さわさきさん、我善坊さん、中島さん、有難うございます。
いや、皆様、たいへんなインテリですね。マルクスですか。ヘーゲルですか。勉強になりました。
私のブログ「本文」を読むより、コメントを読む方が面白いと思っている人が多いでしょう。ぜひ、
ご自分のブログを開設してほしいものです。
以前に何度も紹介しましたが、梅田望夫さん(『ウェブ進化論』)のメッセージ、総表現者社会に
参加することで「良貨が悪貨を駆逐する」ことを期待したいものです。
原節子や黒澤明の話は、残念ながらまた、ということにして・・・・
中島さんのコメント、「公」と「私」、福澤諭吉、リベラル&リベラル・アーツについて
、お答えするほどの知性は持っておりませんが、あれ以来いろいろと考えており、その点は感謝しています。
福澤については、むしろ我善坊さんがご専門と思います。
ほんの感想に過ぎませんが、
1.「英語語源辞典」をチェックすると以下の説明がありました
――ラテン語liber(自由な、拘束されない)から名詞libertas----liberty(自由)の語源---と
形容詞liberales(自由な身の、高貴な)が派生した。かくして、liberal arts(人文科学、
一般教養科目)は、自由人にふさわしい学問ということになる。
2.ここで自由な身と高貴とが同じ「リベラル」の語源にあるというのが面白いですね。
前回「リベラリスト(自由主義者)は死語になったか」と書きましたが他方で、
「新自由主義」は生きていて、例の『日本の難点』で宮台真司は、
「元々の新自由主義とネオリベとは区別しなければいけない」として、「僕自身は元々の意味での
新自由主義者です」と述べている(P.134)
そして、ネオリベ=市場原理主義は、「小さな政府」&「小さな社会」の枠組みであり、
大事なのは、「小さな政府」と「大きな社会」の枠組みである、と解説する。
3.この点は私も賛同するところですが、宮台氏への強いアレルギーも出てくると思うのが、
ある種の「エリート主義」です。
彼自身、「卓越主義的リベラリズム」という概念を紹介したり(P.223),「民主主義の不可避性
と不可能性」は、「エリート主義の不可能性と不可避性」と表裏一体である、と発言したりしており、
自らの構えを鮮明にしています。
本書の最後にある以下の文章など大いに反発をかうでしょうが、もともと「自由」と
「高貴」が同じ語源(これはキリスト教というより、ヘレニズム的のように思えますが)である
ことを考えれば、理解できるようにみえます。
―――本当にスゴイ奴に利己的な輩はいない。・・・これは僕が繰り返し述べてきた
初期ギリシャ的主題です。
・・・僕の知る限り、東大でも霞が関でも一番優秀な連中は軒並み利他的だからです。
それは「オマエの信仰に過ぎない」と言われればその通りと言う他はありません。でも
幸いなことに、そうした反論によって感染を揺るがすことはできないのです。(P.280)
4.中島さんの「公」と「私」については私はまだ思案中ですが、キリスト教が
「庶民」信仰であるとすれば、ヘレニズムは「エリート」信仰。そして「公」は
後者の構えかもしれない、とも考えるのです。
5.その他、いろいろコメントしたいのですが、紙数がなくなりました。
最後に「ガンダム」について一言だけ。
私はこのアニメ、読んだことも見たこともありませんが、この卒論、面白かったです。
ガンダムシリーズ全て、とくに「新機動戦士ガンダムW」中心に取り上げて、
そこに現れる戦争の在り様や戦争観を説明します。
もちろん彼のオリジナルではありませんが、名文句というのがあるそうで、その1つに、
「聞きたいかね?昨日までの時点で99,822人だ」もその1つ。
これは「貴様のために何人がこの戦いで犠牲になったと思うんだ?」という質問に、ある地球軍の指導者が答える。
しかも、彼は、この全員の名前を記憶していた・・・
若者は、こういう場面に感動するんだ、と興味深かったです。