6月26日付け藤田嗣治展へのmayさん。
お友達が東京で長蛇の列に、観るのをギブアップしたという話、私も何度も経験があります。休日しか休めない勤め人の悲哀ですね。
京都は単純に人口が少ないだけなのか、それともフジタは京都人好みではないのか?


28日付け我善坊さん、丸山真男の『日本の思想』ですが、やはり前半はいまの20そこそこの若者には難解すぎるのではないでしょうか。
高校の教科書採用というのも、おそらく最後の「「である」ことと「する」こと」の部分だけではないでしょうか?
それと悩むのは、以前に書いたように、いま丸山を読ませることにどんな意味があるか?ということです。短絡的にいえば、
団塊の世代以降、カウンター・カルチャーが主流になって丸山なんか誰も(一部の研究者は別にして)読まなくなった。
そういう親をみて育った若者に、こういう本を読ませるには、もう一度、戦後民主主義だの「教養とは何か?」から教えこまないといけないのではないか?
というような悩みです。


同じく28日のmachidaさん、デジタルの話し、興味深く拝読しました。
「自分の関心しか興味ない」。
これ至言ですね。こちらから出すメッセージが彼らの琴線にふれないとのってこない。
これが先ほどの丸山にもからむのですが、いままで全く知らなかった読書(もちろん時に難解である)を通して新しい世界が拡がる・・・こういう好奇心がすくない。
これも団塊の世代と似ているのでは・・・・


その代わり、ご指摘のようにいまの若者の映像に対する感性は我々より進んでいるでしょう。


私もアメリカのビジネスをテーマにした授業でなるべく映像をみせるようにしています。映画の1部分――例えば「スミス都へ行く」「フォッグ・オブ・ウォー」「ウォール街」などですが、学生のコメントになかなか面白いのがあります。
古い映画でも結構関心をもってくれる場合があります。
しかし、本は難しいですね。「教養」に対する幻想をまったく持っていないのかなあ。
(ちなみに
ここでいう「教養に対する幻想」とは、読書とは、知識を得るためではなく、人格を形成するために必要だという仮説です)


ということで、本日は、コメントへのお礼で終わってしまいました。