asofiaさん,有難うございます。
いま話題の日銀総裁の空席騒ぎを持ち出すまでもなく、人事と人材発掘というのは、苦労が多いですね。
組織運営の難しさは、99%が人間関係ではないでしょうか。
おまけに、asofiaさんの方が詳しいでしょうが、民間企業だと良くも悪くも「タテ社会」の関係ですが、NPOや大学はみんなが対等な関係で、かつ成果が見えませんから余計、物事は決まらないし、好き・嫌いで左右されることが多い。
その中で、大学ではやはり学生と付き合っているのが、いちばん楽しいかもしれません。
前回と前々回に、東京の道(国立・大学通りと、世田谷の緑道)がきれいになって、歩行者を優先する哲学が生きているという話をしました。
それにくらべて、近鉄向島(むかいじま)駅から大学キャンパスまでは、スクールバスに乗って5分。歩いても15分から20分。平坦なバス道路で私は時おり行き帰りのどちらかを歩くことがありますが、学生の姿はあまり見かけません。
というのも、残念ながらお世辞にも歩いて気持ちのよい道程とはいえません。文教地区の雰囲気には程遠く、市営の団地や、ゴルフの練習場や駐車場を眺め、用水路には汚物がたまり、草も生え放題、ごみもよく落ちています。
ここを、何年かけてもいいから、素敵な散歩道に変えられないだろうかという夢を学生に語ったことがありました。例えば、皆でどぶさらいをしてきれいな小川に変え、金魚でも放して、その横には遊歩道や街灯をつけて・・・といった夢。前回お見せした写真の光景がイメージとしてあります。
実際には、土地の所有者や行政との折衝、資金や労力、住民の理解等々難題が山積みで、ただ夢を語る段階にすぎません。
おまけに、道路は、宇治市槇島町と京都市伏見区の間を走っており、行政の線引きも難しい。それなら、取り敢えず少しはきれいに出来ないか、大学から向島駅までのバス道路のごみ拾いでも始めようかという、これは私が言い出したのではなく、学生有志の自主的な行動で始まったものです。第1回は2006年10月の土曜日、3人の学生でスタートしました。この話はすでにブログでご紹介しました。
以来、1年半経って、活動はまだ何とか続いています。
「文教ストリート」という名前のサークルを立ち上げ、メンバーは10数名と決して多いとは言えないが、月2回、約1時間半かけてごみを拾っています。
成果の1つに、地元住民と大学との交流が深まったことがあげられます。小・中学校やPTAが実施している「クリーン運動」と称する同じような活動や、小学校で開催される年初恒例の餅つき大会にサークルの大学生も参加するようになりました。
京都府が応援している「地域力再生プロジェクト支援事業」にも住民サークルと共同で応募し、多少の補助金を得て地図を作り「このまち知ろう会」を実施した・・・等々。
写真は、イベントの一環で、大学生たちが誘導してこどもたちを連れてキャンパスを案内したときのものです。
まちづくり「風土」論という言葉があります。
「まちをつくるのには「風」と「土」の両方が必要だ」(田村明著『まちづくりの実践』岩波新書)。
私もそうですが、学生は宇治にいつまでも居る存在ではなく、やがて去っていきます。
この地にいる数年、「風」として外部からの視点や汗を提供する。「土」である住民と地域はその風を受けながらまちづくりを進めていく。そんなつながりが少しずつ実現しているようで嬉しく思っています。
始めた当初、学生たちは次にはまた同じようにごみが落ちており、賽の河原みたいで空しくなることがあると語ったものだった。それが、この頃は、ほんの少しだが以前よりはごみが少なくなったと感じているようです。
ごみ拾いをしている姿を見ることによって、例えば煙草の吸殻を道路に捨てることへのやましさにひとが気づくことを期待したい。ごみ拾いの目的は捨てる人間を減らすことにある、活動の最終目的は、活動そのものが不要になることにあるんだ。応援団の私はそんなことを学生に語りながら、宇治市北槇島がいつかはより美しい街になるであろう日を夢見ています。