「4月から何を?」「何に興味を?」

今年は寒い日が続いたせいか、桜が長持ちしましたね。
伊豆高原も東京世田谷もこの週末、十分、花見を楽しみました。

ついでに、我が家の桜も(もう小生以上に高齢ですが)頑張っています。

土論汝さん、3月30日付けへのコメントまことに感謝です。

「現在どうしているか?」という疑問ごもっともです。
今回は私的な話題で恐縮ながら、そんな話になってしまうかも・・・・

4月に大学を退職し、8日から19日までは東京に居り、そのあとは暫く京都です。


4月1日から晴れて「晴耕雨読」の日々になれる、朝から真面目に
読書ができる・・・と思ったのが浅はかで、未だに生活のリズムがつかめません。


1. そもそも、京都・東京という二重生活があり、これが
時間的・精神的・経済的に負担になります(といっても、
私の生活に十分に組み込まれているので両方ともにとても大事です。とくに
京都でのネットワークは・・・)。


2. そうはいっても東京での時間も長くなるので、自宅での
居場所づくりや環境(例えばPC)整備が一仕事です(例えば、
研究室から15箱ほどの書籍・書類を東京と京都に運び、これをどう処理するか?)

3. 年初来、怠っていたさまざまな私事をさばく必要がある
(両方の両親の墓参、姉の墓参、法事の準備、ホームドクター訪問、
歯医者・・・等々)。


4. そういえば、退職の挨拶状などまったく出していないが、
お知らせするほどの状況変化でもないし、手抜きと思われようが勘弁して
いただこう(ブログでは触れているので、これにてお許しいただきたい・・・)。

というような日々で何もしないうちに一日が終わってしまいます。


このうち、環境整備や、本・書類の整理ですが、これが一向にはかどらない。

子供たちが独立して老夫婦と猫だけの暮らしですが、書斎という代物がない。
スペースが無いわけではないが、私が落ち着こうとしても、それこそスペースが
無いので置いていった子供たちの本が(子供時代のも大人になってからのも、
私が読んで与えたのも)本棚を埋めている。


ちなみに我が一族は、物に(特に骨董だのアンティークだの、そこまで行か
なくても絵画だの飾り物だの人形だのに)まったく興味がないので、
こういうものはまったく無いのですが、ただ、やたらと本は多い。
これが「物」の全てと言ってよいのではないか・・・・


ということで、子供たちが置いていった(そのかなりは、親の愛読書でもある
のですが)大量の本をどうするか・・・・ということで、これらを整理して、
スペースを作って、そこに私の・新しい書籍を置き換えようと試みるのですが、
これがなかなかうまく行かない・・・整理する前に1冊1冊眺めているだけで、
時間がかかる・・・


例えば、写真にあるように、並んでいる童話の数々、「ピッピ」シリーズだの
ドリトル先生」だのケストナーだの『だれも知らない小さな国』(佐藤さとる
だの『木かげの家のこびとたち』(いぬいとみこ)だの・・・・

こういうのを整理しようとしても、つい1冊を取り上げて、拡げてしまう・・・
例えば、ケストナーの『点子ちゃんとアントン』や『飛ぶ教室』・・・・
子供のときに
少なくとも3回は読んでいると思うのですが、70歳を越えたおじいさんが、
整理しようと思いながらちょっとページをめくると読み終わるまで
やめられなくなる・・・これでほぼ一日が終わってしまうのです。


同じ老人でも私はまったく変わっているのでしょうが、本を読むといっても、
フィクション(つまり現実のあれこれとは全く関係ない)がいちばん好きで、
その中でもジャンル別にあげれば


1番好きなのが、「童話」「子供向け」・・・・
小川未明の『赤いろうそくと人魚』やオスカー・ワイルド
『わがままな巨人』なんていま、誰も知らないでしょうね?
いまの若い作家では湯本香樹実の『夏の庭』なんかいいですね。


次に、海外の(何とか著者の言葉で読めるので、
特に英米の)ミステリー・・・・アガサ・クリスティー
P.D.ジェームス、コリン・デクスター、ロバート・ゴダード
W.D.フロスト、T.H.クック等々
(不思議に、日本のミステリーはどうも苦手です。)。


最後に、「古典」と言われる、内外の小説・・・ドストエフスキーでも
スタンダールでも漱石でも何でもいいけど・・・・
やはり、1つと言えば、ディケンズかな。


ということでしょうか。


京都の大学にいて、この12年間、あまりこういう本を読まずに、
仕事に関係する、社会科学の本を多く読んできた・・・
しかし自分が本当に読みたいのは、こういう書物ではなかった・・・・
東京の自宅で、子供たちのために買い、子供たちが愛読してくれた昔の本の
数々を眺めながら、しみじみと思いました。



ということは子どもの頃に戻って、日々の世の中の出来事や、政治・経済には、
興味が薄れていくという感覚です。ノンポリが一層進んだというか。


普天間も、新党結成も、沖縄密約も、まして新聞の社会面を飾る、
さまざまな出来事(殺人事件も、グルメ情報も、例えば、皇族の子女への
「いじめ」とやらも)全く、興味がない・・・・従って、
新聞も通りいっぺんにしか読まないし、ましてテレビは殆ど見ない。
日曜の俵某がキャスターを務める番組は、このところ見たことがない・・・・・


現代社会への、現実への、興味・関心・疑問・問題提起の気持ちを失うことは、
「参加」する市民として失格だろうと大いに反省はしているのですが、これは、
もともとの資質なのか、やはり「ぼけ」症状なのか?


と悩みつつも、今夜も「飛ぶ教室」(ケストナー)を読んでしまおうと
思っているのですが(これは本当に面白い児童小説です)、


ちょっと変わっていますかね。