茅野市槻木に住む89歳の元気人

1. 我善坊さん、8月8日付けブログへのコメント有難うございます。

私自身、福澤とベン・フランクリンとの比較をフォローしようと考えていました、そちらでフォローしていただき、感謝です。

それにしても100ドルのフランクリンと1万円の福澤。
前者の価値がすっかり下がりましたね。


福澤がなぜ政治に関わらなかったか?
というのは面白いテーマですが、またの機会に。
(幕府と明治政府の双方に仕えた勝海舟の生き方を福澤が厳しく批判したことはご承知のとおり)

2. 山男の十字渓さん、今回は何度目の八ヶ岳挑戦ですか?
余計な病いのことなど書いて失礼しました。


私とは天と地ほどの違いの元気な高齢者のことを前回も触れましたが、我が家から車で10分ほど、
茅野市槻木(つきのき)に住む89歳の堀内千春さんにはとりわけ感心しています。


私どもの山の家のある「昔・南蓼科台」「いま・蓼科高原チェルトの森」の管理事務所長を長年やった同氏に久しぶりに会いました。
自分で作った野菜をもってわが家を訪れてくれ、我々が住み始めた・お互いに若いころなど、しばらく昔話をしました。


3. 今から40年前、このあたりを開発した思い出話もありました。


このあたり1の山林を12の財産区(約5千人)が共有している。

財政が苦しく、共有林の維持も難しくなり、ここを住宅に開発してもらおうと、当時、区長の1人だった同氏が東京の会社を、足を棒にして歩き回った。
まだ中央高速もなく、茅野市街から山に行く県道は砂利道だった。
まだ蓼科高原の大規模開発がまったく始まっていないころです。


ほとんどの会社に相手にされなかったが(特に借地方式が)、

幸いに良心的な会社が受けてくれて、森を残したいので売りたくない・借地権でいきたいという村の希望を入れて、山を開発したあと、借地権方式で、環境重視をうたい1区画500坪単位で、宣伝をせずに縁故を中心に販売するという方式をとった。

開発面積は最終的に山林の一部130万坪。


会社はその後破綻してしまったが、幸い、鹿島建設が引き継いでいまに至っている。おかげで、村の財産区は所有権を失うことなく、地代の収入で豊かになり、自然林を維持する費用も捻出できた。

他方で都会からきて住む人も、土地の利用権を入手するだけだから安く住めて、喜んでいる人が多い(その代わり、投資目的で買ったような人にはまったくメリットない)。
・ ・・・・

というような話を聞きました。


この地の魅力は八ヶ岳を水源とする良質の湧き水。
場所も「流れ清水」と名付けた。
本来、八ヶ岳西山ろくは、晴天率が高く、降雨量に少ない地域であるために水の確保が難しい。そのため、昔は農家同士の水利権をめぐる争いも多く起きた。

しかしここは、八ヶ岳に降った雨や雪を源とする豊富な湧き水があり、農家が利用しない地下水も多くあって、その心配がなく、新しく人が住むことに農家側の反対もなかった。


4. 堀内さん、いまも車を運転し(ここは車が無ければ暮らしていけない)連れ合いを亡くして大きな家に一人住まい。


庭には草花を植え、いまも、大きな農地を一人で管理しお米と野菜を作っている。
(昨年は百俵ほどのお米を作ったそうだ)

耳も記憶力もしっかりしているし、おどろくほど元気です。

農業について話を聞きましたが、なかなか厳しい意見です。

「サラリーマンより気楽な仕事と思って始める人が多いが、難しい。
農業の再生に情熱と夢をもって来る人もいるが、情熱だけではうまく行かない。
私のように、代々(彼は4代目)やっていて、こういう厳しい暮らしが当たり前と思って続けている人と都会の人とは違う。
まあ、10人に1人もうまく行かないのではないか」

と言っていました。


5. 頂いた、畑から取り立ての野菜のおいしいこと。


そういえば、この地はいま夏野菜の最盛期で、地元のスーパーに行くと、農家から直売の野菜をたくさん売っていて大賑わいです。
我が家の食卓もこのところ、食事はほとんど野菜一本やりで、
トマト、きゅうり、インゲン、とうもろこし、枝豆、なす・・・等々
毎日ほとんど同じものを食べています。