Mikkoさんコメントに感謝です。


障害者自立支援法のところは、こういうことを書いたらこういう反応があるだろうなとちょっと心配しながら書いていました。
ご指摘の点まことにごもっとも。かつ「考え込んでしまいます」という悩みもよく分かるつもりです。
しかし、難しい問題ですね。


私は(自戒をこめて言っているつもりですが)ノンポリの典型で、おそらくノンポリになったのは大昔、1960年6月19日(15日に国会議事堂内で樺美智子さんが死亡し、19日に安保条約改正案が参議院の議決を得ぬまま自然成立)以来、したがって「筋金入り」です。


詳しく話したところで仕方ないのですが、あの日以来「いちど日本を逃げ出したい」「政治と縁のない世界で働きたい」との思いでサラリーマンをやってきました。


ましてその頃、「〜を倒せ!」とデモ行進でシュプレヒコールした、そのターゲットのお孫さんが今やこの国の首相ですから、何をか言わんやですね。



話は変わりますが、今月の日経の「私の履歴書」は読売新聞主筆の渡邊恒雄氏。
政治部記者としてどろどろした政治家の世界にどっぷりつかったり、政治権力をめぐる人間の野望につきあったり、社内の派閥抗争を生き抜いたり・・・面白いといえば面白いですが、もちろん「月とすっぽん」以上の違いのある平サラリーマンの私には、読みながら、こういう世界とまったく無縁の人生を送ってきた幸せをしみじみ感じています。



しかし、もちろん、私ひとり「島宇宙」(『ウェブ進化論』梅田氏の言葉)に自足してはいけないのでしょう。我が家の猫(写真)であればそれでよいでしょうが。(名前も「しま」です)


意見も立場もmikkoさんと全く異なる、私の同僚かつ畏敬する友人は、防衛庁の省昇格・教育基本法の改正の何れもがいわば無風状態で成立したことに危機感をおぼえる、と書いておられます。


「意見の違いは違いとして、これほどの問題について世間が大騒ぎをしないというのはどうにも釈然としません」

その通りだと思うのですが、さてどうしたものでしょう?


『進化論』を書いた梅田望夫氏と平野啓一郎氏(京大在学中に芥川賞)との対談が最近、『ウェブ人間論』という本になりました。

第4章「人間はどう「進化」するのか」で平野氏が同様の問題意識で、「(ネットの)島宇宙」に自足するだけでいいのか?と鋭く問いかけます。
・・・「そうして(ネット上のやりとりだけで)認められることに他者からの人格的な承認の幻想を託して、現実は結局何も変わらないまま放置されているという状態が、個人にとって本当に幸せなのか」(P.165)


さすがの梅田氏もこの部分では、やや受け太刀になっていて、そのやりとりがたいへんスリリングで、本書のいちばん面白い部分です。

というあたりで本日はご勘弁のほどを。