「がまん(gaman)」と「がんばってください(ganbatte kudasai)」

本日も東京は快晴、悲劇のあとも公園の梅は美しく咲いています。


1. 十字峡さんご意見に100%同感です。
ツイッターの情報も有難うございます。

悲劇にあたっての日本人の「高貴」な対応については外紙の記事をのちほど紹介しますが、本当に
秩序を守って対処する姿に心を打たれます。

ご指摘のように、心無い・意味のない情報発信はやめましょう。
批判や評論も、言いたい人は半年ぐらいあとにしてほしい。
いまは国難です。
ロード・ネルソンではないが「各人がそれぞれの義務を尽くすこと(everyman will do his duty)」しかない。

2. アメリカ・クリントン長官を始め諸外国が
「あらゆる支援をする」と発言したと伝えられています。
外務大臣は直ちにお礼の電話をすべきと思いますが
「ヒラリーさん、始めまして。数日前に就任した松本と申します」
と電話するのでしょうか?
悲しくて涙が出ますね。

我が家の老いた猫の方がはるかに予知能力が高いけど、
しかし我々国民だってこのところ、
「みんながこんな呑気なことをしていて日本は大丈夫か?」
とうすうす心配していたのではないか。
僭越ながら私でさえ「(前原問題は)先送りしたらどうか」と発言しました。
日本海海戦Z旗秋山真之参謀起草の「皇国の興廃この一戦にあり。各員いっそう
奮励努力せよ」を紹介しました。


3. 政治家といえば
今朝のNHK「日曜討論」を見ていたが、途中で切ってしまいました。
各党の政調会長クラスの人が集まって、口々に
(1)人命救助を最優先にしてほしい
(2)(原発で)情報開示を徹底してほしい
(3)いままでの原発の国の政策や事業体に問題なかったか。「想定外」とは何だ!


これら全ての発言に呆れてしまいました。


(1) 人命救助最優先なんて、現場の人たちがいちばん分かっていること。
しかも現場には、「自分の人命を」後回しにしてでも人命救助のために動いている人も多いはず。
こんな余計な発言はただでさえ必死の人たちに徒にプレッシャーとストレスを与えるだけ。


(2)「情報開示」なんてきれいごとを言うのはやめてほしい。
いま政府も当事者も必死になって対処し、どう情報を出すか死ぬほど悩んでいるはず。
世の中には「開示」できない情報もある。「20キロ以内避難」という指示には、出した人たちには万感の思いがあるはず。
いま大事なのは、この人たちをどうやって受け入れるか、さらに避難地域が
広がるのかの体制づくりでしょう。
(いまでさえ、20万人以上が避難中である。これはどえらいことです)


(3)この際、批判や評論はいい加減にして、言いたい人は1年ぐらいたってからもっともらしく発言してほしい。
いまは緊急事態・国難です。
こんなこと言う時間があったら、自分で原発現場に行って、命を賭けて作業にあたっている人たちと一緒になって行動したらどうか。


(4)どうも、自分自身、幼い時に、原爆の地獄を見たせいか、
こういう時には、人より感受性が高まってしまうようで、
やや興奮気味の口調になってしまい、お許しください。
それにしても、核・放射能は本当に恐ろしいです。



4. しかし、前回書いたように、世界は日本を見ているし、冒頭の
十字峡さん感想のように、日本人に期待して
「がんばって下さい」と声を出しています。
(もっと言えば、政治はお粗末だが、日本人は素晴らしい、と)

3月11日、地震当日のニューヨークタイムズ電子版が
もと東京支局長の応援メッセージを載せています。
あえて、拙速で全文の拙訳をご紹介します。

もちろん長いですが、お時間のある方は
あるアメリカ人が日本人をどう理解しているか、ぜひ読んでほしいと思う。

5.以下ニューヨークタイムズ3月11日「オピニオン」に掲載の全文の拙訳
(寄稿者:ニコラス・クリストフ、もと同紙東京支局長)
http://kristof.blogs.nytimes.com/2011/03/11/sympathy-for-japan-and-admiration/
オリジナルサイトは上の通り。

「日本への同情、そして賞賛」

(1) 本日―記録史上最大の地震が日本を襲った日―私たちはずっと日本のことを思い、心配しています。

しかし、1995年、支局長として日本に住み、6000人以上の人命を奪い、10万人以上が家を失った神戸地震の悲劇を取材した人間として、以下の点も付け加えなければなりません。

「これから数日も数週間も続くであろう日本を見守りましょう。私たちは必ずそこから何かを学ぶはずです」と。


(2)と言っても、必ずしも当時の日本政府の対応が素晴らしかったというわけではありません。

地震直後の救助・支援で、政府の対応は明らかに不手際でした。その結果、チモールや他の諸国から送られた救助犬が硬直的な規制のためにとどめ置かれました。この時点でまだ何人も瓦礫の下に生存しており、政府の無能力のために無駄な人命が失われたことは否定できません。


