海太郎さん、柳居子さん、例によって遅くなりましたが、有難うございます。

日本の大学教育の現状について厳しいコメントを頂きましたが、私も同感です。


マーケットが縮小しているのに大学の数はむしろ増えているというおかしな状態がここ10年は
続いています。
受け皿なしに門戸を広げるというのもご指摘の通りですね。


ただ、今回少し長く、かつ硬くなりますが、説明させてください。

1.大学だけの問題ではなく、昔拙著に書いたように「大学という存在も、社会システム・
文化・国民性など総体としての文明の所産である」と思います。


弁護するわけではないけど、大学だけの問題ではない・・・

2.この点は後に敷衍しますが、まず「みながみな大学に行く必要はない」はその通りですが、
日本の「大学進学率」について、決して他国比高くはありません。

(1)先日、安西慶応塾長が配布した資料によると、学部進学率の比較は、
――アメリカ64%、英国57%、フランス41%に対して、日本は49%とあります。
またフランスの場合、大学院進学が日本の数倍多いので、院も入れた人口1000人当たり
学生数は日本22人に対して仏24人です(米37人、英39人)。

(2)問題は、「進学率」の定義で、進学率=入学者数(年齢は問わない)の入学年齢相当人口に対する割合、
に注意してください。


つまり他国は、いわゆる「社会人学生」(そもそも、こんな英語がない)が多いということです。
これも資料によると、「大学型高等教育機関への25歳以上(社会人)の入学者の割合は、
OECD平均で20.6%。対して日本は2.7%で、OECD諸国の中で最も少ない。


3.「大学もトータルとしての社会システムの所産」ということは、具体的に言えば、
(1)日本の大学入学者の殆どが18歳人口であること。
(2)企業や官庁の採用が、依然として新卒一括のシステムを取っていること
(卒業してしまえば、もう「中途採用」枠になってしまう)
(3)いずれも、一言でいえば、「多様性」という生き方の選択肢が少ないこと

にあると思います。

多様性については、大学での学びが「単線型」で、転科や転部まして大学を変えることが
きわめて難しいという問題も指摘できます。


4.ということで、なかなか難しい課題であることをご理解頂ければ幸甚です。


ところで今回は、もっと別のことを取り上げるつもりでしたが、紙数が無くなりました。

例えば、柳居子さんのブログ。

同氏は毎日書いておられるので、当方のフォローはどうしても相当遅れます。

1月28日
および
同31日の文章
・・・・八百卯が閉めるという話については、こちらもフォローしたいと思いつつ、時期を逸しそうです。


言うまでもなく、梶井基次郎の『檸檬(れもん)』に出てくる、ここでレモンを買って、
丸善においてくるという短い小説に出てくる果物屋さんです。

その丸善京都店
も2005年10月に閉じました。