再びお金の話。『愚者の黄金』も。

中島さん、今年も早速有難うございます。

年初早々、お金の話も何ですが、お金を通した「価値創造」について補足しておきます。

多くの人にとっては「釈迦に説法」かもしれませんが、お金によって「価値」が創造されたか
どうかをどう評価するかが大事だと思います。そこが、前々回にも触れた、京都地域創造基金
対する「金融知識・説明責任・情報開示」の要望になります。


昨今、お金を市民の寄付金等を通してサイクルさせる重要性が叫ばれており、まったく異存ありません。


しかしいちばん大事なのは、そのお金を使う人の意識でしょう。税金は言わずもなが、
寄付も出資金も、銀行預金も、
もちろん、大学の授業料も(日本の大学のキャッシュフローの9割近くが学生・保護者の負担です)、
他人様のお金で、自分が汗水たらして得たものではない、という自覚を断じて忘れるべきではないでしょう(
私自身、かって銀行に勤務していたので、その点、忸怩たる思いがありますが)。

最近報道されている政治家のお金の扱い方を見ると、まったく違う印象を受けますが、あれは
我々庶民とかけ離れた別世界の話でしょう。もちろん真似してはいけません。



お金と言えば、正月休みに『愚者の黄金、大暴走を生んだ金融技術』
(ジリアン・テット著)の邦訳(日経出版)を興味深く読みました。
以下、気づいた点ですが、

1.本書の副題は『J.P.モルガンの小さなグループが育んだ大胆な夢が、いかにしてウォール街
強欲によって堕落させられ、破局を引き起こしたか』。


2.著者の「まえがき」によると、「彼らは1990年代に、クレジット・デリバティブ
(金融資産に内包されている信用リスクのみを取引する相対契約)に属する数々の革新的な金
融商品を生み出した。彼らの生みだしたコンセプトは世界中に広がり、模倣され、住宅ローン金融における証券化
という別のイノベーションと運命的に結びついてしまった。」


3.本書は「自らの生みだした金融商品が市場の狂気に冒されていく中で、J.P.モルガンが“どのようなリスクを回避
したか”という「ほとんど知られていない事実」も紹介している。


4.著者の結論は以下の通りで、「どの金融システムにも固有の欠陥があり、イデオロギーへの無批判な信仰に引き
ずられて極端に走るときにその欠陥が表面化する、というのが私の得た重要な教訓である」→平たく言えば、上述
したように、「お金は天下の回りもの、自分の手元にあるお金も自分のものではない」という意識の欠落でしょう。



5.著者は、もと「フィナンシャル・タイムズ」紙の東京支局長。ケンブリッジ大学社会人類学の博士号を
取得したという経歴が面白い。

金融業界のおぞましい過ちの意味を理解するに当たって、博士号を取るに当たっての学びが有益な指針となったと語る。


すなわち「より広範な社会的事象に対する金融業界の関心の欠如こそが、その失敗の核心をつくものだ。
社会人類学が教えるのは、社会には真空状態または孤立した状態で存在するものは何もない、ということだ・・・
(だから)社会構造の様々な部分を結び付けようとする全体的な分析が欠かせない・・・」



ここには、日本の大学・大学院教育に対する、ある重要な問題提起があるように思いますが、まあ、
日本ではこういう教育は無理でしょうね。

「リベラル・アーツ」(そもそも、これが何かの理解がばらばら)教育の重要性と
縦割り専門教育の修正ということにもなりますが、正直言って、私は悲観的です。



最後に、中島さんからご質問のあった、前回、載せた女性の写真について一言。

Wikipediaの訃報に載るような著名人ではありませんので、ご放念頂きたいのですが、私がもっとも
好ましい印象を受けた、あるオーストラリア人の女性です。



今から、15年ほど前に京都に一緒に旅行しました。

その時の写真ですが、当時でもすでに、京都での車椅子の旅行が実に快適だったのには、さすが京都と
感動した記憶があります。


タクシーも車椅子仕様になっており、しかも運転手の対応が素晴らしかった。

清水寺など、車椅子での観光客に対する対応も申し分なかった(詩仙堂のような場所は、さすがに
無理でしたが、これは仕方ない)。


彼女も、最初で最後の日本旅行を本当に楽しんでくれて、私の京都の印象が
一段と上がった旅行だったことを補足しておきます。