お礼がたいへん遅くなりましたが、
柳居子さんご指摘有難うございます。
「季」を「とき」と読むのは名前だけとは気がつきませんでした。
勉強になりました。
ブログというのはいろいろとご指摘を貰って、
考え直したり書き直したりという
プロセスが意味がありますね。
柳居子さんのおかげで、本日の京都新聞に私の雑文が載っている
はずですが
(週末用事があって東京に居るので見ていない)、
内容はこの秋に出るという
「ミシュランガイド京都大阪版」をテーマしたもの。
これも、このブログで書いて、指摘を貰って、その後いろいろ調べたり
意見交換をしたりして、考えがまとまったものです。
当初の視点からだいぶ変化しており、このプロセスが
個人的にはまことに大事です。
私の場合、雑文を書くに当たって、何を書くか考えるのが
全体の6、実際に書くのが1、そのあとの推敲が3ぐらいの割合で時間と
エネルギーを使っていると思います。
ブログは最後の3の部分がない→題材をある程度未消化のまままず
人に見せて→指摘を受けたりしながら、完成させる・・・・
これがブログの意義かなあと考えています。
その代わり、私にとってはブログは完成品ではない。
あくまで素材であり、考えをまとめるプロセスである、
ということでしょうか。
書き続けること・書きながら考え・書きながら意見をまとめていくこと
、これから秋にかけて
卒論を完成しなければならない4回生のゼミ生にいつも言っていることです。
15人の彼らにゼミの時間に毎回、何か書いてもらっています。
それを読んで、こちらも何か書いて、翌週返して、また書いてもらって、
それを受け取って、こちらもコメントして、また返す・・・
というようなノート交換を続けています。
この約束を毎週きちんと守るのは半数ぐらいですが、ゼミでは発表できない、
個人的な意見や活動を書いてくれて、彼らが何を考えているか少しは
理解できるような気がします。
今年は、企業の就職戦線がまことに厳しくて、大半のゼミ生があちこちで
挫折して時に落ち込み、時に悩んでいます。
一人で黙っているよりはノートに向かって自分の言葉をぶつけることで、
少しは心の整理になるのではないか、と思って続けているのですが・・・・
それにしても、就職活動、うまく行ってほしいものです。