我善坊さん、海太郎さん、故加藤周一へのコメント有り難うございます。
ご指摘の点、当方も同感です。「いまはあまり見受けられない」
まったくそうですね。
戦後「エリート教育」というものが無くなった、従って当然に「エリート」も
居なくなった・・ということが関係しているように思うのですが、如何でしょうか?
アマチュア(ディレタント)については、加藤自身も以下のように書いています。
「私は血液学の専門家から文学の専門家になったのではない。(略)専門化を廃した
のである。そして、ひそかに、非専門化の専門家になろうとしていた」
(『羊の歌』184頁)
少し逸れますが、彼は政治について、こんなことも書いています。
「条件つきでない答えをもとめることは無駄であり、
意味のある答えは条件つきでしかあり得ないと考えること。
・・そういう考え方はその後の私の政治問題に対する態度を決定したと思う」(同144頁)
そんな加藤周一のいない、新しい年がスタートしました。
5日朝には京都に戻り、早速、授業や会議が始まり、相も変わらずせわしなくしております。
7日には、京都文教学園全体の教職員が集まり、賀詞交換会があり、300名弱が出席しました。
理事長の挨拶が、例年よりも長く、かつ切々と、危機感を訴えられたのが印象に残りました。
労働者にとっても、若者にとっても、企業にとっても、そして教育の現場にとっても
厳しい環境になるだろうと、改めて、覚悟をおぼえたものです。
その中で、正月休みは、遅ればせながら、オバマの自伝“Dreams from my Father”、
と「Time」
誌新年号を読みました。
自伝は、実は、まだ半分しか読み終えていません。伝記とはつまりは物語だから
読みやすいだろう、しかもあれだけ分かりやすいスピーチをする彼だから・・
と安易に手を取ったのですが、これが予想外に難しい、というより
彼が難しい英語を駆使し、私の貧弱な英語力では、時折辞書を引かざるを得ない、
読むのに意外に時間がかかる・・・
ということがあります。
やはり、彼は、大変な「インテリ」であり「エリート教育」を受けたんだ、と改めて
痛感した次第です。
「タイム」の方は、ご承知の通り、2008年、
同誌が選ぶ「今年の人(パーソン・オブ・ザ・イヤー)」の特集です。
因みに、05年は、ビル&ミランダ・ゲイツとボノ、06
年は「あなた(You)」07年はロシアのプーチンです。
08年の「今年の人」がオバマだということは、誰もが認めるだろう
と思います。
興味があったのは、誰が?よりも、タイムはどういう理由で彼を選んだか?という
理由付けでそこを知りたいために特集記事を読みました。
もっとも長くなりすぎたので、今回はその点は省略します。