(3) しかし、日本人自身は、堪え、ストイックに行動し、秩序を守るといった点で本当に高貴(noble)でした。日本には「がまん(gaman)」という、「タフに乗り越える」とでもいうか、英語には訳しにくい言葉があります。これこそ、神戸の人たちが、勇気と一致協力と共通の意思をもって示したこと、そして私を畏敬の念にみちびいたものなのです。

日本に住んでいて、このような秩序正しさや礼儀正しさは、以前から印象に残っていました。しかし神戸の地震ほど強い経験はありません。神戸港の大部分が破壊され市内の店舗の窓ガラスが壊れる状況で、私は略奪や暴動が起きていないかと取材に歩きました。最後になってあるお店のオーナーが「盗んだのは2人の男だけだった」という話を聞いて安心した私は「この災害を捉えて他の日本人が犯罪行為に至らなかったことに驚いたでしょうね?」といった質問をしました。彼はびっくりした顔でこう答えました。「誰が日本人だって言いましたか。この2人は外国人ですよ」。


(4)日本には下層階級もいますし、在日韓国人を見下す人もいます。しかし他の国に比べれば極端な貧困は少ないし、みんなが目的を共有している意識も強いと思います。中産階級はきわめて厚いし、大企業の経営者は巨額の報酬を得ることにはためらう文化もあります。こういった「目的を共有しているという意識」が社会構造に組み込まれており、それはこういった自然の災害や国家危機において力を発揮します。

もちろん私は、良いことばかりを誇張するつもりはありません。
日本社会と人間関係には、学校や職場でのいじめ、違法な活動で儲けるヤクザ、脱税する政治家や建設業界の談合など、さまざまな問題があります。しかし、驚くべきことに神戸地震の直後、そのヤクザでさえ、場所を用意して被害者に生活必要物資を提供している光景を目にしました。


(5)こういった「ストイシズム」は日本語にも組み込まれています。彼らはよく「仕方がない(shikata ga nai)」と口にします。そして他の人に呼びかける・いちばんよく聞かれる言葉の1つに「がんばってください(gannbatte kudasai)」,
(タフに、強く乗り越えてください)があります。

自然災害は、日本の「運命」「さだめ」の一部として、日々の行動や暮らしと国民性とがあわさった言葉として使われます。
私は、16世紀の宣教師が書いた古い記録を読んだときのことを思い出します。そこで筆者は、地震で壊滅した農村で農夫たちが直ちに家を新しく建てようと働く様子を伝えています。


不平を言わず、みんなで堪える、という構えが日本人の心に沁みついています。
私は、長男を短期間、地元の公立学校に通わせたことがあります。そこで、冬の最中でも小さな子供たちが短いズボンで通学することを義務付けられている光景を信じられない思いで眺めたことがあります。こういう経験が強い人間をつくるのだという理屈でした。私は、これじゃ子供に風邪をひかせるだけじゃないかと思ったものです。しかし、それが日本人の「gaman」でもあるのでしょう。そのgamanが、第2次大戦の戦禍から日本を復興させ、バブルがはじけたあとの「失われた10年」をしのぐのに役だったのでしょう。


本音を言えば、日本人はそんなにがまんしないで、もっと不満を言ったらいいのに、とさえ思います。そうすれば、政治家はもう少し、国民の声に耳を傾けるのではないでしょうか。


(6)自然とどう向き合うかについてももういちど考えてみる必要があるかもしれません。
私たちアメリカ人は、自然とは対峙するもの、てなづけるものと考えがちです。
対照的に日本人は、人間も自然の一部であり、長い人類の歴史を、数多くの地震も含めて自然の波に乗って生きていくものだという風に考えます。
1923年の関東大震災は、10万人以上の人命を奪いました。


英語のnatureを日本語で「自然」といいますが、実はこの日本語は現代の言葉であって、高々100年強前にできたもので、それまで日本人にはそういう概念そのものがなかったのです。私は、神戸地震の直後「タイム誌」に載せたエッセイでも同じような内容を書きましたが、その際、文章の最後に次のような17世紀の偉大な詩人、芭蕉の句を紹介しました。


「憂き節や、竹の子となる人の果て」

繰り返しますが、日本人の堪え忍ぶ姿には、高貴さと勇気さがみられると私は思っています。
そしてそれは、これからの日々において必ずや見出されることでしょう。


いまはまた日本社会全体が一致協力し、タフさと回復力とを示す時でもあります。
そして私は、日本人は、みんなで助け合い、協力しあうであろうと確信しています ――おそらくは、現在アメリカ全土に見られる政治の泥仕合、利害の対立と足の引っ張り合いとはまったく対照的に・・・
だから、こんなに悲しい出来事からでも、私たちはほんの少し日本から教えられるかもしれません。
最後になりますが、私たちはいま日本のことを思い続け、深甚なる同情を申し上げます。
そして、心からの賞賛の気持ちとともに。


6以上がニューヨークタイムズを拙速に訳したものです。
すこし長すぎて電力を使いすぎたかもしれません。
お許しください。