我善坊さん、遅くなってしまいましたが
ご指摘有り難うございます。

教育勅語のテーマ、本当に難しいですね。
ということでゼミ生も、ご指摘のように成立の経緯、戦後失効した
経緯に頁を割いています。


何れにせよ、卒論ですが、提出期限が12月19日。
これに間に合わないと卒業できません。


あと1週間しかないので、内容についてはどこかで見切り発車して、
せめて、他人が気持ちよく読める文章にしてほしいということに
指導の重点を置いています。

もちろん個人差がありますが、これがなかなか難しい。

いままで15名中7名が提出。
15日(月)には残りの8名が個別にやってくる予定で、
ボードに書いて確認しているところ。

お昼も抜きになりそうな感じ
(もっとも、来るといって、来ない場合もあり、これは
これでもっと心配)。


麻生さん、読めないかもしれないけど、
まさに「師走」を実感しつつ、「推敲」に時間を費やしています。

最近は、ネットからそのまま情報を取って
「コピー&ペースト」して、それが論文だと思っている
学生も多いのですが(つまり、何か、格好いいこと・
難しいことを書くのが論文だと思っている、自分では
書けないから他人のを借りてくる)、私はこれがいちばん嫌いで、


私の基本方針は、以下の通りです。

「どんなに下手でもよいから、
自分が考えたこと・経験したこと・調べたことを自分の文章で書け」

「文章は、あとから、私の指導で直せるし、それが、必ず、君たち
の将来プラスになる」


私の場合どうしても、「自分の文章」、かつ「ある程度読ませる文章」
を書く・・ということに猛烈なこだわりがあります。

そして、若者にも、卒論を通して少しでも、自分の文章を
きれいに書くという勉強をしてほしいと願っています。

内容が、卒論か、エッセイか、レポートか・・ということは
学部生にとっては、最重要の問題ではないという考えです。



違う意見の教員も居ると思いますが、私はあくまで
「卒論とは、大学4年間を振り返る作品であり、足跡
である。将来も時に懐かしく読み返すような内容であってほしい」
と思っています。

それだけに、学生が「もう、いいでしょう」と言うのを、
何とか「推敲」の大事さ、楽しさを知ってもらいたい・・・
と悪戦苦闘しています。