ゴーギャン展で思いだしたこと

ksen2009-08-20

黒幕子さん、コメント有難うございます。
お礼が遅くなってまことに申し訳ありません。

京都はまだ暑そうですね。お元気で乗り切ってください。
京の素敵なすし屋さんを教えて頂き、有難うございます。

好きな蕎麦屋かすし屋のカンターに座って「お銚子つけてください」
と口にするとき、日本人に生まれてよかったなあ、としみじみ思いますね。


ご返事が遅れた1つの理由に、東京に行って妻ともどもドクターチェックを
受けてきたということもあります。まあ、この年になると、大騒ぎをするほどの
ことはなく、「お迎え」が来る体制準備ということでしょうから、どうということも
ありませんが。


しかもこの間、時間の合間に、美術館に行って「ポール・ゴーギャン展」を
見てきましたので、十分満足しました。


ゴーギャンの例の「我々はどこから来たのか・・・」(ボストン美術館)は、
大昔ボストンに行くのも仕事の用だけで、美術館を覗いたことがないので、初見でした。



えらそうに西洋美術の話など出来ませんが、ゴーギャンから思い出したことを
ご紹介します。

フィリップ・ロスというユダヤアメリカ人の小説家がいます。


1959年に「さようならコロンバス」という小説でデビューし、
たしか映画化もされたはずです。

私は1発表から10年ほど経って、一人暮らしのアメリカ・ダラスの大学図書館
読みました。


内容は全部忘れてしまいましたが、貧しい主人公(大学生,
もちろんユダヤ人)と金持ちの女子大生(もちろんワスプ)
との熱い・しかし実らなかったひと夏の恋の物語だったと思います。


ただ、小説に出てくる小さなエピソードが記憶に残っています。


・ ・・主人公は夏休み、郷里の図書館(オハイオ州コロンバス)の
図書館で受けつけのアルバイトをしている。
黒人の少年が毎日やってきて、画集を借り出して黙って、しかし実に熱心にみている
(貸し出しも可能なのだろうが自宅にはそんなものを見る場所もないのか)。
主人公との間には会話も何もないが、彼はなぜかその存在が気になっている。


ある日、別の人(暮らしに余裕のありそうな白人の女性)が少年が現われる前に、
その画集を借り出そうと受付にやってくる。

主人公は、これから間違いなくやってくるであろう、そして本が貸し出されて
いることを知って失望するであろう少年をおもい、この本はすでに予約ずみだと
嘘をついて、貸し出しを拒否してしまう・・・・

その画集というのが、ゴーギャンの画集なのです。


小説の本筋とは関係のない小さなエピソードに過ぎませんが、貧しい大学生の
鬱屈した青春と感性がうまく表現されているような箇所で、
ここだけ不思議に印象に残っていました。


ゴーギャン展」を見て、タヒチの大地と褐色の女性の姿を絵画の中に見て、
図書館でロスの小説を読みながら、画集に見入っている黒人少年のイメージを
思い浮かべていた若き日の私のことを何十年ぶりかで思いだしました。


もっとも、この本、手元には無く、チェックしていないので、
実は内容は全く違っていたりして、私の勝手な思い込みかもしれませんが・・・