フェイスブックの効用とイタリア人の友人

長澤さん4月27日コメント有難うございます。無事に拝見しました。
古い古い友人からのメッセージ嬉しく拝読しました。

古い友人といえば、今回のブログは100%私事ですが、ローマに住むイタリア人の話です。


1966年、まだ20代に東京銀行という職場から研修生という資格でアメリカ・テキサス州のダラスという町にホームステイしたことがあります。

ダラスは、1963年に当時のケネディ大統領が暗殺されて一躍有名になりましたが、石油で栄えたお金持ちの多い都市です。まだ貧しい日本から来て、その豊さに圧倒される思いでした。

まだ米国行きが珍しい時期で当時は大学への留学生制度というのはなく、むしろ日本人の少ない地方都市でアメリカの銀行に客分として滞在して学び、多少英語に慣れるようにという研修生制度でした


1965年に公民権法が成立しましたが、それでも人種差別は厳しく、黒人はお断りというレストランが多くありましたし、毎朝、ダウンタウンの銀行に通うバスは、白人と黒人の席が分かれており、黒人は後ろ、「君は前に座っていいんだよ」と銀行の人事部の人にわざわざ言われたものでした。


アメリカ人の幹部行員用の研修プログラムに参加したのですが、外国人はイタリアのシティ銀行から来ているエリオ・ラトー君と2人。
外国人同士ということで当然ながら親しくなり、お互いに下手な(彼のほうが多少うまかった)英語で話し合いながら、年中つるんでいました。

あちこち出掛け、レンタカーで2泊して広大な(テキサスだけで日本の4倍)平原を走ったりしました。

お互いに帰国してから、いちどだけ再会。
そのときは新婚旅行でアリタリア航空のスチュワーデスという奥さんと2人で日本を訪れ、我が家にもきてくれました。[
その時に撮ったのやダラス時代の写真を彼がメールしてくれました。

以来、40年以上、お互いに海外勤務があったりしてすっかり音信不通になっていたところの突然の嬉しいメールです。


なぜメールが可能になったか?
それがフェイスブックを通じてです。といってもなぜ私が会員と分かったか?よく分からないのですが。


びっくりすると同時に、すごいツールだと改めて感じいった次第です。

ということで再び、フェイスブックを通じて「友達」になりました。
但し、彼の友人20人強はすべてイタリア人、当方の20人強もすべて日本人ということでネットワークが広がるというのはまず難しいでしょう。

若い世代であれば、相互に英語でのコミュニケーションが可能でしょうから、このフェイスブック、世界中の人たちをつなぐ可能性を秘めた、未来のあるツールだなあという感を強くします。

私たち夫婦は昨年、ロンドン滞在時にローマに2泊したので、もう少し早くコンタクトが出来ていたら、再会することも出来たのですが、まあそれはぜいたくというものでしょう。

いまはメールでのやり取りが始まっていますが、果たしてもう一度会うことが出来るかどうか、悩ましいところではあります。


それにしても、私がまだ20代、生まれて始めての異国での青春時代を懐かしく思い出しました。

私はもう結婚して子供もいて家族を残してのアメリカ生活でしたが彼は独身で、早速ガールフレンドが出来て3人で食事をしたこともあり、羨ましく思ったものです。
エリオ君の奥様、ひょっとして日本語が読めたら、45年前の独身時代の話ですから許してあげてくださいね。


実は帰国してから、ダラスでの彼との交友をテーマに「旅人のいる風景」という短編小説を書いて「三田文学」に載せてもらったことがあります。小説では、彼の恋人は夫のある女性という設定にしましたが、もちろんこれはフィクションです。