ヒラリーかバラク・オバマか?

ksen2008-01-12



2008年は、米大統領選、北京オリンピック洞爺湖サミット等、ビッグ・イベントがありますね。日本の総選挙もあるでしょうし。


民主党と、ヒラリー・オバマの接戦の行方も気になるところです。どちらになっても共和党から奪還する可能性は高いでしょうから。(ブルムバーグNY市長の動向も気になります)


個人的には、世界を見渡せば、女王も女性首相も珍しくないですが、アフリカン・アメリカン系の大統領(もちろん50%ですが)の意義は大きいだろうと思います。それだけに、ヒラリー以上にハードルは高いのではないか(特に南部の保守層にとっては)という気がします。


それで思い出すのが、1968年のこと。今年がちょうど40年目に当たるので、“Newsweek”の07年11月19日号が「The Year That Made the West 」という16頁の特集を組んでいます。「全てを変えた年」という副題ですが、欧州はもちろんアメリカにとっても、大きく揺れた年でした。(もちろん日本も安田講堂攻防戦など激動しました)

アメリカについては、「この年、3月31日から始まる1週間はアメリカ史でも最悪の日々だった」という4頁の記事があり、以下簡単に報告します。

1. 3月31日―ジョンソン大統領は、次期大統領選に不出馬を発表

2. 4月3日―ジョンソンとロバート・ケネディ(RK)会談。前者はRK支持を表明せず。


3. 同日―マーティン・ルーサー・キング(MLK)がメンフィスで演説・・・「私には約束の国が見える。私自身、皆さんとともに到着することは出来ないかもしれないが・・・・」


4. 4月4日―MLK暗殺される。同日、RKはインディアナポリスの黒人スラム街で選挙演説(危険だからと周りが中止を進言したが聞き入れず)。まだニュースを知らない聴衆に「悪い知らせを伝えなければならない・・」と演説を始める。

5.
4日夜、MLK暗殺のニュースが全米に流れると、110の都市で暴動が起き、39人死亡、2500人が重軽傷。しかし、RKが演説したインディアナポリスだけは静かだった。


6. その夜、遊説中のホテルで、RKは眠れなかったという。MLKの遺体は、故郷アトランタに運ばれ、親友の黒人市民活動家ジョン・ルイスは、RKとエセル夫人を、午前1時、葬儀の前に、教会に案内した。遺体の前でルイスは、「(MLKは暗殺された)しかし、私たちにはまだロバート・ケネディがいるじゃないか、と自分に言い聞かせた」。


7. しかし、そうはならなかった。

6月4日、カリフォルニア予備選の勝利が確定し、勝利演説を終えた直後に、RKは銃弾に倒れ、2日後に亡くなった・・・・(11番目の子どもを妊娠中だったエセル夫人は亡くなるまでの26時間、病院のベッドを離れなかった)。


実は、68年、私は、ニューヨークに居て、おまけに、6月4日のRKの勝利演説のTVを自宅で見ていました。


個人的には、オバマ氏が大統領になれば、何かが変わるのではないかという期待が大きくあります。

しかし、40年の間にあの国は、変わったでしょうか?
そうであることを期待したいと思いますが、
仮に、オバマ氏が民主党候補に選ばれた場合を想定して、40年前の悪夢を思い起こす人は少なくないと思います。

そういう点では、オバマ氏に勝ってほしくない・・・という気持ちもしています。