まだ60年安保と樺美智子さん

中島さん、我善坊さん、有難うございます。

中島さん、失礼しました。私のような高齢者にとっては、「祖父」という存在は
はるか彼方にあり、誤解してしまいました。

話は変わりますが、「名刺両面大作戦」の辻立ちは、新橋駅前から浜松町、田町駅
と続いているようですね。

ご苦労様です。ご健闘を心から祈ります。堀田さんも体調を崩されないように!
http://am6.jp/avMCKy


我善坊さん、「いつまでも安保の話題で恐縮」なのは、私の方です。

これが最後のつもりで、まだ安保です。

1.「小汀利得という右派の評論家」の名前は記憶にありますが、こういう発言は
初めて聞きました。何でもよくご存じですね。感心しました。


2.「岸が辞めれば半分は降りるよ」はけだし名言で、私などさしずめ、大阪途中下車組
だったろうと改めて思いました。ただ「岸が辞めても、残りの半分は未だ「安保反対」の
デモを続けていたでしょう」は、ご指摘の通りですね。

3.6月23日(火)の東京新聞に現米日財団理事長で、もとライシャワー駐日米大使の
特別補佐官だったジョージ・パッカード氏のインタビューが載っています。因みに、
この日は改定新安保条約が、発効して50年。また氏は、1960年秋から、東京大学
留学して安保闘争を研究しました。

インタビューの中でこんな発言をしています。

全学連全日本学生自治会総連合)のメンバーともよく話した。彼らの抗議運動は
共産主義、左翼運動というより、愛国主義的な色合いが強いという結論に達した」
―その理由は?
「52年に発効した旧条約の交渉時はまだ占領期。国民に意思表示する機会がなかった。
60年の抗議運動は独立後、言論の自由を得て、初めて条約に意見を求められた若い
世代による意思表示だと考えた」


4.いきなり50年後の現在に移りますが、21日(月)の日経に、同紙が主催した
第16回国際交流会議「アジアの未来」という会議の内容を載せています。


この中で、出席した、マハティール・もとマレーシア首相はこんな発言をしています。

「世界中に基地を展開するのは古い考え方だ。現代の兵器は米本土からでも届く。・・・」

また、こうも。

在日米軍が日本から撤退しても中国が日本の領土を奪うことはあり得ない。中国の
軍拡に対抗するため、在日米軍を増強しバランスを取ろうとするのは20世紀の
古い発想だ」

他方で、同じく出席したリー・クアンユーもとシンガポール首相の発言は、


「東アジア全体にとっても米国のいない安保体制は中国との力の均衡を保つ上で
問題がある。北朝鮮を中国が見放すことはない。(略)北朝鮮も戦争を起こせば
体制は存続できないのが明白だ」


5.両氏の意見に異論のある方もむろん居るだろうと思います。

しかし、日本では、政治のリーダーを含めて誰からもこういう意見を表立って聞き
ませんね。こういうアジアの賢人の見方も知っておいた方がいいのではないでしょうか。


因みに、私は、この2人にとう小平(デン・シャオ・ピン)を含めた3人が、
戦後のアジア(もちろん日本を含めて)
の傑出した政治リーダーと理解していますが、どんなものでしょう。

6.話が逸れてしまいましたが、60年安保闘争のときに「大阪下車組が半分」
という我善坊さんのコメントを紹介しました。


「もっと先まで行こう」と考えていた人たちも多く居て、その中で、そう考えていた
にも関わらず、途中で「降ろされてしまった」若者の代表として、私としては、
やはり樺美智子さんを思い出さずにはいられません。


しかも彼女は、以下の点で当時の(ごく一部の)若者にとって忘れられない
存在なのだと思います。


(1) 以前に紹介したように、もちろん真相はいまだ不明だが、当時遺体を
確認した同級生を含めて「彼女は殺された」と信じている人が少なからず居ること。

(2) 彼女の真摯さ・真面目さ。20歳の誕生日に共産党に入党し、その後
脱党して、共産党に批判的な組織ブントに属し、真夜中過ぎまで活動をする
という日々――資本家階級を打倒する戦いに真剣に取り組もうではないか」と
決起を呼びかける友人あての手紙を書くことを含めて ――を送りながら、
将来は父親のあとをついで研究者(史学か経済学)になりたい、そのための卒論
のテーマを必死に考えていたという、死によって果たせなかった彼女の短い生。


(3) しかも、彼女の人柄の誠実さ・良さ。この点を以下に補足すると、
    

・私は、あのころを回想した2冊の書物を持っています。2人とも当時のバリバリの
活動家で特に西部某は全学連の副委員長だった。彼の演説を何度も聞いたことがありますが、
そのころを振り返った彼の著作は、シニカルで私は好きになれません。
 しかし、そのシニカルな西部でさえ、樺さんについてこう書いています。

「私の方には彼女のただならぬ誠実さがつよく印象づけられ、そのせいか、
6・15事件で死者が出たと耳にしたとき、すぐ彼女に間違いないと直感したのである」
(31頁)


・私は、「文は人なり」という古い言葉を信じている方です。内容はともかく、
文章は、どんなに誤魔化しても、その人の人柄が出てくる。どんな優れた内容や、
卓抜した意見を書いていても、文章から匂ってくる人柄が嫌いならば、ついていけない
・・・そういう経験をした方は多いのではないでしょうか。言葉の内容よりも
言葉から伝わってくる「人」の魅力・・・


・しかも、それは多くの人に読まれることを想定していない文章にいちばん良く
出てくるように思う。


・その点で、樺さんの遺稿集「人知れず微笑まん」には、彼女の日記や手紙が
収められていますが、これを読むだけで、彼女の「ただならぬ誠実さ」が十二分に
伝わってきます。


・そんな、私なりに理解する彼女の一面を紹介して、今回も長い雑文を終わり
たいと思います。

実は以下は、恥ずかしながら、昔の私の若書き、「文藝首都」という雑誌に
載せてもらった短編からの引用です。文中ではKさんと表記しましたが、
出所は樺さんの遺稿集です。

・・・そして(略)Kさんも同じようにジェットコースターを楽しんだ日があった。
疎開していた中学時代にほんの短期間しか一緒でなかったが不思議に気が合った友人、
父親が病死し、苦しい生活を送っていた彼女はそれでも明るい頑張りやで、
地元の商業高校を終えて就職し、その会社の研修旅行で東京に出てきてKさん
(注:神戸高校から東大に入学した)は再会した。朝から後楽園の遊園地に一緒に
出かけ三時頃まで遊びまわった友との一日がよほどKさんには思い出になったようだ。
「やれジェットコースターだ、やれ電気自動車だ・・・と乗り回しました。
私がこんなことをして遊ぶなんて初めてのことです。愉快でした。実に愉快でした」
と友人あての手紙の文面から楽しさが匂い立ってくるようだ・・・・・・