食欲の秋ですね。
さんまがおいしいですね(写真は錦市場で撮りました)。
過日の日経俳壇に「まず含む辛口の酒、新秋刀魚」という句が黒田杏子さん選のトップに載っていました。
私は、自分でも作らないし、その良しあしが全く分からないのですが、
こういう句は想像力をかきたてられて好きです。
1.まず「辛口の酒」、これ銘柄は何だろう?燗酒だろうかひやだろうか?(私だったら熱燗がいい)
2.さんまは当然、塩焼だろうが、違うかしら。当然に大根おろしとすだちが添えてあるだろうが、
すだちでなくて 佐藤春夫にならって蜜柑だろうか?
3.自宅の夕食だろうか?それとも居酒屋であろうか?
4.仲間がいるのか?自宅なら奥さんが一緒に飲んでくれているのか?
5.日本酒を、この人何合ぐらい飲むだろうか?
まあ、そんな下らないことを想像しては楽しんでいます。
何れにせよ、佐藤春夫は「ひとり」、
ご承知のように、妻に去られた男が、夫に捨てられる妻(谷崎潤一郎夫人、のちに佐藤夫人)
を想って
ひとりさんまを焼く心境をかたる詩です。
食欲の秋、私は京都では原則ひとり、谷崎夫人のような状況もないので、まあ気楽に過ごし、
先週末は「尾張屋本店」に入りました。
ここも含めて、京都のそばはもちろん私の好みではありませんが、ここの雰囲気は気に入っています。
日曜の昼さがり、客は少なく、燗酒につまみを注文して読みかけの本を広げてしばし時を過ごしました。
(私は、何合飲んだでしょう?)
そこで思い出したのが、こういう時に、最近、「至福の時」という言葉を使う人が多いですね。私は実は嫌いです。
この言葉自体が嫌いというよりも、理由は自分でもよく分からないのですが、
「至福の時」なんていう表現を、そう安易に使っていいのかなといったらいいかな。
日曜の午後、ひとり「尾張屋」で燗酒とお蕎麦を頂いて「気分よく過ごしました」。
何も「至福の時」なんて大げさに言わなくても、この程度で十分ではないでしょうか。
ちょっと厭味で申し訳ないけど、最近、気になる・あまり好みではない言葉の1つで、
私は使わないことにしています。
もちろん他の方が使用するのは一向に構いませんが、おそらく皆さんにも1つや2つ、
「これは自分では使わない」という言葉・言い回しがあることでしょう。
最後に、いただいたお花がとてもきれいだったので、厚かましくも写真を載せておきます。