梅ヶ丘図書館と社会起業家と鶴見俊輔

前回のブログでカタカナの外来語の話をしましたが、
京都の柳居子さんがブログに引用してくださいました。
http://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/201012240000/

もっとも、同氏のブログ本旨は、かって漢字仮名交じり文は、ひらがなだけ
でなくカタカナがあった、男子や公用の文章でもあった、それが今や、
ひらがなだけに変わってしまったという指摘で、なるほどと思いました。
もちろんカタカナといっても助詞や助動詞と名詞の違いがありますが。

私事ではありますが、私の亡くなった父親(日露戦争の前年、明治36年生まれ
が書いた私的な文章が私の手元に残っていますが、
写真のように立派なカタカナ交じりの漢文です。
親の世代でこういう文章が書けたのですから、日本語が短い間に
何と大きく変わってしまったかと痛感します。

前回も書きましたが、カタカナの氾濫には辟易することころもあるが、
そうかといって漢語に訳することで消えてしまうこともある。

私が学生時代、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』という本が
広く読まれました。

人はなぜ強いリーダーを求めるのか、権威を希求するのか、それは
自由の重み、自分で考えて判断し責任をとる厳しさに耐えられない
からである、
という視点はいまでも価値のある問題提起だろうと思いますが、
この本の英語の題名は「escape from freedom」。

他方で、例えば、アメリカ独立戦争のときに
独立宣言とともに鳴らされたフィラデルフィア
「自由の鐘」、これは「liberty bell」と呼ばれます。


日本語に訳せば両方とも「自由」。
英語による、この2つの違いが(少なくとも私には)分からない。

そもそも、言葉以前に、それが使われる「風土」「文化」
鶴見俊輔は「しぐさ」と呼びますが)があるだろうと思うが
「自由」の場合、それは何なのだろう。


というような詰まらぬことを考えているうちに年の瀬も迫りました。

クリスマスも終りましたが、我が家はまだ頂いたカードを飾っています。
生来の無精で、こちらからはなかなか出さず、メールなどで失礼してしまうの
ですが、送って頂いた方には感謝しきりです。

いろいろと書いてあるのを面白く読みました。

あるオーストラリア人は少し年下ですが、今年9人目のお孫さんが生まれた
とのこと。当方は2人で終わりそうで、やはり日本の少子化は顕著ですね。


また、これもあるオーストラリア人から
「この国は、いま女王、総督、首相、
シドニーが所在する)ニューサウス・ウェールズ州の州首相、
シドニーの市長、全て女性です。
素晴らしいことではありませんか」

ちなみに、豪州はまだ大英連邦に属して元首はエリザベス女王であり、
名代として豪州人の総督が居ます。
わが日本も、こういうポジションの女性がどんどん増えたら、少し社会が
変わるかもしれませんね。


他方で、永住している日本人の方からは、
「オーストラリアに滞在の邦人72,000人(米中についで3位)、そのうち
永住者が50%を超えました。
やはり住みやすい・良い国なのでしょうね。」
とありました。

こんな便りを頂いて、シドニーで暮らした3年半を懐かしく思い出した次第です。

他方で、ニューヨークはたいへん寒いようす。
欧州大陸と英国はそれ以上の寒波で、ロンドン空港も先週は雪で閉鎖されたと
昨日一時帰国した娘から聞きました。


日本国は北陸・北日本は厳しいようで、冬対策は本当にご苦労でしょう。


東京はまずまずで、朝の散歩も快適に続けています。

世田谷区北沢から主に緑道を歩いて30分、小田急梅ヶ丘駅に近い
小さな梅ヶ丘図書館に立ちよります。

窓口の案内に「特集―読書案内、社会起業家という言葉を知って
いますか?」とあり、推薦図書のリストも置いてあったのでちょっとびっくり。


図書館では、「文学界」新年号に載っている
新年特別インタビュー:鶴見俊輔
「2011年を生きる君たちへ」を読みました。

89歳を迎えるという、もう健在なのは彼ぐらいしか居なくなった
オールド・リベラリストです。


以下、発言の幾つかを紹介すると、

(1) 日本はいま進むべき道を見出せないでいるが、そのもっとも大きな
障害は大東亜戦争というものをきちんと記憶にとどめていないことだ
と思います。


(2)「日本は大国である」という共同幻想。これからの未来を考えるに
あたって改めて我々の中に眠っている大国主義を掘り起こして考えて
みなければいけない。

(3)明治以来の大国主義から離れることができるのか。
わからないが、私は、離れるべきだと思う。
少なくとも、明治の大国主義のようなものは目指してはいけない。『万葉集
にあるような、それぞれのちょっと小高い丘から「くにみ」をする
ような、そんな国になってほしいと思います。

最後の「くにみ」のあたりは少し分かりにくいが、小さな隣同士の
つながりに支えられた「くに」であってほしいということでしょうか。



これを読んで、いまなぜNHKは大金を費やして
坂の上の雲」を製作し放映しているの
だろうかというようなことを考えました。