2004年、イチローの年間最多安打の達成

1. 十字峡さん、蓼科高原は7日、8日と快晴。八ヶ岳が素晴らしかったです。またお出掛けください。

2. さわやかNさん、我善坊さん、お2人のやりとり、まことに有難うございます。

「教育が真の独立性を有すること」(天野貞裕1937年)
「一身独立して、一国独立すること」(福澤、『学問のすすめ』1874年)

これらはお2人の言うようにいまもまだ途上にあるように思いますが、不思議なのは、そのことを言うオピニオン・リーダーがいま見当たらないということですね。


むしろ、所有権の神聖性は言わずもがな、ナショナリズム(に「何らかの歯止めをかけねばならないにもかかわらず」)や伝統への回帰をうながす発言が多いように思います。
すでに、私たちは「一身、独立した」とうぬぼれているのでしょうか?


3. 日米の比較、欧州の対応については、いろいろと感想もありますが。


今回は、2004年、アメリカでのイチロー選手についてのフォローです。

前々回のブログで、授業で、彼が、「例の、2004年10月1日、年間最多安打257本という1920年ジョージ・シスラー選手が達成した記録を実に84年ぶりに破ったときの瞬間の映像、10分弱を見せて、アメリカ人とは?プロ野球とビジネスの関係とは?日本・日本人との違いとは?を考えてもらいます。」と書きました。


4. この映像をブログでお見せできないので、分かりにくいとは思いますが、DVDを見せて、翌日のシアトルタイムズの新聞記事を見せて、
「君たちはどう思うか?
どういう印象をもったか?
どこが日本と違うか?」
と質問し、レポート用紙に書いてもらいます。


5. もちろん、アメリカの新聞記事を簡単に読める学生は少ないですから、私が説明することになります。


記事は、こんな風に始まります。

・・・・1人は日本からやって来た。もう1人は、19世紀から・・・。こんなにも違う、時代も異なる2人が、この日、何十年もの歳月を超え、野球という時代とは無縁に思えるゲームを通して、つながったのだ。
イチロー(略)は、昨夜の試合、45,573人という超満員の球場で、シスラーが84年前に達成した偉大な記録を超えた。・・・・・


6. 学生の感想は以下のようなものです。

(1)「日本のプロ野球のように、鳴り物入りの応援団に観客が合わせるのでなく、一人ひとりが個別に応援している」


(2)「イチローが打席に立つと、ほぼ全員が立ちあがって、スタンディング・オベイションで応援する」


(3)「イチローが記録を達成した瞬間、試合が中断されて、みんなで、相手チームも観客も祝福する」


(4)「アメリカは日本と全く思考が違うなと思う。日本は良くも悪くも、周りに影響されて生きている・・・・」


(5)「日本は野次や反発は得意だが、ほめることに関しては不得手なところがあるので、あの球場でおきた歓声や、ベンチの人たちが出ていっての祝福は、アメリカならではのことなのかと感じた。


(6)「日本では・・・アメリカのように、お祭りのような盛り上がりはないな・・・・」

等々です。


7. もちろん、「日本人であるイチローをみんなが称えているのが素晴らしい」や「イチローは、人気・実力ともに、アメリカで認められている唯一の日本人ではないかと思った」というコメントもあります。
イチローは素晴らしいが、シアトル・マリナーズは、ずっと弱小チーム。イチローは、本当にチームのために貢献しているのか?自己中心的ではないか?という批判もあるが、どうなんだろう」という疑問を言う学生もいました。


8. 中に1人、試合が一時中断されてみんなで祝っている光景について、「試合を中断するのではなく、終ってから祝福すべきだ、と考えた。
顧客の満足も重要だが、私はそれ以前に、試合の行方を重要視した。一度中断すると、試合の流れや意識が変わり、勝敗に影響するので、あまり納得できなかった・・・・」


というコメントもあり、これはちょっと予想外の感想だったので、「なるほど、そういう意見もあるか」と面白く読みました。


9. 何れにせよ、これらは、全て、もっともな感想です。

しかし、「それだけだろうか?」
と私はさらに質問します。
その1つに、立ちあがって祝福している観客の中に、84年前に大記録を達成したジョージ・シスラーのお嬢さん(いまはお婆さんですが)と4人のお孫さんが居ることに注目してほしいと説明します。


この点の補足は、次回にしましょう。