11月は本日までですでに4回、京都と東京を往復しています。
JR東海から表彰してもらいたいですね。
うち2回は仕事関連、2回は私事です。

私事の1つは身内の不幸で、この点は、身内の1人がブログに書いておりますので、これを転載することをお許しください。

http://canaryldn.exblog.jp/3863335/

96歳で亡くなった義理の母ですが、長く一緒に住んでいたので想いもひとしおでした。
私はサラリーマン時代海外勤務が長く、時にこどもを日本に置いていくことが多く、この母にはその際のこどもの面倒をみてもらい、大いに世話になりました。



家族(子供・孫・ひ孫)だけによる私の自宅での通夜は週末だったせいもあり、日本にいる20数名の全員が集まり、賑やかでした。ジャカルタで働いている孫一家はもちろん来られなかったのですが、ロンドンにいる孫はとんぼ帰りでやってきて祖母との別れを惜しみました。
こういう言い方は失礼かもしれませんが、故人を良く知り、その死をこころの底から悼む人たちだけの少数の集まりで、なんだか故人を羨ましく思いました。




ロンドンから列席した孫は外資系企業に勤めているのですが、周りに背中を押されるようにして一時帰国した由。もちろん一般論ではいえないでしょうが、外資系のインベストメントバンク=冷血なエコノミック・アニマルでは決してないというコメントは、興味深く読みました。「家族」がどんなに大切かという文化が英国にも生きているようですね。


日本でももう1人の孫は翻訳の仕事をしているのですが、そこの女性社長も実に丁寧に哀悼してくれたようです。


昔、銀行の支店長をしていたときに、取引先のえらい方の身内がなくなった際の立派なご葬儀によく列席したことも思い出しました。いちどもお会いしたことのない・顔も知らない方のご霊前に手を合わせたことが何度もありました。

いろんな葬式がありますね。


これで、私自身と連れ合いの親はすべて亡くなり、いよいよ私たちの順番となりました。
死は順番であってほしいと強く思います。この世とは順繰りに死と生とが繰り返される営み。そういう点からも昨今のいじめによる少年少女の自殺は本当にこころが痛みます。

重ねて私事にて恐縮です。