池田さん4月3日付けコメント拝読。拙著無事に到着の由、安心しました。

気楽にお読み頂ければ幸甚です。


mikkoさん、ご多忙の中「カスタ君の町家」に来て頂き、有難うございます。
連れてきて頂いた (有)キュアリンクケアの谷口さん、何れゆっくり活動内容を話してほしいなと思います。


ブログに書いておられるように人材育成大事ですね。北槇島青少年健全育成協議会も
いつまでもmikkoさんに頼りきりでは困りますね。

ご指摘の通り、人材育成は周囲の支援と本人の意識が大事だろうと思います。
KSENも徐々に関心を持ってくれる若い人が増えて、本当に嬉しいです。


もっとも、ご期待は嬉しいですが、私はとても、「羅針盤」など出来そうもありません。


日ごろ若者と接していて、私のような老人の役割は以下のようなことかと感じています。
別の意見の方もいるでしょうが。


1つは、「ほめること」。どんな若者もいいところを持っている。偏差値だの
有名大学だの関係ない、と強く言いたいです。

もう卒業した昔のゼミ生がいろいろ悩んでいたときに、
こんなことを話した記憶があります。

「君は吹奏楽部に入ってサックス(だったか)を吹いている。僕は、
楽器は何も出来ない。それだけでも君が羨ましい。上手じゃないと言っているが、
そもそも吹けない僕からしたら立派なものだ。悩んだら、ときにサックスを
思い切り吹いてみたらどうだろう」


2つ目は、「自主性を尊重して、任せること。辛抱すること。他人に言われるのでなく、
ひとは自分の失敗から学ぶと信じること」

前にも書きましたが、「ごえん」という現代社会学科(ゲンシャ)のパンフレットを
ゼミ生8人が自分たちで作り上げたとき、そう強く感じました。


最後に、「仲間うちで(年上の人間ではなく)ロール・モデルを見せること」。
私はときどき、「ゲンシャ君」「ゲンシャさん」と呼んで、仲間のいろんな
事例を紹介することにしています。

この4月、ゲンシャに初めて車椅子の女子学生が入学しました。
他の学科にはすでに居ますが、うちには始めてです。それも筋肉が萎縮するという
病気で、当人はさぞしんどいだろうと思います。それでも彼女はいつも明るく、
素敵な笑顔で挨拶してくれます。

見ていると、周りにいつの間にか仲間が集まって、車椅子を押したり、
授業のノート取りを手伝ったりしているようです。

その中には、茶髪の、何しに大学に入ったのかなと思いたくなるような若者もいて、
彼がいつも率先して車椅子を押しています。

しかし、彼女自身は辛いことが山のようにあるだろうけど、彼女の存在が
ゲンシャの若者に大きなインパクトを与えているだろうことを日々感じています。
入学してくれてよかったなと思います。


年寄りが余計な説教をするよりも、若者は、仲間から学び、
仲間を見て育つような気がします。

羅針盤」にはとてもなれそうもありませんね。