今年も残り少なくなりました。
当人としては今年中に書いておきたいこと、書き残したことがたくさんあるのですが、なかなか追いつきません。


今週・来週は大学も冬休みで東京におりますが毎日、出歩いていてパソコンに向かう時間は多くありません。


出会った人たち、見送った人たち、読んだ本、観た映画・・・等々。



映画といえば12月には「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」の2本を観ました。
ご存知、クリント・イーストウッド監督が、1945年2月〜、36日間の硫黄島での日米の死闘を、前者は米軍の目から、後者は日本軍の目から映像に描いた、何れもよく出来た作品です(写真)。


私のような世代にとって、とくに私のように肌で戦争の悲惨・残酷を体験した人間にとって、こういう映画は長い間、観ることが出来ませんでした。60年経って、やっと歴史の出来事として観る余裕が多少でてきたように思います。


ブログの方も1年以上経って何とか続いています。


前回の「果たしてノンポリでいいのか?」という問題意識を少し補足したいと思います。

話題の『ウェブ人間論』です。


梅田望夫氏の『ウェブ進化論』については私もオプティミズム(楽観主義)と果敢な行動主義 - 川本卓史京都活動日記続き で何度も取り上げました。
貴重なコメントも頂きました。

本書についてもMachidaさんをはじめ、すでにたくさんの人が触れているはずです。



対談という形式につきものの面白さと制約・弱点の双方が本書にもありますが、面白いのは、何といっても梅田望夫(U)・平野啓一郎(H)両氏が、関心を共通にしながらもスタンスは異なる・そこに対話が生まれるというプロセスにあります。


共通の関心とは、「「ウェブ進化」によって世の中はどう変わりつつあるのか、人間そのものがどう変わりつつあるのかということへの素直な関心」(H)であり、


この点で、Uは楽観的(Hによれば、『ウェブ進化論』全体に漂っているある種のさわやかさ)、Hはやや懐疑的。


梅田氏の言によれば、その違いは、Hは「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」と思考する人であり、自分は「社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考える・・・ということ。



この違いにたって、
Hは「(ブログとネットの)島宇宙的な世界に属していることの安住感というのは、その外側を存在させなくなってしまうんじゃないか。僕は、やっぱり、現実が嫌な時には、改善する努力をすべきじゃないかと思いますけど」、と問いかけ(P.167)


「変えるべき現状があって変えないというのはどうですか?これは、政治の問題まで含めてのことですが」と追いかけ、



しばらく対話を続けた上で、Uが「しかし、テクノロジーが人間に変容を迫ってるということは、もはや逃れようがなく、個がネットの力を使って、ある種の島宇宙的充足の方向に向かうのは不可避だと思う。


そういう前提で、社会改革の方法論が大きく変わっていく可能性に僕は期待したいです。既存の社会を前提に政治家になろうと思う人が仮に減っても、ネット上の一つの島宇宙としての社会貢献活動が活発化するみたいなイメージかな。」
(P.188)

という考察に到達する。


それに対してHが「そうですね、それはよく分かります」とその時点でやっと納得する。


2人が対話を続けることで、新たな思考の深みに達することができる、好例だろうと思います。


ノンポリであっても将来の「総表現社会」(梅田氏が期待するウェブ社会の未来)に期待がもてるかもしれない・・・と思わせる瞬間でした。これが梅田氏の持ち味の「さわやかさ」でしょうね。