富田林・PL・そして石上露子

我善坊さん、20付のhttp://d.hatena.ne.jp/ksen/2010092/

ブログへの長いコメントまことに有難うございます。

俳句についての知識や理解が乏しいため、たいへん勉強になりました。

1.「歳時記は虚子以下が適当に作ったもので、絶対視する必要がない」という
指摘はなるほどと納得。と言っても不勉強で、どういう経緯で
「虚子以下が作ったか」の経緯は知らないのですが。

2.そう言えば、歳時記で「夏」は立夏(5月6日)から立秋の前日
(8月7日)とあり、他方で「原爆忌」は「夏」、「敗戦忌」は「秋」の
季語とされています。

しかし、これで言うと、長崎の「原爆忌」は「秋」になりますね。


3.何れにせよ、ご指摘は、「四季」を大事にするという季節感が
日本人の美意識の
根柢にあるという一事だけふまえておけば、ある特定の日や言葉がどの
季節に入るのかはさほど重要な論点ではない、という風に勝手に理解し、
考えさせられました。


ところで、更新が遅れて、お礼も遅くなり、失礼しました。

前回ちょっと触れたのですが、昨日まで所用で京都に行っており、
インターネットへのアクセスがやや面倒なこともあって、
PCから少し距離を置いたというのが遅れた理由です。


あちこち動き回ったり多くの人にお会いしたりした中で、
今回は大阪府富田林を訪問したことを書いておきます。


1. 富田林(とんだばやし)には、PL教団の本部があります。

機関紙に長くエッセイを連載したことがあり編集長ととても親しくなり、
いわば飲み仲間になりました。


土曜日を利用してあちこち案内して貰いました。

富田林は、大阪の南、堺市の近く。
京都の中心といえる烏丸から阪急に乗って、梅田から地下鉄、
近鉄と乗りついで片道2時間弱かかります。


2. PL教団は眺めのよい広大な丘陵地に本部や学園のキャンパスが
広がっています。関連会社が経営するゴルフ場もあります。

PL学園の野球部はかって、桑田や清原などプロ選手を輩出している
強豪ですが、剣道も強いとのことで、練習風景を拝見しました。

少年少女たちが、厳しく、しかし礼儀正しく、さわやかに練習して
いました。


平和祈念塔という高い建物もあって、毎年、8月1日には、平和を祈念し、
戦争で亡くなった犠牲者を弔う儀式が行われるとのこと。

私は宗教一般にしても、PL教団についても無学・無知ですが、ここは
何となく(言葉に誤解を招くかもしれませんが)宗教特有の
押しつけがましさのない・おだやかな印象を受けました。


編集の友人も、宗教臭くないというか、とても気持ちの良い人物で、
いつも酒を飲んでは読んだ小説の話などすることが多く、長くお付き合い
が続いています。

どこも多かれ少なかれ、信者の高齢化や若い人の宗教離れに直面しており、
ここも例外ではないでしょうが、普段、考えたことのない宗教について、
思いを巡らせる良い機会になりました。


3. このあと、富田林寺内町という町の古い一画を案内してもらい、
旧杉山家住宅(重要文化財)を訪問しました。

江戸時代、造り酒屋として栄えた、町いちばんの豪商でしたが、
なかなか複雑な家庭でもあったようです。


友人の小学校の同級生が昔住んでいたそうで、その祖母にあたる人
(当時まだ存命だった由)が、明治の終わり、堺の与謝野晶子
と活躍した明星派の歌人石上露子です。


以下、頂いた資料からの引用ですが、

石上露子(いそのかみつゆこ、1882年 −1959年)
本名杉山孝。明治15年(1882年)杉山家の跡取り娘として
生まれ

幼時から古典や漢籍、琴などに親しみ、二十歳頃から『明星』などに
短歌,詩、小説などを発表。


富田林にいながら明治期の中央歌壇で注目を集め、明治36年
『新詩社』(明星発行の結社)の社友となり、与謝野晶子、山川登美子、
茅野雅子、玉野花子とともに「新詩社の五才媛」と称された。


初恋の人に対するかなわぬ
思いを詠んだ“小板橋”は絶唱と評され、彼女の名を不朽
のものにした。
二十六歳で父親が決めた相手を婿養子として迎え、夫から禁じられた
ため、長く、筆を折り、旧家を守る。
二人の息子をもうけたが、夫に先立たれ、
長男は病死、二男は自死し、その後も家を守り、
昭和34年(1959年)に七十八歳で自宅にて死去。



4.因みに、寺内町とは真宗の寺院を中心に掘りや土塁で防御した
町のことで、
ここは、16世紀の半ばに誕生、江戸時代には幕府の直轄地となり、
水運、陸運に恵まれて商業の町として大いに発展した。

また商いのみならず、文化の町として発展をとげ、能や浄瑠璃がさかんに
興行され、町人の間では俳諧がブームになったとのこと。


5. 関西のことを殆ど知らず、河内にも富田林にも足を運んだのは
初めて。
ここにかって、家や家族のために
「君が名も夢も捨てむと」とうたった、
才能のある明治の女性がひっそりと生きていたことを
知りました。

女性にとって、今はもっと生きやすい
時代になっているでしょうか。