我善坊さん、有り難うございます。
お気持ちよくわかるように思います。
最近は、この「民主主義と自由」に対する不寛容の論調が目立ちますね。
中身を見ていないのですが、『自由と民主主義はもうやめる』なんていう題名の本まであります。
おそらく中身はまともなのでしょうが、題名は出版社の「売らんかな」商法でしょうね。
他の人には全く興味ない話題でしょうが、我善坊さんとは対談をしたいような気持ちで、
今回も少しフォローします。
1.「アメリカは文明に不寛容で、宗教は文明に含まれる」というコメントについて。
普通、宗教を「文化」ととらえる向きが多いと思うが、なぜ「文明」と規定したか?
書いたときは忘れていたが、ハンチントンの『文明の衝突』に以下の記述がありました。
「文明を定義するあらゆる客観的な要素のなかで最も重要なのは(略)、宗教である」
(訳書、54頁)
2.もっとも、ハンチントンは、「文化」と「文明」を二項対立的にとらえていない。
「文明と文化は、いずれも人々の生活様式全般を言い、文明は文化を拡大したものである」
3.これに対して、両者を峻別するのがご承知の通り、司馬遼太郎で、
・・・文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」を指すのに対し、
文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。
つまりは普遍的でない
(『アメリカ素描』17頁)
4.してみると、私のコメントは、ハンチントンと司馬遼太郎を昔読んだ知識のブレンドかな、
ただし「アメリカは文明に不寛容・・」というのはちょっと、スパイスを掛けたかな・・・と考えた
次第です。
序でに、宗教というか、「キリスト教」ですが、渡辺一夫さんのご指摘はよく分かりますね。
信者の方には怒られそうですが。
たまたま、Newsweekのアジア版4月20日号が、「クリスチャン・アメリカの終焉」という
4頁の面白いエッセイを載せています。
そこで指摘されているのは以下のような点です。
(1)アメリカは依然、欧州に比べてキリスト教が政治や文化において大きな役割を占めていること
に変わりない。
(2)しかし、自らを「クリスチャン」(the percentage of self-identified Christians)と
規定する人は確実に減っている。
1990年比10%減って、76%。
他方で、「自分は特定の宗教の信者ではないとするアメリカ人」
(Americans who claim no religious affiliation)は、1990年の8%から最近では倍増の16%。
かつ、この層の75%が、自ら「クリスチャン」と規定するオバマに投票した・・・・
(3)残りの8%のうち、ユダヤ教が1.2%ムスリム0.6%、「無神論」と認める人が
3.6百万人と90年比4倍に増えた。
あとが、仏教徒、ヒンズー、その他でしょうか。
この「自分は特定の宗教の信者ではない・・」という定義が、まさに前回紹介した
「日本人の宗教=無宗教」と同じで、「無宗教」は「無神論」でも「宗教心がないわけでもない」
と著者は言います。(長くなりすぎたので、これ以上は省略)
アメリカ人が、「文明」のこの部分では少し「寛容」になってくれれば、いいことですね。