ksen2006-03-18

大学は、16日に今年度最後の拡大教授会が終わり、17日は卒業式。あとは新学期への準備が中心になります。本日の土曜日、研究室に顔を出しているのは私ぐらいでしょうか。スクールバスも運行しておらず、キャンパスは静かです。

15日にはこれも年度最後の人権委員会というのがあり、1年間のレビューがありました。そこで、委員会主催の研修会で2月15日に京都市内にある史跡「耳塚」を訪れたことが再び話題になりました。以前のブログに行ったという事実だけ触れましたが、今日はすこし補足しておこうと思います。


京都に長く住んでいても訪れた方は少ないかもしれません。私は名前すら知りませんでした。三十三間堂国立美術館に近い東山区にあり、方広寺と豊国神社の門前に位置します。方広寺は、徳川家康が豊臣家討伐のいいがかりにした「国家安康」を刻んだ釣り鐘があることで知られており、いまでも鐘は残っています。


この耳塚には、「秀吉が1597年(慶長2年)再度の朝鮮侵略の際に朝鮮から持ちかえった鼻が埋葬されています」(「京都人権歴史紀行」(上田正昭編著、人文書院)。
私たちが訪れた時に解説してくれたボランティアのガイドさんによると、何のために埋葬したのか?慰霊のためか?戦勝を記念するためか?についていろいろ意見があるそうです。しかし、「当時は戦功のあかしとして死体の首を持ちかえるのが常であったが、日本まで距離があるためにかさばらない耳や鼻をそいで塩漬けにして持ち帰った」そうです。事実とすれば何とも陰惨な話ですね。
印象に残ったのは、周囲の石柵が大正はじめ、歌舞伎役者などの寄付によってできあがったことで、「市川左団次」など有名人の名前を彫った石柵がずらっと並んでいること。
それと、ガイドさんの話では、在日韓国人だけでなく、韓国から観光旅行で来る人たちにとってもコースの1つになっている場合が多い。だからいつでも供花が絶えないとのこと。


1ヶ月以上も前のことですが、たまたま、明日は、「ワールド・ベースボール・クラシック」の準決勝で、日本と韓国チームとが3度目の対戦をするというので、思い出した次第です。


在日韓国人の問題について、私にはとても語るだけの知識も見識もありません。しかし、(一部から猛烈な反論が来そうですが)、二世・三世で希望する人がいたら日本人になってもらってもいいではないかと素朴な疑問を感じています。そんなことも、耳塚の前で同僚の教員と立ち話をしました。
話が逸れますが日本は人口減少社会に入ったということで、これをどうするか議論が盛んです。「現在の日本の出生率1.3が続けば、900年後には日本人はほぼ絶滅する」(2月16日経済教室「人口減と生きる」)そうです。しかし、これも過激な議論かもしれませんが、現在の「日本人」(「イギリス人」でも「イタリア人」でもいいですが)というコンセプトがあと900年そのまま続くと考えることは果たして妥当でしょうか?国籍法の見直しはタブーなのでしょうか?生地主義を一部でも取りいれることを考えてもいいのではないでしょうか?