「良き校風」と麻布の「論集」について

1. 我善坊さん、mikkoさん有難うございます。
我善坊さんのコメントご指摘の通りですね。
私が思うのは、残念ながらドナルド・キーンさんの嘆きは日本人・日本社会一般にさほど大きなインパクトを与えなかったのではないか、外人さん(もちろん同氏は日本人ですが)がまた何か言っているといった程度の反応ではないのか・・・
キーンさんの嘆きは氏がNYから来たばかり、NYを知っているということもあるのではないか。
だから日本人には理解されない。
東京と違う都市の姿があるということをもっと私たちは知ってもいいのではないか。

2. Mikkoさんから頂いた情報は小生知りませんでした。感謝します。
早速友人に流したところ、彼からもう1つ関連する校長発言の報道を教えてくれました。
http://news.livedoor.com/article/detail/6400974/
http://www.news-postseven.com/archives/20120324_96418.html
麻布は「東大合格の御三家」と言われていますが、開成・灘に大きく差をつけられた3番です。
いろいろと意見や不満を言う保護者もいるかもしれませんが、いまの校長は実に立派な人物で、そんなことより、生徒の自主性を生かし、自他共に許す「リベラル」な伝統・校風を守り、そういう人材を育てることがはるかに重要だと考えているのではないでしょうか。


3.mikkoさんに「良い校風」とほめられて嬉しくなって、ニューヨークの報告はさし措いて、母校の話を致します。
もう2年前ですが、私の定年の最終講義で母校での教育がいかに自分を作ったかを話しました。


その講義で、校長から聞いた以下のエピソードを伝えました。
(1) 運動会の実行委員が六本木で飲酒をするという不祥事を起こして、運動会は中止となった。
(2) 麻布にはもともと校則が無い。従って彼らをどうするかは都度決めることになる。「退学、少なくとも停学に値する」という厳しい意見もあった中で、校長は「自分で考えろ」と彼らに伝えた。
(3) 彼らはそれからしばらく毎朝早く校門に立って、通学してくる学生全員に向って1人1人に「ごめんね。ごめんね」と頭を下げた・・・・


今頃になって、何でこんな話をするかというと、たまたま3月初めに昔の同僚の結婚披露宴があり某教授と同席になった。
その席で教育のあり方について雑談している中でなぜか同教授からこの話が出て、
「あの時、川本さんが話ながらぐっと来ているのが分かって、こちらも胸にぐっと来るものがあった」と思い出話をされたのです。

もちろん異論のある方も、もっと厳しく接すべきだという意見の方もおられるでしょう。しかし私としてはそういう麻布が大好きだし、
校門で頭を下げた学生がこれを機に深く「考える」ところがあって、校長の期待する「(別にエリートにならなくてもいいから)いい男」になってくれるといいなと思います。


3. もう1つ、長くなりますが、最後に、麻布らしい教育内容をご紹介します。
これは同校に通う孫から借りた、写真にある3年間の「論集」という機関誌を読んでの感想です。


(1)「論集」はさまざまな教育の成果を載せたものです。
それは、おそらく、大学まして東大合格者を増やすというような教育とはほとんど関係ない・役に立たない、しかし学生が自主的に「考える」という訓練の成果として素晴らしい教育と思います。

(2)もちろん、全てを紹介することはできませんが、
この内容を見ると
例えば、中学1年生「世界」の授業では、「仮想旅行記」というレポートを書くことが義務付けられます。
自分でテーマを考えて、調べて、架空の旅行記を書くというものです。
優れた作品が「論集」に収録されるのですが、題名だけあげると

スティーブ・ジョブスの軌跡in USA」
(私事ながら、これ大学での夏の集中講義の題材に使いたいです)

フリーメーソンを追う〜ヨーロッパの旅〜」
玄奘三蔵の足跡を辿る」
「インド人さん、ようこそ日本へ」
「ナチからの脱出〜ユダヤ人亡命ルートを追う〜」(注――このテーマ選定の発想には感心します)
・・・等々。もちろん全て、本人が行ったわけでなく「仮想旅行」です・

(4) 中学3年生の「公民」の授業では「大調査!「仕事人のいまと来歴」というレポートを夏休みに書いて提出します。
もちろん無名の人で一向に構いませんが、誰か選んで取材する。そこから、その人の仕事に賭ける生き方を調べるというもの。


(5) 高校1年になると、「社会」の授業で「修論」を書きあげます。
これはテーマは自由のようですが、掲載されたテーマをみただけで、読んでみたくなる方もおられるのではないでしょうか・
・「アメリカの保守主義
「東京の公共交通機関〜その問題と展望」
南方熊楠と神社合祀反対運動〜現代につながる問題〜」
「日本における少数民族政策と国民意識アイヌ民族の事例から−」
ロシア革命におけるソビエト」・・・等々

(6) いろいろあるので、とても全てを紹介することはできませんが、
個人的にいちばん興味があるのは、「現代文」の授業では「中学3年卒業共同論文」という課題があります。
・これは先生が卒論の課題図書を指定する。
・その中から3人が1組になって3冊を選び、論文を共同で書きあげるというもの。
・この課題作の選ぶのに先生も相当力も入れていると思うが、例えば、2008年度の対象作品の1部を披露すると,

(日本文学)有島武郎或る女安部公房砂の女大岡昇平『野火』・・・島崎藤村『破戒』・・・三島由紀夫仮面の告白』・・・計12作品

(外国文学)カミュ『ペスト』・・・ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟ギュンター・グラスブリキの太鼓スタインベック怒りの葡萄』・・・計7作品

優秀作品が掲載されていますが、
私の最大の愛読書である『ペスト』を論じた「『ペスト』論―不条理の克服と人間―」(中3の6浅野泰史・・・他)が載っているのはとても嬉しいし、
『人間が安定した社会を築くためには−G・ガルシア=マルケス予告された殺人の記録』論」(中3の2本倉奎・・・他)
なんて、題名を見ただけで感動してしまいます。
因みにマルケスの小説は大人だって簡単に読める代物ではないと思う。

余計なことだけど個人的な興味から言うと、
「グレイト・ギャツビー」なんか入れてほしいのだが・・・
もっと言えば、若かったら、こういう授業の先生をやってみたい・・・

4. 以上、中身に触れる紙数はもちろんありませんが、ともかく、こういう、大学受験におよそ関係無い勉強をさせている学校があるというのはすごいと思う。
この「論集」には校長がいつもエッセイを巻頭に載せていて、彼がたいへん力を入れていることがよく分かります。


ちなみに編集後記を読むと、
これを他の中学や高校の先生に見せて話をすると
「うちの学校では、とてもこういう授業はできない」という反応が返ってくるそうです。
本当にそうだろうか?
ただ、やらないだけではないのか。やれば「面白い」と思う生徒も多いのではないでしょうか?


パスカルを持ちだすまでもなく、「考えること」が生きる全てではないか、教育はそのための訓練の場ではないか、と思うものです。