ksen2006-06-01


machidaさん我善坊さん、コメント有り難うございます。「全体を見た印象はまとも」「若い人たちが世代の感性にあった本を選ぶことは、暖かい気持ちで見守ってやりたいと思います」・・・何れも、なるほどと若干反省しながら拝読しました。


山田詠美が慶応藤沢キャンパスで最も読まれているのですか。面白いですね。


たしかに、今の若者の方が、妙に難しい本を読もうという「教養主義」の呪縛から解き放たれているのでしょう。


その対極として、『丸山真男の時代』の著者・竹内洋関西大(当時京大)教授が03年に出した『教養主義の没落、変わりゆくエリート学生文化』(中公新書)の指摘を思い出したところです。
竹内氏は「読書を通じた人格形成主義や社会改良主義という意味での教養主義は、なぜかくも(70年代ごろまでの)学生を魅了したのだろうか。そして、なぜ、教養からオーラが、教養主義から魅惑が喪失してしまったのだろうか」という問題意識にそって「1970年ころまでの日本の大学キャンパスにみられた教養と教養主義の輝きとその後の没落過程」を考察しています。


私たちの学生時代であれば、例えば、サルトルカミュを読み・語り合うのがファッションのような雰囲気がありましたが、十分に理解もせずに、難解な書物を読むことで格好を付けていた側面も大きかったでしょう。
因みに、この本で、竹内氏は、「教養知識人への憎悪と違和感」を象徴する出来事として小説家・石原慎太郎の登場をあげています。



ところで、なぜ「1冊の本」を選んでもらったか?ということですが、3年から始まる「研究演習」は原則として同じメンバーで(学生が別の先生につきたいと考えることも、あるいは教員の方が出来ればお引き取り願いたいと希望することもあり得ないではない)、3年春秋・4年春秋と続いて、卒論を書くことで終わります。
卒論は必修なので、これで単位が取れないと卒業できない羽目に陥ります。
そうならないように、書くことの訓練をし・何とか合格点に達する作品を完成してもらうように指導するというのが教員の責務で、実は、正直言って若干悩んでいるところでもあります。


そのために、私が考えたのが、
① 与えられたテキストを読み・調べ・レポートを書く訓練や 
② 卒論に選ぶテーマを徐々に絞り込んでいくプロセス、
と同時に、
③ 自分で、自分が読みたいと思う本を探して、とにかく何でもいいから読んでみる(読む楽しみを肌で体験する)
という3つの作業を平行してやってもらうということです。
これには、「自分は、今までに1冊も本を読み通したことがない」というある学生の発言も影響しています。
そのためにはまず本屋に行くこと、それもコンビニ本ではなく大型書店に行くこと、必ず1人で行くこと、できれば30分は滞在して眺め・本になじむこと・・・・その上で選んでもらったのが前回のリストなのです。