気分転換に温泉旅行のこと

1. 前回のブログでボランティア報告会を記録し、同時に報告してくれた方々にお礼のメールを入れました。


「ボランティアとは何か?これもまた何故(ビジネスやコミュニケーションやマーケティングやその他もろもろ
と同じように)カタカナ日本語なのか?

と考えつつ、『大江戸ボランティア事情』(石川英輔田中優子講談社文庫)を読み返しているところです」と
書いたところ、早速、図書館で借りたと返事をくれた方が居ました。


2. この本、なかなか楽しいです。初版は1996年で、『逝きし世の面影』とほぼ同じ頃に出ているのも
何となく面白い。

江戸時代の、とくに長屋文化を少し美化しすぎている感はします。

しかし、
「(ボランティアのような)とってつけたようなカタカナ言葉が日常的になって
特別な活動が必要になり、それを皆がもっともだと感じる社会は、多くの人が自
主的に生きられない社会なのである」
あるいは
「江戸時代の日本は、人間であることがボランティアであることと同じ意味だった時代であり、公(おおやけ)の
仕事の大部分を庶民のボランティアが担当していた驚くべき社会だった」
→ボランティアが特殊な活動ではなくて、社会システムそのものだった
→だから、そのことを表現するための特別な言葉はなかった


といった指摘は、考えさせられるものがあります。

もちろん、同書の著者は現在のボランティア活動の意義を否定している訳ではありません。
いまはそういう活動に頼らざるを得ない社会になっている。


ただし、以下の点は10月15日(土)の報告会でもちょっと触れましたが、
少なくとも、戦争直後の混乱期には、親族や友人や隣近所の相互扶助が今よりはもっとずっと強かったような気が
しています。
私事ながら、夫を戦争で亡くし、30代半ばで5人の子供を抱えて未亡人になった母が、親族や女学校時代の友人から
どれだけ助けてもらったか、言葉に尽くせません。


「政府や自衛隊や企業(のCSR)やボランティアがやってくれるからいいや。自分の問題ではないんだ」
と思う人が社会の中に増えてきていないことを願っています。



3. またまた硬い話になってしまうので、今回は第2部として話題を変えて、
年に1度の高校時代の友人、4組8人の温泉旅行で、阿蘇に行った簡単な記録です。

いつもは、近場の、地味な、安価な、しかし温泉のプロである友人の1人がお勧めの素晴らしい宿に泊まるのですが、
そろそろ遠出も億劫な年齢になり、いまのうちに遠くにも挑戦しようということで、生まれて初めて、
熊本・阿蘇に出掛けました。

4. 気の合った・昔からの仲間とその連れ合いで、まことに楽しかったですが、
何と言っても、2泊した宿が素晴らしかったこと。
1泊目は、1人の友人がもと勤務していた1部上場企業の健保が所有する宿で
OBとその友人も使えて、快適で何せ値段が安い。
夕食後8人でカラオケ大会となりました。

2泊目は、阿蘇高原の北、黒川温泉に近い、奥満願寺温泉の「藤もと」。
渓流に沿い、周りは畑に囲まれたまことに静かな一軒宿で、部屋数はわずか8つ。


我々が「温泉博士」と呼ぶ某君はすでに3回ほど行っているそうですが、
「ここの露天は、日本の温泉でもベスト5に入るのではないか」
と折り紙つきです。


5. 温泉、食事、サービス、すべて十分満足しました。
露天の大浴場は、渓流に面していて、まさに流れと同じ目線で湯に入ることになります。
「渓流に沿うて湯に入る秋の宿」の風情です。
もうしばらくすると紅葉を楽しみながら、になるでしょう。

おまけに家族風呂が4つあって、お風呂の数が多いので他のお客と一緒になることがまずない。
家族風呂を1人で占領して湯につかっているのは何とも良い気分です。

温泉に入るのは(少なくとも私にとっては)日本人でよかったなあと実感する時間です。


「藤もと」は豪華な2食つきで1人19千円。我々の過去の旅行からするとかなり高めで・高級な部類に入りますが、
こういう旅行が可能になったのは1つには格安の飛行機が登場して、低料金で羽田・熊本を往復できるという
有難い時代になったことがあります。
今回利用したのは、ソラシド・エアーという初めて聞いた名前ですが、往復、1人2万円と東京・京都
の新幹線代と変わらずでした。

この飛行機を予約してくれたのも別の友人で、3人の友人が全て持ち駒を提供し、私たち夫婦は
ただ乗っかっただけ。

「持つべきは友」を実感した次第です。