚きました。

人口4千人ちょっとの小さな山村の文化レベルに感心し、そういう日本の農村の姿に誇りも感じます。

 

3.歌の一つ一つからは、農業に取り組み、村議を務めた夫を支え、見送り、6人の子どもを育て、曾孫まで生まれる「生」が鮮やかに浮かび上がります。

「二人して牛のお産を待つ夜更け、 カッコウ鳴きてなきて飛びゆく」

「長雨の続く田ン圃の畦に立ち、 実り豊かな秋をと祈る」

詠まれる里山の情景や風物にも惹かれました。売られていく仔牛との別れ、稲架(はさ)を組み上げる作業など日々の労働の情景も眼に浮かびます。

夫が死去しても農業は続けます。

「稲架づくり稲刈り機械操るも、いつか余裕の農婦となりぬ」

「形見なる刈払機を背負いつつ、百メートルの畦を刈りゆく」

「大いぬのふぐり」「シャラの花」「のうぜん(凌霄)」などの草花が、都会育ちには新鮮です。

「炎(ほむら)たつ如く咲きたる凌霄の、朱色の花に亡父(つま)を重ねる」

4.他に心に残った歌二首をあげると、

 「消しゴムを使えぬものが人生と、さとせし父に心かさねる」

 「徹夜してパール・バックの『大地』読みし、あの頃の目の力欲しけり」

 本の名前が出てくるのは、この一冊だけ。

いかにも農業に一生を捧げている女性が挙げるのにふさわしい本だと思いました。

 パール・バックは、戦前、宣教師の父の許で中国に長く暮らし、この地で苛酷な農業に従事し、たくましく生きる人達を描いた小説『大地』を書いて、1938年ノーベル文学賞を受賞しました。

 戦後には邦訳も出て、日本でも評判になり、私も学生時代に読みました。

5. 「中学校しか出ておらず、素人の作だが」と謙遜する則子さんはメールに、

「頭で作った歌ではなく、生活に根差した、血の通ったものになっているところが、

よいところだと思っています」

「溢れんばかりの土の匂いが、ただただ懐かしく読み入りました」

とも書いてくれました。

「本なんて、そんな金かかることするな」と言う母を説得して出版にこぎつけたそうで、さぞ親孝行になったことでしょう。

 

  1. 著者は、終戦の年に2歳半。戦争の悲惨を伝える歌が幾つもあります。

「忘れるものか決して許してなるものか、悪の極みの戦さ生むもの」

「飛行機が来たならすぐに隠れよと、未だ忘れぬ二歳半の記憶」

 

日本の戦争時の空襲の恐ろしさを実体験として覚えているのは、関根キヌ子さんの世代が最後で、やがて誰もいなくなるでしょう。

今年は、幼い頃の戦争の悪夢を思い出し,ウクライナの人々の苦難に思いを馳せつつ過ごした1年でした。

外国人旅行者が集まる谷中と渋谷

  1. 前回は法事のあと谷中ぎんざを歩いた話を書きました。

(1)タイミング良く、24日(木)の毎日新聞は、「コロナ@外国人旅行者が集まる谷中」という記事を載せました。

下町風情が残る台東区谷中周辺も隠れた人気スポットだそうで、「なぜ下町のこんな奥深くまで外国から訪れるのか」と問い、

「この町の人は外国人だからといって指をさすこともなく、特別扱いもしなかった」「渋谷、六本木,銀座などいろいろ行ったけど、騒がしいね。ここはとっても庶民的で落ち着く」といった声を紹介します。

(2)70年以上続く「これぞ、はやりの昭和レトロの」宿も紹介します。

・欧米でいうB&Bで、夕食は「町に任せる」。

・ベッドはないし、英語も十分に話せない。

・「でも特別なことをしなかったのがよかったらしい」。

・ネットの口コミで評判が広がり、92カ国から述べ20万人を受け入れた。

・コロナで来日できなくなった常連客はキャンセルせず、「延期」を選んでくれた。入国者数の上限撤廃が報じられると、「延期」を繰り返していた香港の常連客から予約のメールが届いた。「涙がでそうになりました」と女将は言う。

(3)「酒屋の軒先で日本人と並んで「角打ち(立飲み)」を楽しむ外国人の姿もある」。

「夕焼けに照らされた町並みが美しいことから「夕やけだんだん」と呼ばれる」階段を上がると、ボランティアが紙芝居を読み、ベーゴマの腕を競う古老たちがいる。「フランスから来た7歳と13歳の兄弟が、手ほどきを受けていた。言葉は通じなくてもコマは見事に回り、笑い声がはじける」。

