このGW後半は週末と祝日がつながり、幸い担当する授業もないので
比較的ゆっくりしています。

半年振りに田舎の家に来て、読書、散歩、友人との再会など、
充実しています。

もっともインターネットは常時つながるので、これで仕事その他、
現場とつながることが出来て、これが無かったら、長く京都を離れることは
難しいでしょう。

有難いというか何とも便利なものです。


そのインターネットで、遠くから悲しい知らせも届きました。


このブログを見て下さる方は殆ど誰も知らないでしょうが、
エルザ・ハンターというオーストラリア人の女性が4月末亡くなったと
いうメールが夫のビルから届きました。享年69歳、ここ30年ほどは、
進行性筋硬化症(MS)という不治の難病のため、
昼間は終日車いす生活でした。


我々夫婦が2人と親しく付き合ったのは、私たちのシドニー勤務
時代ですから、もう15年も昔になります。ビルは当時、
旧東銀の現地法人の社外重役をしてくれていました。
豪州最大の企業BHPの財務担当役員で、将来の社長候補と
いわれていたビルは、エルザの発病を知って、
彼女の介護を最優先するため同社を退職しました。


その後、取引のあった旧東銀の社外重役のような負担の少ない
仕事を幾つかこなしていましたが、それも1994年に全てやめて、
気候のよい海辺の地に移りました。

写真はそのときの送別に社宅にお招きしたときのものです。


何といっても忘れられないのは、2人の夫婦の仲のよさ、
ビルの人間としての素晴らしさ、そしてエルザの魅力でした。


日本に帰ってから、彼らのことが忘れられなくて、
写真とともにこんなことも書きました。
「深く印象に残るのは、2人の生きる姿にいささかの悲壮感も
センチメンタリズムも感じられない点です。2人とも毎日をエンジョイ
していますし、エルザから暗い影とか機嫌の悪さとかを読み取ること
はできません。いつも静かな微笑をうかべており、その上、好奇心だの、
会話に参加してくる加わり方だのにおいて、普通人と変わるところがありません
(もちろん喋り方はゆっくりしていますが)・・・・」

ビルも、彼女を病人扱いするというより、極力、健常者と同じように
人生を楽しんでほしいという姿勢でした。


夫婦で、東京にも京都にも来ましたし、そのときは私たち夫婦も一緒でしたが、
何とそのあと2人だけで、車いすに乗せたエルザをビルが支えて、
岐阜県下呂温泉まで出かけました。

こんなことを書き出すと、きりがありません。
恥ずかしながら、ちょっと鼻をすすりつつ、この文章を書いています。

ビルのメールに私たち2人の名前で、返事をやっと打ち終えたところです。

「さよならエルザ。あなたがこの世にいなくなっても、私たち2人は、
これからもずっとあなたとビルの友人であり続けますよ・・・」
と最後に書き終えました。