『家なき娘』(岩波文庫)を読みました

さわさきさん、さわやかさん、柳居子さん、土論汝さん、有難うございます。

世の中には同好の士が居るものだと、たいへん嬉しく思った次第です。


いろいろとコメントにもさらにコメントしたいところですが、
徐々にということで・・・


土論汝さんが大大大好きのフロスト警部(前回、R.D.フロストと書いて
しまいましたが、フロストは主人公の警部の名前で作者はウィングフィールドですね)。
私も実はこのところはまっているのですが、そのことも別の機会に。
  
それと、
柳居子さんの慰めの言葉にも感謝です。


たまたま本屋で立ち読みをしていたら、長田弘という詩人の、
こんな言葉を見つけました。

・・・・ 冒険とは、一日一日と、日を静かに暮らすことだ
・・・・ 一体、ニュースとよばれる日々の破片が、わたしたちの歴史と
言うようなものだろうか。あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ・・・・・
  

因みに、前回書いたことを、しつこく繰り返すと、


・ 4月からかなり自由な時間が増えて、かなり義務からも解放された。
そこで、考えたのは、12年間読んできた本は、必ずしも本当に読みたい本では
なかったのではないか。

・ 例えば、経営学者ピーター・F・ドラッカー
(なぜかいま本屋に行くと、山積みになって並んでいます)を熱心に
読んできて、もちろんそこから
学んだことは多いと思うが、しかしそれは本当に読みたい本だったろうか。
正直に言えば、ひょっとすると、丸山真男だって、半分は義務感で読んで
きたのではないだろうか。


・ 私が本当に読みたい本とは何かと考えると、皆さんのように、
子どものころの愛読書であったり、「ドリトル先生」であったり、ミステリー
であったりする。


・ ということで目下、子どもたちの置いていった本を整理するつもりが
一向にはかどらず、毎日、ドリトル先生を読み返している・・・・

というようなことです。


もっとも、私が子供時代に愛読したのは、時代的にいって、もう少し古い
作品ばかりで、ドリトル先生は我々の世代はかなり大人になってから
邦訳が出そろいました。


小川未明は古いですが、(ちなみに単なる誤植でしょうが、
「赤いろうそくと金魚」の方が楽しそうです。
「人魚」は暗い・悲しい童話ですね)、
あとは「少年少女世界名作全集」に網羅されていた・・・・
十五少年漂流記」だの「乞食と王子」「クオレ」「宝島」
若草物語」「小公女」等々。


中に「家なき児」というのがありました。

「小公子」に似て、一種の「貴種流離譚」、貧しく・不幸に見舞われているが、
実は、高貴の(あるいは富豪の)血を引いていて、最後はハッピー・エンド・・・という、まあ、
ドリトル先生以降の童話に比べると、ちょっと俗っぽい物語では
あります。
子ども用に要約されたものを読んだからかもしれませんが。

しかし、「家なき児」は岩波文庫にも入っていて、その姉妹編ともいえる「家なき娘」という、
やはり岩波文庫の邦訳を最近読み、なかなか面白かったです。


原作エクトル・マロー、1890年作、訳者は津田穣。

かっての同僚といってもよいか、京都文教短期大学に津田直樹という美
術の先生、日本画家がいます。
津田穣氏はお父さんだそうです。


たまたま、もうじき大学を退職するという3月末になって氏と短い会話を
交わす機会がありました。

氏は、昨年秋に、日展の特選となり(写真参照)そのお祝いを遅まき
ながら述べて雑談しているうちに、父親は45歳で亡くなられたがパスカル
研究を専門とするフランス文学者だったこと、『パンセ』やルナンの
『イエス伝』の翻訳で知られるが、「家なき児」の訳者でもあること。


12年も同じキャンパスに居ながら、そんな私的な会話を交わしたのは
初めてで、もっと早くこんな話しができていればなと悔やまれました。


私が子供時代の愛読書の1つだったと語ったところ、早速、
「家なき娘」の方を贈ってくださいました。


文庫で上下2冊。初版は1941年、頂いたのは2001年発行という第4刷。
まだ旧仮名遣いというのがいいです。

ゆっくり紹介していると、とても紙数が足りませんが、

1. 解説から・・・・

(上巻)13歳の少女:父を亡くし、病気の母もやがて倒れ、
ひとりぽっちになった貧しい少女ペリーヌは、様々な苦難に襲われるが、
けっしてへこたれない。

(下巻)ペリーヌは宮殿のような村の邸宅にやってきた。
その主人(地元で成功した大実業家)、盲目の老人ヴェルフラン氏は、
すぐにペリーヌの優しさと知恵と勇気を見抜く。

そして最後はもちろんハッピー・エンド。

2. この少女、まだ13歳ですが、ヴェルフラン氏はすっかり感心してしまう。

「わしは以前から、賢くて、慎み深い、誠実な、信頼できる者をそばに
置きたいと思うておった。ちょうどあの
娘が、さような性質を全部備えているように見える。」

もちろん所詮お話しであり、しかも彼女が人並みはずれたヒロインであることは、
間違いない。こんな少女が現実に居たとはとても思われない。


しかし、それにしても、19世紀末、人はいまよりずっと早く成熟し、
ずっと早く(つまり何かを成し遂げてしまえば)
この世を去ったのではないか。


小説に描かれる13歳の少女の賢さと強さと一人で暮らし・生きていく
意志の力には驚かされるが、・・・しかし、少なくとも当時の読者は、
そんなに違和感はなかったのではないか。10代初ともなれば自分で
生きることを考え、自分で運命を切り開いていく・・・それがむしろ当たり前
だったのではないか・・・


それに比べて現代人は、(わが身を振り返っても)、
いつまで経っても成熟せず、しかもそのままいつまでも生きのびている・・・・


そんなことを考えました。


時代背景は、フランスで(イギリスもアメリカも)産業社会が
確立しようとする19世紀の終わり(日本で言えば、明治時代の新国家の勃興期)です。


その中で、大実業家であるヴェルフラン氏が、ペリーヌのアドバイスを受け入れて、工場に
保育所をつくり、職工たちの住宅、宿舎、レストラン等をつくる・・・
というお話しにも興味を持ちました。

13歳のペリーヌは、企業に社会責任を認知させた「元祖CSR」の提唱者
と言えるかもしれません。


どうも詰まらぬ話でたいへん長くなってしまいました。