(4) 記事は最後に、こう結びます。

「日本の生活の奥に入り込み、季節の移ろいや人情の機微に触れる世界の人々。旅はもはや非日常を味わうものではなくなったかのようだ。

 私たち日本人は何を再発見するのだろう。出会った人たちから、そう問われているような気がした」。

 

  1. 私も谷中あたりを歩くとほっとした気分になるな、と思いながら記事を読みまた。ただ遠いので、そうは行けません。

私の普段の散歩コースは、駒場から東大のキャンパスあたり。それと、「騒がしいね」と62歳の米国の弁護士が記者に語ったという、渋谷の街です。

 

(1) その渋谷、昔もいまも若者の街ですが、再開発で高層ビルが林立し、お洒落な街に変容しつつあります。

(2) 先週、京都から年下の友人が上京し、昼食をともにしました。

「渋谷の蕎麦が食べたい」という提案で、昔よく行った「福田屋」に入りました。

(3) コロナ以後初めてですが、健在なのに安心しました。

おまけに外国からの旅行者も多く混んでいるのでびっくり。

昔から、高齢者が集まって酒を飲む、蕎麦屋と居酒屋を兼ねたようなところでした。この日はそういう連中と海外からの観光客との混在です。

我々もそれぞれ燗酒を3本空けながら、久しぶりに楽しくお喋りしました。

 

(4) かつて「マドンナ」と呼ばれた明るい女将さんが居ましたが、コロナの前、まだ

60代半ばで急逝しました。

今回行ったら、そのお孫さんの若い女性が元気に働いていました。

常連客が作ってくれたという彼女の「遺影」がレジの隅に飾ってありました。

(5)終わって、近くの喫茶店「シャルマン」で珈琲を飲み、「高齢者が気楽に入れる福田屋のような店と昔風の喫茶店が今も渋谷にあるのに驚いた」という友人の感想でした。

しかし、谷中に劣らず「着流し・普段着」の魅力があった渋谷は徐々に消えていきます。

アメリカ中間選挙を振り返る

  1. 今回のアメリ中間選挙は、野次馬には面白かったです。

昔の職場の同期会で、アメリカ通の某君がニュヨーク・タイムズの記事をもとに解説してくれました。

 

(1)予想以上に、民主党が善戦した。

(2)上院で民主党が50議席を確保し、ジョージア州の決戦投票を残すが、ハリス副大統領が議長として一票を持つので、過半数維持が決まった。

(3)下院は共和党218過半数をとり、最終確定はまだだが、奪還を果たした。

従って、今後ねじれが生じる。しかし民主党議席減は、トランプ政権の中間選挙共和党が40議席減だったのに比べればはるかに少ない8議席程度の見込み。

  1. 民主党が頑張れた理由」として,某君の説明です。

(1)「選挙方針の変更」

―「中絶擁護」の一点張りでは新味がないので、「民主主義の危機」を取りいれたことが成功。

 人気のあるオバマ元大統領が応援演説で「民主主義」を強く訴えたことも効果的だった。

(2)トランプ前大統領の言動

―候補者の応援よりも選挙批判や自己PRが多く、無党派層に敬遠された。

(3)若い世代(Z世代)の投票行動

―彼らの投票率が上がり、民主党への支持につながった。

(4) 郵便投票は、コロナ禍の中で本格化したが、その推進役を担ったのは民主党であり、それまであまり投票場に出向かなかった層を発掘した

  1. そのあと、以下のような活発な意見交換がありました。

(1) 予想と異なり、しかも与野党が接戦するところが日本と違う。なぜ日本でこういう選挙にならないのか?

(2) Z世代の若者などが予想以上に投票した。日本ではどうだろうか?

(3) 政治家がみな演説がうまい。中でもオバマの応援演説が出色だったが、トランプだって、彼独特のレトリックを駆使するとはいえ、演説はうまい。なぜ日本の政治家とこれほど違うのだろうか?英語と日本語の違いになってしまうのだろうか?

(4)早くも2024年の次期大統領選挙の話になって、「共和党でトランプが出馬して、予備選での優勢が予想されるなら、民主党はバイデンが出るだろう。

トランプが共和党内で不利であれば、民主党は対抗上、バイデンに変わる新顔を出すだろう」という予測もあった。

(5)最後に、「トランプが再度出るのに、オバマは出られないのか?」という質問も出

て、私が口を挟みました。

アメリ憲法の修正22条で、「大統領の職に選出されるのは2回を限度とする」と決められています。

 フランクリン・ルーズヴェルト大統領が3期大統領を務め、1944年に4期目の当選を果たし、任期途中で死去しました。多選批判が強まり、1947年連邦議会憲法修正を発議し、51年に成立しました。

