ksen2008-06-27


今回は少し短縮、5日ぶりに更新です。

柳居子さん、4月9日付のサイデンさんことエドーワード・サイデンスデッカーに触れたブログへのコメント有難うございます。

「日本人でも判りづらい千年前の物語を、全世界の人にわかり易く訳するという異能の人達の存在は、もっと大きく取り上げる事だと思う」の一文、まことに同感です。



私は、もう恥ずかしながら、漢文はもとより古文も読めません。古文どころか、江戸時代や明治初期の文章でさえ理解に苦労する有様です。

もちろんこちらの不勉強が大きいですが、少しは弁解すると日本語の変化の大きさも一因ではないかと思います。


以前にもどこかで書いたことがあるのですが、この点、英語の方が変化の度合いがすくないような気がします。例えば、ディケンズが死んだのが1870年、明治3年ですが、彼の英語は(もちろん現代英語とは言葉も表現もだいぶ違うが)現代人でも何とか理解可能ではないでしょうか。



ところで、先週は、2回、京都と東京を往復したと思ったら、今週は、京都でイベントが3つありました。おまけに、日曜は、高校生に来てもらうオープン・キャンパスで学校に出ないといけません。
悲しいかな、ディケンズをゆっくり読むような充電の時間がなかなかとれません。


イベントの1つだけ今回記録しておくと、23日(月)の夜、例の「カスタ君の町家」を利用させて頂き、ゼミ生が企画して、滋賀県草津の正定寺というお寺の佐々木住職に来てもらい、講演と交流会を実施しました。

佐々木住職は、もと京都文教大学の職員でもあります。シンガーソングライターとしてもセミプロ級で、弾き語りが得意です。

この日も、仏教のお話もありました。
また、12歳で亡くなった檀家のお嬢さんが死ぬまで 精一杯生きたという悲しい話もありました、それを時折、音楽とユーモアで包んで話され、「感動した」というゼミ生の感想でした。


ギター演奏は2つ。1つは、「千の風になって」。もう1つは、自らの作詞作曲で、「今こここの瞬間(とき)」の一番の歌詞は以下の通りです。

「今ここにある
かけがいのないこの命
誰ともかわれない私のこの命
果てしなく永い時の流れに
有ること難き今生かされる
だからこの瞬間(とき)を
一途に一途に生きよう」