「普段通り」「共感(sympathy)」そして「忘れないこと」

加藤さん、さわやかNさん、真面目なコメントまことに有難うございます。

1. 「非常時は普段の延長にある」と「人との共感をもてる場があるか」という指摘は大事ですね。
2. それと、ご指摘のように、サラリーマンもちゃんと「会社を通して」義捐金に応じたり、会社のCSR活動に参加したりしている。それはいいが、「日本の個人が営利企業のシステムに依存しすぎ」という問題点はある・・・・。

3.「会社がやってくれる」という有難いシステムは、私が現役だったころに比べて、今はどう変わっているか、変わっていないのか、知らないので興味があります。所得税源泉徴収が「会社を通して」の典型で、便利なものですが、確定申告の方が納税意識は高まりますね。

私事ながら、ロンドンにいる下の娘が今回、同じ業種ながら転職します。ヘッドハンティングに応じたようですが、3度目の職場です。こういうことが日本でも普通になれば変わってくるのでしょうが・・・・


4.「普段の延長・・」ということについて言えば、チャーチルの”business as usual”(「イギリス人の信条は“職分を果たすこと普通どおり”」)という言葉があります。第1次大戦勃発時に、当時海軍大臣だった彼の演説の1節でイギリス人らしさを表す表現としてよく知られました。


因みに、このチャーチルが首相としてヒトラーと戦うリーダーであり、1945年5月ドイツが降伏したとき、議会にこの重大ニュースを発表することになった。

『自由と規律―イギリスの学校生活』(池田潔、岩波新書)から引用すると以下の通りです。

「この時といい、この人といい、満場が如何なる期待をもって彼の登壇を迎えたかは想像に余る・
 『本日ドイツ政府は降伏を申し入れた。したがって対独戦争はこれをもって終了した。国王陛下万歳』。これだけである。最大級にも何も形容詞は一つもない・・・・」


そしてこう説明します。

「イギリス人ほど感情の強い国民はいない。・・・ただ、彼らは赤裸の感情を人に見られることを嫌い、自己の感情のプライバシーをあくまで固守する。当然、彼らの信条とする『他に与え、かつおのれに取る』精神にもとづいて、他人の感情のプライバシーをも尊重する。おのれの激動した感情を露出することは、これによって他の感情の平静をかき乱すことが多い。彼らの間に、感情の抑制を美徳とし、その誇張を不躾(ぶしつけ)とする戒律の生まれたゆえんである」


「普段通り」というのは、イギリス人の得意・かつ好きな「精神の構え」ではないかと思います。


5.「共感の場をもつことの大切さ」については、前回書いた堀田力さんとお会いしたときに同氏が「アダム・スミスの原点に戻ることですね」とコメントされて、ちょうど、必要があって『アダム・スミス、「道徳感情論」と「国富論」の間』(堂目卓生)を再読し、「道徳感情論」を拾い読みしている最中だったので記憶に残りました。


「人間は自分の利益を考える存在であるが、それだけではない。人間本性の中には別の原理もある。それは何かというと、他人に関心をもつということである。」
「他人の感情や行為の適切性を判断する心の作用を、スミスは「同感(sympathy)」と呼び」、社会の秩序をつくりだす重要な要素と考えた。


「つながり」「居場所」「(ヨコの)ネットワーク」、そしてこれらが「ソーシャルメディア」で補強されるような「場」が形成されていくことが、もういちど「同感・共感」を育てる
ために意味があるだろうという気がします。



6.最後に、私自身、大事だと思っているのが前にも書きましたが「忘れないこと・考え続けること」です。
東日本大震災から、2カ月強たっても、本を読んでも音楽を聴いていてもいつも少し、考えているような気がします。



僭越ながら、京都新聞の地方版のコラムにそんな文章を載せました。ブログで書いことを素材に『三陸海岸津波』(吉村昭)やニューヨークタイムズに載った、昔、宮古で英語を教えた思い出を語ったアメリカ人の話を読んだことにも触れました。



このところ、友人たちと話す会話は、原発放射能原子力政策といった話題が中心になるような気がします。
どうしてもそこに関心が行ってしまうのは仕方ないのですが、被災地のこと、被災者や避難者のことも同じように心に留めなければいけない、と思っています。