(6) 従ってオバマは出馬できませんが、「じゃ、ミシェル・オバマ夫人に期待したい」

という意見も出ました。

(7)何れにせよ、選挙を終えたアメリカは、内外に課題山積で前途は多難、国際情勢も不透明です。

4.話変わって、東京は秋晴れの日が多かったです。

(1)96歳で亡くなった妻の母の17回忌の法要があり、お経を聞き、墓参をし、暫し思

い出話に花が咲きました。良い会でした。

(2)谷中の天王寺菩提寺ですが、小さいけれど落ち着いたお寺です。観光客や散歩客

も訪れます。

(3)近くに「谷中ぎんざ」があり、ここも人気の場所です、ごちゃごちゃした庶民的な

ところが私も好きです。外国人を含めて、人出はだいぶ戻ってきました。

我々も終わってからぶらぶら地下鉄の駅まで歩き、週末には行列ができる「メンチカツのすずき」にも寄って夕食用の買い物をしました。

読書週間―「この一冊にありがとう」

  1. 読書週間が11月9日に終わりました。今年の標語は「この一冊にありがとう」。

(1) 初日10月27日の毎日新聞は「きょうから読書週間」と題する社説を載せました。

「紙の本の販売額は昨年15年ぶりに前年を上回った」

「最近は短歌の歌集を手にするひとも増えている」

  私はいずれにも驚きました。

岡野大嗣、岡本真帆、木下龍也など若い作者の歌集が大いに売れているそうです。

(2)短歌ブームをけん引しているのは「Z世代」と呼ばれる20代の若者で、「満たされない想いや、さりげない日常を切り取る新鋭歌人の独創的な作品がSNSで共感を呼ぶ」、

「現代短歌に限らず、明治時代に石川啄木が困窮の中で詠んだ歌に目を向ける若者もいる」。

(3) タイミング良く、読者会の仲間と和歌や短歌を話合う7人の「集まり」があったので、社説のコピーを皆さんに配りました。啄木を詠む若者がいるのは嬉しい、と同時に、いまの社会の生きづらさを反映しているのではないかという感想もありました。

 

  1. 「集まり」は、

(1)「万葉」「古今・新古今」「近代」「現代」に分けて、あらかじめ一首ずつ自分の好きな歌を選んで当日話し合う、なかなか楽しい会でした。

 その中で、「近代短歌」から、3人が啄木を選びました。私もその1人で、あとは女性です。

 

(2) 自らも歌人永田和宏氏は、『近代秀歌』(岩波新書)で、明治・大正期を中心に<これだけは知ってほしい近代100首>を選び、啄木を8首選んでいます。茂吉の11首、与謝野晶子9首に続きます。

「総じて、啄木はいわゆる専門歌人からの評価は低い傾向にあるが」としつつ、「近代歌人のなかでもっとも愛誦歌の多い歌人はと尋ねられれば、誰もが迷うことなく啄木と答えるだろう」。

(3) 女性の1人は、

「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」を選びました。

この歌を、永田氏はこう評価します。

「単純ななかに端倪すべからざる技巧がある、その一つはカメラのズームインの仕方である。(略)東海、小島、磯、白砂、そして我と蟹という景が、あたかもカメラのレンズがどんどん絞られていくように小さなものへ収斂していくのである。この「の」の使い方は見事である」。

 

(4) 啄木を選んだもう一人の女性からは、

「啄木の短歌には多くの作曲家が曲をつけていて51人にのぼる。なかでも越谷達之助作曲の「初恋」が良く知られ、私も大好きでくちずさみます」という説明があり、実際に独唱をして頂きました。いい曲です。

https://www.youtube.com/watch?v=hCltaXxFQSM

「砂山の砂に腹這ひ初恋の いたみを遠く おもひ出づる日」

  1. 秋の季節にふさわしい歌も選ばれました。

(1) 与謝野晶子の,

「金色(こんじき)の ちひさき鳥のかたちして 銀杏ちるなり 夕日の岡に」は、

永田氏も絶賛しています。

「どこか童画風のイメージを喚起し、(略)あたかもおびただしい鳥が飛び交うように、夕日のなかに飛びつづける落葉は、永遠に降りつづくかと錯覚するほどだ・・・・」。

(2)「古今・新古今」からは、別の女性が紅葉の歌を選びました。

「ちはやぶる 神奈備山のもみじ葉に 思ひはかけじ うつろふものを」(古今和歌集、詠みひと知らず)

 

大意は、「神奈備(かんなび)山の紅葉は美しいけれども、すぐに色変わり(心変わり)するのだから、思いを寄せないでおこう」。


蓼科の紅葉もそろそろ「色変わりしているだろうな」と思い、彼女が読むのを聴いていました。