なぜ丸山真男は福澤諭吉に惚れたか?


1. 我善坊さん、柳居子さん、さわやかNさん、いつも的確なコメント有難うございます。
俳句は無知なので「季語が動く」という言葉は初めて知りました。勉強になりました。


2. それにしても「古典を読む」なんていう話に付き合って下さるのは、コメントを頂く方々ぐらいでしょうね。
殆どの日本人が、古典どころか、まともな本を読まなくなった、いまの時代。
「古典」という言葉も消えてしまうかもしれません。
むしろ、古典を読むのはドナルド・キーンさんのような外国生まれか、外国人に期待するしかないかもしれません。


3. そう思うと淋しい限りですが、くじけずに、まだまだ福澤諭吉です。
丸山真男がなぜ、あれだけ福澤に惚れたのか?」というテーマです。


実は、市民大学のゼミで、ゼミ生の1人が
「東大法学部を代表する政治学者で、一部から神様みたいに尊敬されている丸山真男、およびその弟子たち(例えば、苅部直さん)が、
なぜ、私学のシンボルのような福澤をあんなに高く評価するのか、不思議だ」

と言いだして、面白い問題提起だと思ったので、少なくとも、丸山さんについてちょっと考えてみました。

因みに、前回、紹介したように、丸山さんは「福澤惚れ」を自認しています。
「とことん惚れてみて、初めて見えてくる真実もあるのだ」まで言い切っています。


なぜだろうか?

4. まず当たり前の話だが、福澤のリベラリズム、そして、日本にいちばん欠けているのは
「知的風土」「知的活動」であり、「徳」(いまだったら、さしずめ「感性」か)は大事にされるが
「智」は軽視される(おそらく現在も、さほど変わっていない)、ここを強くすることが文明国日本
にとって最重要の課題なのだという福澤の強い信念への共感があるでしょう。


5.この点を補足すると、福澤の、日本人離れした、合理的・知的な発想への驚嘆があったろうと思います。
(それだけに、福澤はエリート主義者だ、「愚民観」の持ち主だと批判する向きもある)


例えば、「文明論之概略」の第7章「智徳の行われるべき時代と場所とを論ず」のところで、社会における
人間関係とシステムを成り立たせるのは「徳」ではなく(「徳」が通用するのは家族においてのみ)、
「智」「知性・理性」なのだと力説している点を取り上げて、以下のようにコメントします。

「どうして福澤が維新直後に、すでにこういうルール感覚、近代法的な思考を身につけていたのか、
の方が不思議な気がします」
「こういう公私を峻別したドライな考え方を明治8年ごろに言っているというのも、驚くべきことです」


5. さらに、丸山個人の、戦前・戦中の暗い経験が重ね合わされている。
「明治のその後の歴史をたどりますと、福澤の主張から逆行している点がいろいろみられます」と彼は書くが、
ここは、柳居子さんが指摘している「時代状況」の話にまことによく符合すると思います。

すなわち
(1)違った意見を一切言えない・自由のない・軍国主義のさなかで、彼が、「こんな日本人もいたのだ」という
感嘆の思いで読んだであろうこと。
(2)さらに、戦後の民主主義の時代(福澤の言う「政統」の変化=「革命」)に生きて、自分も福澤とまった
く同じように「一身にして二生」を生きていると感じたのではないか。
(因みに「一身にして二生を経る」とは幕末と明治に生きた自分を振り返って福澤が「自伝」で語った有名な言葉です)


6.気質的には多少異なるところもあるように思えます。例えば、丸山の方がよりディレッタントではないか。
ただし、2人に共通するのは、ジャーナリスト的な気質・センス。
福澤については言うまでもないが、丸山の父親は著名なジャーナリストであり、DNA を受け継いでいる。
丸山は繰り返し、福澤のレトリックの巧みさ、英仏の歴史家の著作を読んで彼らの思想を「自家薬籠中のもの」
にしている才能、ユーモア・諧謔・皮肉の精神・・・等を称賛している。


7. ところで福澤の「愚民観」(エリート主義者?)と丸山の「精神的貴族主義」とに似たものがあるか?

前者については実はまだ不勉強でこれから勉強したいが、後者について、丸山は“誤解してほしくないが”と断りつつ、
こう述べています。
現代日本の知的世界に切実に不足し、もっとも要求されるのは、ラディカル(根底的)な精神的貴族主義が
ラディカルな民主主義と内面的に結びつくことではないか」(『日本の思想』岩波新書、P.179)

8. 最後に、やや蛇足だが、福澤から100年経った丸山には、前者にみられる、文明と人智の限りない
進歩・発展を信じる楽観主義はみられない。

これも、まさに「時代状況の違い」でしょう。


何ともまあ、またまた硬い話になりました。