災害ボランティアの報告会

1. 苅部直先生、コメントを頂き、恐縮しております。
本人の書物は別にして、丸山さんについて書かれた他の方の文章はまったく読んでおりませんので不正確な
理解があったかもしれません。お詫びいたします。
権威主義」との点はご指摘の通りと思います。ただ問題提起自体はゼミ生の発言であり、
それを聞いた当方は、一般論として(出身云々ではなく)丸山さんと福澤との結びつきに興味を持った次第にて、
その点だけ弁解させて頂きます。


今後ともご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。
なお、ゼミで米山先生に
「福澤惚れを自認する丸山さん以外に、同じように惚れた人が居たのでしょうか?」
と質問したところ
「あまり聞かないが、慶応の外では、田中王堂という人が居た」というお答えでした。
初めて聞いた名前なので、興味を持ったところです。



2. arz2beeさん、コメント有難うございます。
紀伊国屋三省堂丸善は、中学生のころから通った懐かしの御三家なので愛着ひとしおですが、
ご指摘の点はよく分かります。関西と関東の本屋商法の比較はたしかに面白いですね。
いま私が週に2日は覗く、渋谷の「丸善ジュンク堂」は楽しい本屋ですが、ジュンク堂
流儀が幅を効かせているように思います。
それにしても、お医者さんの先生が活字病という病気だけは治療できないでおられるのは、
素晴らしい限りです。


3. ということでコメントへのお礼が長くなりましたが、前回に続いて京都滞在記です。

記録するのが遅くなってしまいましたが、
今回の京都滞在のメインで、
10月15日(土)「東山いきいき市民活動センター」の一室で、ごく少人数で災害ボランティアの報告会を開きました。


オール京都で運営している「京都災害支援ボランティアセンター」のセンター長をしている、
藤野正弘さんや、実際に、東北や和歌山県の災害支援の活動に参加した加藤和子さん、牧野宏美さんの報告を聞き、
たいへん興味深かったです。
議事進行は田中美貴子さん。4人ともKSEN(京都ソーシャル・アントレプレナー・ネットワーク)の仲間です。


4. 以下、藤野さんの報告で記憶に残ったのは、
(1) 復興支援のボランティア活動は、がれきの撤去、個人宅の片づけ、側溝の泥だし、写真の洗浄など。
被災者は、それどころではないという状況もあって、ニーズを積極的に引き出すのが難しい。
(2) 東北被災地のがれきの量は2300万トンと言われている。住宅地のまわりはある程度撤去されたが、
仮置き場に移されただけのところが多い。

(3) ボランティア活動者の延べ人数は、約73万人。阪神大震災の場合は2カ月で100万人を突破し、
合計で137万人と言われた。
今回の場合、震災直後はボランティアに来てもらうことをむしろ抑えたことや、地理的に遠いこと等が
原因でまだ阪神に及ばない。これからも継続していくべく、息の長い支援活動が必要。


(4) 現地での支援だけでなく、京都での受け入れの支援も行っている。今だに、
京都だけで287世帯、780人(うち219世帯が福島から)が避難しており、辛い生活を送っている
・・・・等々。


5. 実際に活動に参加した人たちからは、
「避難所で生活することの厳しさを実感した」
「行ってみて本当に分かったことがある。これから自分の日々の暮らしや仕事の上で
どう活かしていくか、考え続けていきたい」
「少しでも役に立てて、感謝してもらい、嬉しかった」
「ボランティアに参加している人は決して、余裕のある人ばかりではなく、若者だけでもなく、
様々な人たちが参加している。年寄りにも、女性にもそれぞれが果たせる役割がある。」
といった発言がありました。

参加者には上場企業の社員もおり、この会社は、参加する社員は出張扱いになり、2泊3日の活動を、
まずは8月末まで6回行い、51名が宮城県に出向いたとのことでした。


6. 当日は、牧野さんの友人も2人参加。
1人は、仙台の出身で、災害の当日、現地におり、当時の状況についても若干、報告がありました。
もう1人は、神戸から来てくれた若者ですが、
「不良ボランティアを集める会」というNPOを主宰しているそうです。
http://anythinggoes311.blogspot.com/
神戸から東北の被災地や台風12号災害の現場に「まごころ便」と名付けた定員20名の
ボランティアバスが20便以上かけつけているとのこと、


「ボランティアにあたっては、どうしても、社会福祉法人あたりが中心になって、
指示待ちのシステムにならざるを得ないという側面は理解できる。
しかし、同時に、もう少し、枠組みにとらわれない、多様性と自主性を尊重した活動もあっていいのではないかと思う」
という発言が興味深かったです。


こういう発言を契機に、
ボランティアとは何だろうか?
どうあるべきだろうか?
と言った点でも、意見交換が続きました。
また、「農耕民族の地方コミュニティというのは決して、きれいごとでは済まない面もある。
地域のつながりだの絆だのと言った言葉を、建て前だけで受けとめても、必ずしも良い方向に行く
とは限らない。


ある意味で、狩猟民族の方が文化度が高いという面もある」
  
という、なかなか考えさせられる発言もありました。


7. 私自身は、ボランティアについてえらそうなことを言う資格はないのですが、

65年も昔、幼いころ、しかも被害の中身も質も異なる・・・・とはいえ、

太平洋戦争の被害を直接体験して生き残りの人間として、
被災者の心理や立場から少しは言えることがあるかなという思いで発言しました。
被害者とボランティアで支援する人たちとが、お互いにどういう気持ちでつながり未来に拡がっていけるのか。
そのためには、人間の強い想像力と、福澤が日本社会の根本的な病巣だと鋭く指摘した「権力の偏重」
(タテ社会の人間関係)から脱却する知性とが問われるだろうと考えています。