東日本大震災:考えること

1. さわやかNさん有難うございます。
震災後の支援活動にお忙しいことと存じます。
「やりての理事長」の大学「経営」には興味ありますが、またの機会に。

我善坊さん、京大はたしかに『自由と民主主義をもうやめる』という本
(中身は知らないが題名だけでも怖ろしい)を書く教授がいるくらい。
我々の次の、いわゆる団塊の世代の中には先輩(例えば丸山真男)への反発か、こういう思考をときどき見かけるような気がします。
我々にも責任があるのでしょうね。


2. 被災地の状況は変わらず心が痛みます。ただ、そろそろ桜も咲いて、ここ1〜2カ月は良い季節になって、この間に気力・体力が少しは回復されることを願うばかりです。

3. 時間の経過とともに我々にとってなお大切なのは何か?
庶民である(被災者ではない)私にとって、もっとも大事なのは
「忘れないこと、考えること」
そのために「読むこと、理解すること、可能なら聞くこと、調べること」だろうと思います。


4. 何を読むか?
人によってそれぞれでしょう。
私であれば長年の愛読書である『ペスト』(カミュ、宮崎嶺雄訳)をまた引っ張り出して、あちこち拾い読みしました。
人間への希望を信じたいという気持ちからでしょう。


直接にかかわるものとしては、「世界」と「文藝春秋」のそれぞれ5月号と、『三陸海岸津波』(吉村昭)をぼちぼち読んでいます。

「世界」は「生きよう!」という表題で全頁、特集になっています。
誰がどういう題で執筆しているかを見るだけで、もちろん文春とは大きく違うし、興味あります。
「世界」の場合は例えば


・トップに大江健三郎「私らは犠牲者に見つめられている」(フランス、ル・モンド紙の問いに答えて)
内橋克人の「巨大複合災害に思う、「原発安全神話」はいかにしてつくられたか?」
・「敗北力」(鶴見俊輔)、「人間のおごり」(坂本義和・・・氏の「国際関係論」の講義を大昔受講しました)
・「振り出しにもどる」(木田 元)

と続きます。
「いま、私たちはどこにいるのか」
「何が起きたのか」
「もっとも大切なことは」
の3部構成になって、第3部では
・「後戻りせず、前へ進もう!」(金子勝
・「復興ニューディールへの提言」(辻井喬
等々、それぞれ読み応えがあります。

5.『三陸海岸津波』(吉村昭)は多くの方が、読んだか、読み直したかしたのではないでしょうか。
本屋に行ったら、4月1日発行の第8刷が大量に並んでいたので買ってきました。


詳しく紹介する紙数はありませんが、

(1) 長い歴史の中で実に何度も悲惨な津波に襲われ多数の死者を出していること。
(大きなものだけで17世紀には実に8回、18世紀3回、19世紀4回・・・)
「日本では、ことに三陸沿岸に津波の来襲回数が多い。それは、海岸特有の地形によるものである」

(2) それでも人々は戻ってくること。
著者がここを好きなのは「三陸地方の海が人間の生活と密接な関係をもって存在しているように思えるからである」。

「それら(都会や工業地帯の海)にくらべると、三陸沿岸の海は土地の人々のためにある。海は生活の場であり、人々は海と真剣に向い合っている」。


(3) だからこそ、人々は悲劇のたびに、防災に十分な努力をしてきた。

今回の災害までは、津波のたびに被害は減少しつつあった。
本書執筆は昭和45年(1975年)だが、明治29年(1896年}死者26,360人のとき生き残った、当時7歳の老人に取材して聞いた言葉を書きとめている。
津波は、時世が変ってもなくならない。必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにいないと思う」


今回の大津波のあと、この言葉を読むのは本当に辛いことです。


吉村氏は、この老人の言葉のあと、以下の文章で本書を終えています。
「・・・屹立した断崖、連なる岩、点在する人家の集落、それらは度重なる津波の檄浪に堪えて毅然とした姿で海に対している。そしてさらに、私はその海岸で津波と戦いながら生きてきた人々を見るのだ
 私は、今年も三陸海岸を歩いてみたいと思っている」


海とともに生きる人たちはいま被災地でどのような想いで未来をみているでしょうか。


5. 三陸海岸の大津波で毎回もっともひどい被害を受ける土地に、宮古市の田老という地区があります。

3月18日付のニューヨーク・タイムズ紙に、イアン・ミラーというハーバード大学助教授(歴史学)が「bitter legacy,injured coast(辛い遺産、傷ついた海辺)」と題して寄稿しています。


(1) 氏は、1990年代に、宮古市の中学で英語を教え、2年以上暮らした思い出を語っています。

(2) 美しい風景(17世紀にある僧侶が「ここは浄土の海のようだ」と感嘆して以来「浄土ヶ浜」と名付けられた)


(3) 親切で率直な人たちや人懐こい子どもたちのこと。
結婚式で付添人をつとめてくれた珈琲店のオーナーのこと・・・避難所に生きているらしいがまだ連絡は取れない・・・

(4) そして歴史家として、(また欧米人らしい考えと思われますが)
「この災害を聞いて、純粋に自然だけという世界はないのだ。世界は常に、人間の文化と物理的な自然の力とのネゴシエーションなのだ」と述懐します。

Negotiationは普通辞書には「交渉」と載っていますが、日本語に訳しにくい言葉ですね。

何れにせよ、抑制された中に、悲しみと思い出が読み取れるいい文章で記憶に残りました。