秋学期の授業は終わったのですが、雑用が多くてなかなかゆっくりできません。

試験とレポート、入学試験、学内外の会議、外出、来客、学生への対応(とくに就職活動中の学生)、原稿書き・・・・等々。


23日(火)には学内の人権委員会というのがあり、このメンバーを中心に教職員12名で、大阪市大正区を訪れました。


この委員会は、学内の人権に関する問題(例えば、セクハラ、アカハラ(アカデミック・ハラスメントのことです))の対応窓口になりますが年に1回学外研修と称して学びの機会をつくります。

大正区は住民約78千人の約25%が沖縄出身者で「沖縄の街」といわれます。
当日は金城宗和さんというもと中学の先生にガイドになっていただき、いわゆるフィールドワークをしました。

昔、川を埋め立てた土地で繊維や鉄鋼の工場がならび、だから昭和のはじめ職をもとめて沖縄から人が集まったのです。


いまでも「渡し船」が7つあり、そのうちの2つに乗って大正区西成区(釜が崎はここにあります)を往復しました。

私は乗りながら、この風景って何となくロンドンのテームズ川からみたイーストエンド(工場と労働者階級のひとたちが住む一帯)を思いだすなあ・・・と感じていました。


フィールドワークのあと「関西沖縄文庫」にもどって主催者の金城馨さんから話を伺いました。

恥ずかしい話ですが、私はいままで沖縄と人権あるいは差別という問題とを結びつけて考えるだけの知識がなかったのですが勉強になりました。


同じ「金城」でも文庫の主催者はキンジョーさん、ガイドをしてくれたのはカネシロさん、そしてどちらも沖縄語では「カナガスク」さんだそうです。親が沖縄を出てきた、したがって自分たちは「二世」と呼んでいるそうです。
カネシロさんは、一度「キンジョー」に変えようと考えたそうですが(カネシロの方がより日本的だという判断で親の代に変えた)、カネシロに慣れ親しんだお嬢さんの反対もあってあきらめたそうです。

とうぜんながらお二人とも、昨今の「沖縄ブーム」には複雑な思いを抱いているようでした。


沖縄語と日本語とは、学者によるとフランス語とドイツ語の違いより大きいと。
いまや沖縄の小学校でも教えておらず、だんだん話せる人が減ってきているという話を少し痛みを感じながら聞きました。いうまでもなく、言葉はそれを話す人々にとっての「たましい」だろうと思います。


昼間はけっこうまじめな時間だったので、二次会は「うるま御殿」という店に行きました。
演奏を楽しみながら沖縄料理とあわもりで・・・昼間学んだことを忘れないようにしないといけないのですが。