1. 東京でも、まだ揺れが続き、お店は暗く、ネオンは消え、ガソリンや食料品や水は少なく、イベントや会合はキャンセルが相次いでいます。
東京でも関係する人たちがそれぞれ忙しく、力を尽くしています。
東芝と東京新聞に勤務する甥が居ますが、(おそらく、ときに世の批判に辛い思いをしながら)必死に働いているようです。
家人は加入している生活協同組合の理事さんと電話する機会があったそうですが、仕入れ先の何社かが大被害を受けて、代替を探しつつ彼らをこれからどう支援していくか、超多忙の日々のようです。
私はと言えば、我が家では震災以来車は一度も使わず、可能な限り歩く、家人は自転車です。
実は、震災について(もうたくさんの人が書いているのに私までが)書くことに何の意味があるのか?とここ数日考えていました。
それだけに、こういうコメントは嬉しいです。
少なくとも、視点として以下の4つを据えました。
(1) 皆さんがすでに書いていることはお任せして、屋上屋はやらない。
(2) 素人として「少なくとも今は」批判の評論家にはならない。
(3)海外の動きを少しは追いかける
(4)新聞やインターネットや仲間内のメールでも意味あると思えば拾う。
3. 今回もそういう姿勢で書くつもりですが、
とくに海外で(私の場合やはり英米中心ですが)
どういうことを言っているか。
今回は、海外からの批判的・ネガティブな報道に言及することになります。
4.1つは、福島原発事故をめぐる、特に欧州の(少なくとも当初の)報道には、明らかに過剰な反応であったということです。
ここで2つのブログを紹介しておきます。
以下はドイツの報道に関する情報です。
http://www.todoweb.jp/blog/archives/2011/03/post-363.html
http://blog.goo.ne.jp/pocknsan/e/7d8e173e884e87519ca11f7de716c05e
前者は実名のブログ(在独川口マーン恵美さん)で、後者は仮名です。両方とも面識ないのでどこまで本当か分かりませんし、過剰反応の背景には日本政府や東電の対応のまずさがあったことは否めないでしょう。
しかしそれにしても「いまに東京の住民が西日本に向かって避難して大混乱になる」だの「日本中が放射能に汚染されるらしい」だの「ほとんどあり得ないほど低い確率の最悪の事態を、さも明日起こるように報道し続けている」。
「日本でも、最悪の事態ばかりを予言する人たちがおり、それを信じてさらに広めている国民もいる」
(「」は川口さんの引用)
他方で、後者は「日本から脱出せよ」のメールをたくさん貰った話です。
18日にはドイツのラジオニュースで東京で、政府と東電の不十分な情報提供へ反発する千人のデモ行進があったと伝えたという。これは事実でないでしょう。
3.海外という点でもう1つ気になるのが豪州で、たまたま以下のブログを見つけました。
これは「yahoo知恵袋」というサイトで、小生は普通こういう、全く知らない人
の匿名のブログは見ないのですが、たまたま気になって読みました。
ここに(どこまで本当か知りませんが)豪州でのまことに冷たい対応が紹介され
ています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1257560052
該当部分を上のサイトから引用すると
「こちらの人々の反応は実に冷ややかで、
"鯨を殺した罰が当たったのだ"とか"嫌がらせばかりする日本が全部津波にやられてしまえば良いのに"とか普通にテレビでいいます。
じゃあ、NZの地震は? と突っ込みたくなりますが、それは考えないようです
あるコメディアンは
"オーストラリアにいるアジア人を送り付けよう。そうすれば死んだ奴らの埋め合わせになるし、この国からもアジア人を追い出せる。"
とか言って笑いを取っていました。」
これどこまで信用してよいのか、小生にはまったく判断つきません。
4. しかし(特に豪州は昔住んだことのある懐かしい土地でもあり)いつものメール仲間に流したところ、早速、うち1人から元気づけのメールを貰いました。
「23日の英国フィナンシャル・タイムズ紙は、マスコミ内部から投稿があって、欧米の一部のマスコミは面汚しだと、日本たたきを非難しています。
こんな話はどこにでもある。無視がいいでしょう。
馬鹿を言うマスコミは、世界的に消えていくと思います。」
また同氏から、シドニーほかの橋梁の安全チェックで、日本の耐震技術が急に見直されて、日本製の部品が使われだした
というメールも現地から届いたそうです。
5. なるほど、ご指摘の通りと感心した次第。
自分で上に紹介しといて何だと言われそうですが、ここで語られているような話。悲しくなるけど、勇気をもって無視しよう。
今、様々な情報が氾濫する中で、情報リテラシーというか、玉石混交を見極め、取捨選択をしていく。
まことに難しい課題ですが、1人1人に求められているのでしょう。
そもそも「学び」とは、そういう能力を育てることにあるでしょう。
だから、我々は一生、学び続ける必要があるのだと思います。
他方で、平常心を保つ努力を、いま1人1人がしていることでしょう。
私であれば、日中はマリア・カラスの歌声で元気づけられ、
就寝前は、バッハのチェロとグレゴリアン・チャントをちゃんと
聴いています。