身近な「生」と「死」から考えること

我善坊さん、コメントを強要しているようで恐縮ですが
感謝です。

豪州も、クリスチャンが10%低下ですか。


私自身、宗教心の厚い人間ではないので、どうも宗教の話は苦手ですが、
やはり年を取ってどうやって世を去るかということを考える時期になって、こんな話題に多少興味を持つようになりました。


それと、ここ3年、財団法人宇治市霊園公社という、宇治市直轄の葬祭場と墓地を運営している組織
の理事長をやらされていることもあり、お墓の話題もよく交わすようになりました。

先日の理事会では、議事ではないが懇談の場で「単身者用の納骨堂を作れないか」とか
「ペット用のお墓を作れないか」というような要望が出ました。

市の予算も苦しくて、そんな余裕はとても無いのですが、「希望があれば、〜家のお墓にペットを埋葬してあげたらどうか?」
と提案したところ、もちろん現在は、「埋葬許可」が下りないそうです。


まだ心情として抵抗のある人が多いでしょうかね。



どうやって世を去るかという話題で、長野県茅野市の田舎の家の隣人のことを報告しておきます。

 
初夏になると、ときどき週末泊まりに行きます。お会いするのも夏だけという人たちが何人かいます。


隣に住むHさんもその1人で、奥様が、昨年12月末に肝臓がんで亡くなりました。

73歳でした。10年ほど前に家を建てて、現役を引退したご主人と2人で夏を過ごし、
私たちが会うのもこの地だけでした。5月のある週末、久しぶりにH氏に再会して知らされ、
「えっ」と思わず絶句しました。 


昨年8月末我が家でワインとチーズで午後のひとときを過ごし、元気で明るく話していた姿が最後になりました。


症状を知ったのが10月。告知を強く望み、末期がんとわかってから2ヶ月あまり。
抗がん剤を含めてあらゆる延命措置を断り、ホスピスで亡くなられた由。
認知症を患った両方の母親を長く介護しながら、地元の在日外国人を支援するボランティア活動にも参加していました。


認知症の専門医の講演で「がんになったらラッキーと思いなさい。」ということばを聴いて、深く心に刻んでいた。

 最期を覚悟してからも、夫を引っぱって、自分の葬儀に着用する喪服を新調しにデパートに出かけたり、
形見分けに時間を掛けたりした。主治医が「男でいえば、侍のようだった」と評したそうです。
「とても彼女の真似ができるとは思えない」とはご主人のことばです。

そのご主人を拙宅にお呼びして、持参して頂いた年代物のワインを空けながら、しばらく思い出話をしました。