カンボジア報告会」当日は、10名強の出席者で、夕方6時半から10時過ぎまで、少人数ながら話は盛り上がりました。

旅行者3名のうち、まず植木さんが支援しているトレア小学校の現状について、次いで、
伊藤さんがカンボジアの歴史について、私が、国際開発救援財団(FIDR)の活動についてほかを報告しました。


以下、当日お見せした写真の一部を載せますが、最初は,
雨季になると島になってしまう村を
渡し船というか、おんぼろボートに30分も乗って訪れるところ。

(同乗した、FIDRの現地責任者の方も、大雨、モーターの故障等、
何かあったらどうしようかと内心ではどきどきしておられたようです)。

雨季にも拘わらず、この日はシャワーにも見舞われず、まことにラッキでした。

以下は、村の写真、こんな家に住んでいます。
土地がほとんど水につかってしまうのですから農耕も制限されるだろうと
思います。自然の果物やわずかな農作物や淡水魚をとって食料にしているようです。

貧しい村にも小学校があり、FIDRの支援で日本の個人の方が寄付しておられるようで
プレートがありました。

伊藤さんから「若い人が、過去を学ぶことの大切さを再認識した。
日本では学校で、現代史をほとんど学ばないのは問題あると思う」という
感想があり、出席者もその通りという感じで聞いていました。

カンボジアポル・ポト時代の悲劇も皆さんの心に深く残ったようです。

以下は受け売りで、一次資料に基づく情報ではないのですが、
FIDRのパンフレットの文章を紹介しました・・・「1975年4月からの3年8ヶ月に
およぶポル・ポト政権が近代的医療を否定した影響は甚大で、
かって600人余りいた医師のうち、ポル・ポト政権時代を生き抜いたのは、
わずか40人余りといわれています」。

このような過酷な時代を生き抜くということはどういうことなのか。
たった40人強がなぜ生き延びることができたのか。
それは知恵なのか、運なのか、妥協なのか、・・・・

しかも、この国は今も、当時の加害者と被害者とが共存して、日々暮らしているのです。


某大学の就職部長さんも参加しており、若者一般も話題になりました。
前回のブログでご紹介した、新潟の看護大学の女子学生の話も出席者の関心を
よんだようでした。


FIDRは、山崎製パンの創業者が私財を投入して、設立した財団ですが、
この方がクリスチャンだったという話が、出席された同社の方から出ました。

そこから、宗教と社会貢献とがどう結びつくかという議論が出てきました。

ペシャワール会中村哲さんも関連して話題になりました。

また、運営委員の加藤さんからは、

カンボジアキューバの違い、あるいは最近、「闇の子供たち」という
小説が映画化されて話題になっている
タイの子供たちの人身売買の悲劇
について、いろいろと問題提起がありました。
 
詳しい内容をご紹介できなくて恐縮ですが、とりあえず、話題になったのは以上のようなことです。

結論としては、以下のようなことでしょうか。


カスタネットと植木さんが、FIDRの活動を応援してカンボジアの学校建設や
病院の給食事業支援を行っていることを評価し、


・今後も、植木さんの活動をKSENとしても応援していく


・ただし、年率20%にのぼるカンボジアのインフレは人件費等コストアップ
要因になっており、FIDRなどの支援組織としても頭の痛いところ。
これからどのような支援事業が効率面や、同国の自立を高めるために何が重要か、
その中で学校建設はどういう位置を占めるか、今後も継続すべきか・・・といった諸点
をFIDRとしても調査検討中ということであり、その辺を注視していく。



・支援のあり方について、寄付者の方は、やはり形に残るものを希望する
(さきほどの写真のようにプレートに寄付者の名前を残してもらう)、他方で、
そのやり方だとどうしても「ハコモノ」が優先してしまう。
同時に、あるいはそれ以上に重要な目に見えない、形に残らない、しかも
彼らカンボジア人の自立をできるだけ促すような事業、これらの事業に対して
理解や支援を得るにはどうしたらよいか?支援者(社会貢献に感度の
高い企業や個人)とNGOとの相互理解がいっそう重要であろう。