最終講義とリベラルであること

海太郎さん、3月京都でのさわやか福祉財団のフォーラムに関心を持って頂き、
有難うございます。

春めいて来る頃でしょうから、可能なら足をお運びください。

中島さんには情報提供有難うございました。


また、ブログのバックナンバーを覗いて頂いたことにも感謝です。
学校名を出しても問題ないと思いますが、同じ麻布ですか。

息子も昨年入学した孫もそうで、3代続くのですが、息子はほぼ同年齢のようです。


いまの氷上(ひがみ)校長は、彼が入学したときの担任で、数年前に初めて会う機会があったとき、
「息子が中1のときお世話になりました」と挨拶したら、「ああ、ひろし君のお父さんですか」と名前を覚えて
いたのには、びっくりしました。さすがに立派な恩師です。


ということで、今回は「麻布」について話したいと思うのですが、実は1月13日(水)
に「最終講義」をやりました。

「東京と京都に50年――ここから社会起業家の波を!」と題して90分、パワーポイントのスライドを45枚見せて
(うち24枚のコピーを手もと資料に配布して)、喋ったのですが、大きく3つに分けて、

1.最初の30分を「麻布」と初代校長の江原素六氏について
2.続いての30分を「東京銀行」の企業文化と学んだこと
3.最後に、いま勤務する京都文教大学について

という風にまとめました。

以下、何を伝えたかったかというと、項目だけですが、

(1)1つは「私立」あるいは「私企業」ということ。「私」とは「自己責任」というキーワードに尽きる
のではないか
(もちろん、弱者に対するセーフティ・ネットは必要)

(2)大げさな言い方だが、「麻布」という中高での6年間がいまの私を作ったと言えるのではないか。

(関西の方は知らない人が多いでしょうが、東京港区麻布にある中高一貫の男子校です)

(3)「麻布」の校風と「東京銀行」の企業文化に共通するものは「リベラル」であることの価値ではないか・

(余談ですが、アメリカに住んでいると、「保守対リベラル」という構図で、議論する機会が多いのですが、
私であれば、ほとんど常に「リベラル」の立場だったと思います。



10年近い昔、同志社アメリカ研究科の「アメリカ文明論」で先生の指導で、教育をめぐって
「保守かリベラルか?」でディベイトをやったことがあります。あとはみんな若い女性の学生が多く、
私は、リベラルのリーダー格をやらされ、英語で大議論を展開し、先生の判定はかろうじてリベラル派の勝ちでした)


(4)ここでリベラルとは何か?を論じる余裕はないが、具体的に考えると、

・東銀であれば、象徴としての、徹底した「さん」づけであり、女性行員の活用であり
(もちろん当時の他の日本企業との比較論ですが)、


・麻布であれば、「自由闊達」と呼ばれる校風であろう。


(麻布の文集を読むと、昔も今も変わらず、卒業生の言葉からそれが伝わってくる。

例えば、
「確かに麻布は変な学校だった。・・・変というのは、いわゆる世間の評判と内部の事情が正反対といってよい
ほど違うことを指しており、世評は進学名門校であるが、生徒のほうはそのイメージが示す真面目な優等生とは
正反対の・・・世間一般の常識のワクには入りきらない「変」な人物が数多くいた。」


(5)さらに言えば、リベラルとは「他人と違うことを恐れるな」「あえて他人と違う人間になれ」
(Dare to be different)という精神の構えであろう。


それは、多くの場合、どんな人間にとっても「それぞれの居場所がある」ということでもあろう。

その証拠に、この2つの組織の共通点として、


・卒業生、OBの殆どが、懐かしく思い出す、「良い学校だった」「良い会社だった」というコメントであり、

・しかも、それが、(差別用語と言われるかもしれないが)、麻布であれば私のような優等生でなかった者に多く、
東銀であれば、高卒や女子行員OBに多いこと



なぜ、そうなのか?

という点に触れるには、長く書き過ぎました。

麻布の場合、初代校長・原素六の存在がいかに大きかったか、ということにもなるわけですが、
このぐらいでやめておきます。