総選挙にあたり丸山政治学を考える

ksen2009-08-04

前回のブログで三宅一生のNYタイムズへの寄稿を紹介しました。
被爆体験のある氏が、核廃絶を訴えるオバマ大統領のプラハでの演説に心を動かされて、発言したこと。それだけでもオバマ演説の意義は大きいのではないかという趣旨です。

我善坊さんから長いメールを頂きました。

オバマ演説を「バックキャスティング」的な発想でとらえたいというご意見で、この言葉、よく知りませんが、目標設定を置いてそこから実現の道を考える手法のようです。


なるほどと思うと同時に、私自身は、故丸山真男さん(もと東大教授、専門:日本政治思想史)の講義を思いだし、「講義録」を再読しました。


特に、そこで彼が強調した「政治的リアリズム」についてで、オバマ演説はまさに彼の言う「政治的リアリズム」の好例と考えたからです。


そして、いよいよ総選挙を迎える今、当時、丸山さんが「政治」についてどう考えていたかを知ることは、私にとって大きな意味があると考えたからです。


以下、少し硬いし、長くなるので、ここで読むのをやめていただいた方がいいかもしれませんが、彼は、1960年、東大法学部秋学期(10月〜翌2月)、週2回、それぞれ2時間、3年生向けに「政治学」の講義をしました。

「東洋政治思想史」(のち「日本政治思想史」)しか担当していなかった丸山さんにとって異例のことで、担当教員の退官後1年間後任が決まらず、これは彼が法学部で唯一行った「政治学」講義です。


この点で以下2点。

1. 私はこの講義を聞くという幸運に恵まれた学生の1人であったこと。

2. 言うまでもなく、1960年は、あの「安保騒動」のあった、アイゼンハワー大統領の訪日がキャンセルとなり、抗議デモが国会内におよび、そこで樺美智子さんが亡くなり、岸氏が退陣した・・・あの年の秋に行われた講義だったということ。


本講義については、「丸山真男講義録」(東京大学出版会)が出版されており、以下、該当するところを引用します。

「政治的リアリズムは、なによりも状況認識の問題である。つまり、状況の読みの深さ、浅さが、第一に政治的成熟度を決定する。」(10頁)


「・・理想や理念と現実を固定的に分離し、「理想はそうだけれど、現実は云々」というような形で、一時点の状況を固定化する思考、あるいは単に次々と起こるイヴェントを後から追いかけ、これに順応するだけの状況追随主義もまた、実は政治的リアリズムに似て全く非なるものである」(18頁)


「状況はただ客体として前にあるものではなく、actor(注:政治的状況を構成する主体の単位。選挙人、XX党、経団連、政府、日本、国連・・等々)の行動を通じて刻々変化するものである。つまり主体・客体的なものである。だから、状況をある凝固した現実、所与の現実として捉えずに、もっと可塑的なもの、操作的なものとして捉えるのが本当の政治的リアリズムなのである」(19頁)


そして、このあと、「政治は可能性の技術である」というビスマルクの有名な言葉の解釈に入ります。

このあたりを、まだ21歳の私が感動しながら聞いたことも今でも記憶しています。


そして「講義録」の編者(丸山さんの教え子)も「あとがき」で、同じ感動を伝えようとしています。

長くなりますが引用します。


「政治における「悪」を強く自覚する彼の政治観は、単純な進歩史観にもたれかった楽天的なおめでたい民主主義者たることを彼に許さず、その議論に独特の深みをもたらしているのである」



「しかも丸山は、そもそも政治的関心を持たない学生に、政治への関心を持つように誘っている
のではない。政治的真空において抽象的一般論を述べていたのでもない。その年の春、多くは「安保闘争」に関わって、あるいは熱狂し・・・・あるいは絶望した(であろう)学生達 ――そして、その背後にいた日本の「市民」達 −に、語りかけていたのである。この時点において、彼等に、政治について特に語るべきだと考えたことを語っていたのである。そして、政治を決して甘く見ず、したがって簡単に「挫折」せず、政治の困難さを十分承知しながら、しかも「脱政治化」してアパシー(無関心)に陥らず・・・・ユーモアを忘れない「能動的市民」として生き続けるように、静かに勧めていたのである」(227頁)


恥ずかしながら、この部分、何度読んでも涙がとまらなくなります。


最後に、「政治学」の試験問題は(私は忘れていましたが)「講義録」によると以下の通り。


「つぎの命題について論評せよ、
1. 政治は可能性の技術である
2. 極左と極右は相通じる     以上2問

(注意:諸君の答案がいかなる政治的イデオロギーあるいは世界観の立場に立って書かれようとも、そのこと自体は採点の考慮に入らない)」


問題も忘れているぐらいですから、何を書いたかも覚えているはずもありません。

ただし、丸山先生が、私の拙い答案に眼を通してくれたことは大いなる喜びであります。