ksen2005-10-31

10月25日(火)午前中、オムロンさんのおかげでドクター・マーリンと2人で「オムロン京都太陽株式会社」を訪問しました。同社は京都市南区上鳥羽にあり、社会福祉法人「太陽の家」とオムロンとが共同出資(前者39%、後者61%)して障害者を雇用し自立を目指すことを目的に昭和60(1985)年に設立されました。その後、「太陽の家」への協力企業はソニー、ホンダ、三菱商事など12に増えてきているそうですが、20年前その先鞭のビジネス・モデルをオムロンが作ったのです。オムロンが、生産管理・発注・役員派遣等、太陽の家が、生活健康指導等を担当しており、現在175名の社員(他に約30名の「太陽の家」スタッフ)のうち、障害者126人うち重度の障害者が87人という構成です。業務としては、コネクティング・ソケットとセンサーの製造が中心です。「世に身心障害者はあっても仕事に障害はありえない(No one is so disabled as to be unable to work at all)」が会社のモットーです。
この日は、まずビデオを見たあと、工場現場を見せて頂き、そのあと、会社の沿革や概要を伺いました。まことに意義のある充実した時間で、「こういうのはアメリカでは知らない」とジョンも強い印象を受けたようです。年に1,500名の見学者があり、そのうち3割が海外からということでした。
現場を拝見し、丁寧に説明して頂きましたが、障害者の方が仕事をしやすいように工程を考えたり、機械設備を改良したり新しい工具を作ったり、さまざまな工夫・努力がなされているのが印象的でした。これらは殆どが会社の中で現場のニーズをくみ取りながら製造・実現されるということで、この点にも感心しました。
沿革について少し触れますと、昭和40(1965)年、当時国立別府病院の医師だった中村前理事長らが『働く意欲をもちながら一般企業に受け入れられないでいる身障者のために、労働と生活の環境を整備し、能力に応じた働きによって社会に貢献しながら自立をめざす』ことを目的に「太陽の家」を設立しました。この故中村理事長が、昭和46(1972)年立石電機(現オムロン)の故立石一真社長を訪問、同社長が主旨に大いに賛同してメーカーとして積極的に協力していくことを決めたとのことです。
構想から30年余創業から20年、当初は殆どの人が考えもしなかったビジネス・モデルが、いまあちこちに拡がっているのを知るのは感動的でした。人間ってけっこう捨てたもんじゃないな・・・って思いませんか?