GWのお休みは、30日〜2日は暦どおり、出勤しますが、休日は基本的には(田舎の)家におります。もっとも、学生のレポートを読んだり、たまった雑誌や書類を読んだりする時間が多いのですが・・・。


Newsweek と Timeがだいぶたまっていて、追いつくのがたいへんです。

このところ、民主党の大統領候補をヒラリー・クリントンと激しく争うバラク・オバマ氏の人となりに関する記事が多く、何れも面白く読みました。


前者では、3月31日号が「When Barry became Barack」と題して、大学生のころから、それまで「バリー」と呼ばれていた彼が「バラック」と正式名に呼ぶように周りに依頼するようになった挿話に触れて、彼のアイデンティティ探しを取り上げています。


後者の4月21日号は、彼の母親を取り上げた特集(「母親はどのように今の彼を育てあげたか」)で、私はまだ出版された彼の自伝を読んでいないので、知らないことが多く、興味深く読みました。

バラック・オバマに大きな影響を与えた人物は、誰もがほとんど何も知らない女性だった。彼女の数奇な人生がどのように彼の価値観を作り上げたか」という見出しで、以下簡単な要約です。


・ スタンレー・アンは、「夢見る人」(a dreamer)であり「ロマンティックな実践主義者(pragmatist)」だった。

・ 1942年にカンサスで生まれた(ヒラリーよりわずか5歳年上の)白人女性であるアンは、父親の仕事の関係であちこちに住み、高校卒業後、ハワイに住み、ハワイ大学に入学。

・ しかし、ケニアからの留学生に恋をして大学を半年で退学し、1961年、18歳で結婚、バラックが生まれる。(多民族社会のハワイといえどもこの時期、黒人との結婚は稀有であった)

・ ハーバードの博士課程に進学し、いずれ、故国での大活躍が期待される夫と離婚(彼には故国に、正式の結婚かどうかわからないが妻がいた模様・・・)

・ 大学に戻り、シングル・マザーとして苦労して働きながら卒業し、インドネシアからの留学生と再婚。夫について、バラックをつれて同国に移住。

・ 夫が、アメリカの石油会社に勤め、出世して西欧風になっていくのと反比例して彼女はインドネシアに惹かれ、価値観の異なった夫とまたも離婚。

・ この間、教育上の理由からバラックをハワイの祖父母のもとに送る(母子にとってつらい別れだったようだ)。

・ 一時期、彼女もハワイに戻り、修士を取得。再びインドネシアに戻り、フォード財団に勤務しながら、この地をフィールド・ワークの対象に選び、研究を継続。また、ハワイやニューヨークやパキスタンに住みながら、マイクロクレジットマイクロファイナンスとも言う。70年代の後半、ノーベル平和賞を受賞したバングラデッシュのユナスがグラミン銀行を創始したことで知られる)事業にも携わる。(「オバマの母親は、アジアの貧しい女性を助けること深い関心を持っていた」)

・ この間、研究を続け、ついに1992年、50歳で、博士論文を完成。インドネシアの農民をテーマに1000ページにわたる大論文だった。

・ しかし、1995年、52歳で、子宮がんのため死去・・・・。遺言により、灰はハワイの海に撒かれた。


何といったらいいのでしょうか。すごい生き方をしたとしか、言いようがありませんね。

「自分のいちばん良い資質は、母から受け継いだ」とはオバマの言葉だそうです。


ちなみに、本学には私の所属する現代社会学科とともに文化人類学科が、同じ人間学部にあります。

前者はお蔭様で受験生が結構来てくれるのですが、文化人類学科は、実用的な学問と思われていないせいか、個人的には面白い学問だと思うし、「日本で唯一の学科」という売りにも関わらず、受験生集めにかなり苦労しています。

何とか、文化人類学科が実用的にも役に立つということを、学生諸君にアピールできないか、とみんなで考えているところです。