コメントはたいへん勉強になります。

1. 皆様、まことに有難うございます。
まず「京都型経営」について、京都人から2人、私と同じく、非京都人から1人、何れもまことに
勉強になるコメントを頂きました。


2. 十字峡さんの「京都企業は成功しても本社を東京に移さない」は面白いですね。

京都人2人が言われるように、「京都ブランドを生かしたい」とか、「大学・市民との距離感の近さ」を大事にしたい、
といった「磁場としての京都の魅力」が彼らのような企業を惹きつける。そして今度は、彼ら自身が動かないことで
「磁場」になっていくのでしょうね。
磁場は決して動かない。
私のように、東京・京都・茅野・ニューヨーク・ロンドン・シドニー・・・と放浪している身は柳居子さんのような
「磁場」には決してなれません。


3. そういえば、十字峡さんに頂いた、オムロン創業者立石一真の伝記(新潮文庫)を面白く読み終えたところ
ですが、

立石一真は熊本出身で、熊本高等工業卒後、兵庫県庁を経て京都の会社に就職。
そこを退職して1933年、33歳で立石電機製作所を創業しましたが、これは大阪なのですね。

ところが、戦争が激しくなり、戦禍により大阪の事業所・工場が焼けてしまい、いわば疎開先として、京都に分工場を
作ってあったのでここに本社機能も移し、以後、動かなかった。
そういう意味では偶然の所産としての京都だったわけですが、戦後になっても、大阪に戻らない。そこが面白い。


例えば、本書によると、経営学者のピーター・ドラッカーは早くから、立石にほれ込んで親交を深めた。
交際が始まったのが、1959年、58歳のとき。来日したドラッカーの東京でのセミナーに立石も参加し、挨拶をして別れ際に
通訳を介して
「京都に来られることがあったら、ぜひ立ち寄ってください」
「ありがとうございます。その際はよろしくお願いします」
と言葉を交わしたという。


何と、2,3週間後にドラッカーが観光で京都を訪れて、セミナーの主催者経由、京都観光の手伝いを頼まれた立石は
自宅に招いて歓待したという。


もちろん、これは2人がお互いに惹かれたということが根底にあるが、それにしても、「まさに京都」だから可能
になった、という「磁場」の力も働いているわけです。


4. 私と同じく京都人ではない、arz2beeさんのコメントも面白く拝読しました。

「批評精神の健在と批評を吟味して受け入れる柔軟さ」
これ実にいい言葉ですね。
私風に言えば、ここから「ヨコのネットワーク」が生まれ・育つのだと思います。
とくに「吟味して受け入れる」がいいですね。
この国は基本的に「受け入れない」「まずノーから入る」「閉じた」」社会でしょうから・・・
ただ京都の「受け入れる」は気をつけないと
「そら、よろしおますなあ」
というのは、もちろん東京弁に翻訳すれば「勝手にしなさい」という意味でししょう
・・・・という具合に、京都を語りだしたら、終わりませんね。


そういう意味で、実は京都というのは、日本の中でも「特殊な」場所ではないか。
これを言っているのは、会田雄次さんで、いま手元に彼の文章がないのでうろ覚えですが、要は、

・・・・「京都は日本人の心のふるさと」などとよく言われるが、それは間違いである。
京都は「日本のふるさと」ではなく、「日本の例外」だから魅力的なのだ。
つまり、「農耕社会・ムラ社会集団主義」・・・そういう「日本的なるもの」から逸脱しているのが京都である・・・・


そんな趣旨だったと思います。
これを読んで、えらく納得したのを覚えています。


5. たまたま、だいぶ前に我善坊さんに勧められた
加藤周一の『日本文化における時間と空間』(岩波、2007年)を読み終えたばかりですが、

著者は、ここでこんなことを言っています
(1) 日本社会には、過去は水に流し、未来はそのときの風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。
(現在主義)
現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標において「定義」されるのではなく、歴史や目標から
独立に、それ自身として決定される。


(2) 出来事は、当事者の生活空間すなわち特定の集団の内側でおこる。
(日本社会の「モデル」としてのムラ共同体
→いまだに「原子力ムラ」という言葉)
「福は内、鬼は外」である。
「鬼は外」の背景は、おそらく、強い集団帰属意識である。
関心は、集団の内部すなわち「ここ」に集中し、他所(よそ)に及ぶことが少ない。(閉じた世界)



(3) かくして日本では、人々が「今=ここ」に生きているようにみえる。
その背景には、時間においては「今」に、空間においては「ここ」に集約される世界観があるだろう。

加藤さんの仮説を深く掘り下げる紙数はもちろんありませんが、こういう文脈でarz2beeさんの
コメントを考えると、
・・・・京都だけが、すこし違うかもしれない。
「過去は水に流す」という文化も京都では少し違うかも・・・・
なんて考えると、面白いです。



6. 最後になってしまいましたが、
さわやかNさんのコメントもいろいろと考えさせられました。
「女性の進学率が急上昇する中で、モデルがなかなか居ない」という指摘はその通りでしょうね。

ただ、男性にとっても「先輩」の生き方・キャリア選択がモデルになりにくい時代になっているのではない
でしょうか。
その点で、さわやかNさんご自身にとっての「モデル」は例えば誰か?
そのうち伺いたいものですが、私自身が思うことは、紙数が無くなり、次回以降にしたいと思います。