カトリック教会の葬儀

今回(いつもそうかも知れませんが)100%私事を書きます。

先週、姉が77歳で亡くなり、東京のカトリック教会で葬儀を行いました。


連れ合いをすでに亡くし、子供が居ませんので、私が喪主をつとめました。
カトリックの葬儀での喪主というのは初めての経験です。神父が聖書の文句を朗読するのも、
賛美歌をみんなで歌うのも、仏式と違って、日本語もよく分かるし、メロディも歌詞もなじみがあるし、
お経を聞くよりかえってつらいものがあり、涙を抑えられないことになりました。


77年の生はいまの時代決して長いとはいえないかもしれないし、もちろん身内からすればもっと
元気でいてほしかったという思いが消えることはないでしょう。

しかし私としては、ここまでよく頑張ったなという個人的な感想も強くあります。


姉は小さい時からあまり丈夫でなく、おまけに10年以上前に、初期の胃がんを患い、3分の2を摘出しました。
病弱だったということは彼女にとって運命的な出来事と関わってきます。

昭和20年8月6日、父親の転勤で家族で広島に住むようになって4か月、彼女はまた例によって
体の具合が悪く、家で寝ていました。同級生はすべて工場に勤労奉仕に動員され、
原爆の投下された爆心地に近い現場で即死したといいます。


友はすべて悲惨な死をとげ、自分だけが生き延びたという事実、
その前、東京でずっと雙葉というミッションスクールに通って
いた教育、そんな事情があったのだろうと推測するのですが、
若くして、家族の中でひとりだけ、聖イグナチオ教会で受洗しました。


といっても、いかにも姉らしいのですが、本人からそういうことは聞いたこともないし、
普段から、自分の信仰について語ることもなく、人に薦めることもなく、ひとりキリスト者としての
途を歩みました。

だからといって堅苦しい人間ではなく、この点は我々家族に似て、楽天的で、おっちょこちょいで、
遊ぶのも大好きでした。



かって、バージニア・ウルフという英国の小説家は「生きることの依りどころは、思い出である」
(If life has a base, it is a memory)と書きました。

今回のブログは個人的な思い出の文章化にすぎません。

しかし同時に、人の一生が時代とともにあること、そして、ここにまた一人、戦
争の悲惨を体験した人間が居なくなったことをお伝えしたいと考えたからでもあります。